「歴史雑感」というテーマから少しそれるが、22日(木)の読売新聞朝刊、文化面に興味深い記事が載っていた。

見出しはつぎのようである。

国立新美術館「モディリアーニ展」 展示作 異例の大量重複

国立新美術館は最近オープンしたばかりの超大型美術館、いわば「マンモス美術館」である。そこで開催中の展覧会に展示されている作品の大部分が、以前別の美術館で開催された展覧会での展示品と重複するというのである。早い話が、二番煎じということが発覚したわけだ。

数字で見ると、油彩・素描約150点のうち43点が、昨年全国5会場を巡回した「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」と重複しているそうだ。3分の1ともなると、大部分を占めていると言わざるを得ない。

これではたしかに、今回の「世界的な大回顧展」という触れ込みは、看板倒れと言われても仕方がない。

この記事を書いた前田恭二記者は、そうとう美術館業界に精通している方で以前から注目していたが、今回はやんわりと、この問題を突いている。同記者は「楽しみに訪れる多くの観客のために、展覧会はどうあるべきか、改めて考えさせる」と意味深なコメントを書いている。

これは、僕ら業界の人間にとって、憂慮すべき問題ではあるまいか。大多数の博物館・美術館では、少ない予算、少ない人員、少ない準備時間という環境の中、学芸員はいつもふうふう言いながら、展覧会を一から作るという作業を行っている。すなわち、なんとかしてオリジナルの展覧会を作って、来館者の期待に答えられるよう頑張っているわけだ。

にもかかわらず、よりによって国立の美術館がこういう手抜きともとれることをやってしまったのでは、僕たち弱小博物館につとめる人間はがっかりせざるを得ない。要は、僕らの範たる立場にいる方々が、裏切り行為に近いことをやったということになるのだ。

これは単に、僕のうがった見方なのかもしれない。監修者が前回のモディリアーニ展と同じ方であるのも、こうなった理由の一つなのであろう。しかし、これからの展覧会のあり方に、波紋を呼び起こす事実の発覚になるであろうことは間違いない。