昨日、3月31日の毎日新聞、朝刊の文化面に「『武相自由民権史料集』東京都町田市が10年がかりで刊行」という見出しで記事が掲載されていた。
記事を執筆したのは、同資料集の編集委員長をつとめられた鶴巻孝雄氏である。鶴巻氏は、現在の自由民権運動研究を牽引する研究者である。
史料集の編集の実務にあたったのは、町田市立自由民権資料館ということであるから、要は市立の歴史博物館である。このような地域博物館が、行政区域を越えて史料を収集し、全6巻の史料集にまとめあげたのは、まことに意義深いものと思う。
とくにこのご時勢にあっては、どこの市町村でも、調査・研究費用は、予算査定にかけられた時に真っ先に削られる費目であるのが普通ではないかと思う。ところが町田市の場合は、調査・研究した成果をきちんと活字にして公刊するというところまでやり遂げた。こうした地道な仕事に対して、予算を付けられた町田市の市長以下、市民の皆さんへ、心から敬意を表したい。
鶴巻氏の記事で、僕がとくに重要だと思ったのは、「この史料集は、現在の東京都と神奈川県の行政区域を越えた地域「武相」の、自由民権史料を集大成することを目指して編集されたのである。市町村レベルの自治体が、都道府県の境域を越えて刊行物を編集する事例はきわめて少ないが、異例ともいえる事業は、自由民権研究のセンター的役割を担ってきた町田市立自由民権資料館の立場に由来する」という指摘である。
僕たち地域博物館の人間が町田市の事例から見習うべきは、地域の特性をよく見極め、そこに重点的に力を注ぐという手法である。小規模な博物館であればなおさらだ。町田市の市長や議会、市民らは、かつて自由民権運動が盛んであったということを誇りとし、かつ、それを地域の財産、すなわち「地財」ととらえているからこそ、このような大英断に踏み切ったにちがいない。こうして編集された史料集は、地域住民のよりどころ、すなわちバイブル的なものともなりうる。
今後は、きっと郷土史家の方々がこの基本文献を利用して、地道な研究を進められるのであろう。もちろん、全国の自由民権運動研究者に利用されることは言うまでもない。
「地域学」という概念が唱えられるようになって久しい。だが、たいていは「地域学」の創造、即、地域起こしにつながるものと安直な考えを持つ人が多い。
今こそ地方の博物館は、町田市の事例を見習って基本に立ち返り、地域住民のよりどころとなるものを整備するところから始めるべきではないだろうか。
記事を執筆したのは、同資料集の編集委員長をつとめられた鶴巻孝雄氏である。鶴巻氏は、現在の自由民権運動研究を牽引する研究者である。
史料集の編集の実務にあたったのは、町田市立自由民権資料館ということであるから、要は市立の歴史博物館である。このような地域博物館が、行政区域を越えて史料を収集し、全6巻の史料集にまとめあげたのは、まことに意義深いものと思う。
とくにこのご時勢にあっては、どこの市町村でも、調査・研究費用は、予算査定にかけられた時に真っ先に削られる費目であるのが普通ではないかと思う。ところが町田市の場合は、調査・研究した成果をきちんと活字にして公刊するというところまでやり遂げた。こうした地道な仕事に対して、予算を付けられた町田市の市長以下、市民の皆さんへ、心から敬意を表したい。
鶴巻氏の記事で、僕がとくに重要だと思ったのは、「この史料集は、現在の東京都と神奈川県の行政区域を越えた地域「武相」の、自由民権史料を集大成することを目指して編集されたのである。市町村レベルの自治体が、都道府県の境域を越えて刊行物を編集する事例はきわめて少ないが、異例ともいえる事業は、自由民権研究のセンター的役割を担ってきた町田市立自由民権資料館の立場に由来する」という指摘である。
僕たち地域博物館の人間が町田市の事例から見習うべきは、地域の特性をよく見極め、そこに重点的に力を注ぐという手法である。小規模な博物館であればなおさらだ。町田市の市長や議会、市民らは、かつて自由民権運動が盛んであったということを誇りとし、かつ、それを地域の財産、すなわち「地財」ととらえているからこそ、このような大英断に踏み切ったにちがいない。こうして編集された史料集は、地域住民のよりどころ、すなわちバイブル的なものともなりうる。
今後は、きっと郷土史家の方々がこの基本文献を利用して、地道な研究を進められるのであろう。もちろん、全国の自由民権運動研究者に利用されることは言うまでもない。
「地域学」という概念が唱えられるようになって久しい。だが、たいていは「地域学」の創造、即、地域起こしにつながるものと安直な考えを持つ人が多い。
今こそ地方の博物館は、町田市の事例を見習って基本に立ち返り、地域住民のよりどころとなるものを整備するところから始めるべきではないだろうか。