イメージ 2

僕の職場近くにこんなのが出現した。

イメージ 1

昨年暮れから新年にかけて行われるもので、萩城を光で再現するというのだ。
高さは7メートルもあるそうで、できばえも見事、まことに堂々たる姿である。

イメージ 3

ちなみに田中大将の銅像(26代首相田中義一)のある素水園にもライト演出が…。
※素水〈そすい〉…田中義一の号。

萩城は明治7年(1874)に取り壊されたため、もうその勇姿を見ることはできない。
今日、萩観光の再生のため城を再建する云々がとりざたされるが、はたして再建がほんとうによいことなのか?
そこに城がかつてあったということ、そしてそれを全国に先駆けて取り壊したことこそが、
萩の歴史を語る上でもっとも大事なこと、そして誇りとすべきことなのではないだろうか?

萩は全国的には「維新の勝者」とみなされるが、現実には勝者としての恩恵が萩にもたらされることはなかった。
それは、瀬戸内側が重視された日本の近代化の過程で、萩にはほとんど資本投下が行われなかったからだ。

それでも萩は、今の住民が想像している以上に、全国に誇りうる財産をもてあましているように思えてならない。
バブルの時代ならまだしも、城再建などのような金のかかることは今の時代にはそぐわない。
観光施設をつくって夢を託すというような安直な考え方はやめにして、今ある財産を活かすことが先決であろう。
「萩人」ならば、坂時存や村田清風の遺伝子が創意・工夫として脈々と現代にも受け継がれているはずだ。
※坂時存〈さか・ときもり〉…長州萩藩の7代藩主毛利重就〈しげたか〉のブレーン。財政再建に功労あり。
※村田清風〈むらた・せいふう〉…13代藩主毛利敬親〈たかちか〉により抜擢。いわずとしれた天保改革功労者。

だから僕は、現代に生きる「萩人」の奮起と実行を期待する。