小久保裕紀選手のソフトバンク移籍がほぼ確実との報道があった。ホークスファンとしてはなんともうれしいニュースだ。
小久保選手は2002年まで、ソフトバンクの前身である福岡ダイエーホークスの不動の4番だった。入団2年目の1995年にはホームランキングにも輝いたことのある、パ・リーグを代表するスラッガーとしてその名を知る人も多いと思う。
ところが、2003年春のオープン戦での怪我により、その年の1シーズンを丸まる棒にふったあげく、ジャイアンツへ無償トレードとなった経緯については、なぞに包まれたままでファンとしてはまったく納得がいかなかった。
ちなみにホークスは、小久保選手が負傷で欠場を余儀なくされた2003年に、悲願の日本一を達成している。怪我でどうにもならぬ状況、そして追いうちをかけるかのようにホークスからの放出という憂き目にあった小久保選手の胸中は、屈辱感に満ち溢れていたのに違いない。
だがこうした試練でさえも、彼は持ち前のガッツで乗り越え、怪我が完治して臨んだジャイアンツでの初めてのシーズンとなる2004年には、高橋由伸選手に代わって4番の座につき、見事40本塁打を放った。そして今シーズンはジャイアンツ主将に指名されるなど、やはりそのリーダーシップは他チームに移っても抜きん出ていた。
本人自身、かつて自分がホークスでつけていた背番号「9」を再び背負えるということは、いろいろな事情はあったにせよ、そうとう喜んでいるはずだ。そして彼の古巣復帰を誰よりも一番喜んでいるのは、小久保選手を師と仰いだといわれる斉藤和巳投手であろうと思われる。
これで2005年シーズンに三冠王に輝いた現在の不動の4番、松中信彦選手もうかうかしてはいられない。というより、松中選手も、城島健司選手がメジャーに行ってしまったあと、打線の中核として責任を抱え込みすぎていたような気がしてならない。小久保という大黒柱の古巣復帰が、来シーズンのホークス優勝をより現実に近いものとしてくれそうだ。
小久保選手は2002年まで、ソフトバンクの前身である福岡ダイエーホークスの不動の4番だった。入団2年目の1995年にはホームランキングにも輝いたことのある、パ・リーグを代表するスラッガーとしてその名を知る人も多いと思う。
ところが、2003年春のオープン戦での怪我により、その年の1シーズンを丸まる棒にふったあげく、ジャイアンツへ無償トレードとなった経緯については、なぞに包まれたままでファンとしてはまったく納得がいかなかった。
ちなみにホークスは、小久保選手が負傷で欠場を余儀なくされた2003年に、悲願の日本一を達成している。怪我でどうにもならぬ状況、そして追いうちをかけるかのようにホークスからの放出という憂き目にあった小久保選手の胸中は、屈辱感に満ち溢れていたのに違いない。
だがこうした試練でさえも、彼は持ち前のガッツで乗り越え、怪我が完治して臨んだジャイアンツでの初めてのシーズンとなる2004年には、高橋由伸選手に代わって4番の座につき、見事40本塁打を放った。そして今シーズンはジャイアンツ主将に指名されるなど、やはりそのリーダーシップは他チームに移っても抜きん出ていた。
本人自身、かつて自分がホークスでつけていた背番号「9」を再び背負えるということは、いろいろな事情はあったにせよ、そうとう喜んでいるはずだ。そして彼の古巣復帰を誰よりも一番喜んでいるのは、小久保選手を師と仰いだといわれる斉藤和巳投手であろうと思われる。
これで2005年シーズンに三冠王に輝いた現在の不動の4番、松中信彦選手もうかうかしてはいられない。というより、松中選手も、城島健司選手がメジャーに行ってしまったあと、打線の中核として責任を抱え込みすぎていたような気がしてならない。小久保という大黒柱の古巣復帰が、来シーズンのホークス優勝をより現実に近いものとしてくれそうだ。