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さて、今回の記事は本地垂迹説について書きます。
「ほんじすいじゃくせつ」と読みます。
この本地垂迹説についても、
中村元著の「佛教語大辞典」に出ております。
引用させて頂きます。
仏・菩薩が人びとを救うために、
いろいろな神のすがたを借りて現われたという説。
この場合、仏・菩薩を本地といい、
神を垂迹という。
超歴史的な本体が歴史世界にすがた(迹)となって
現われる(垂)こと。
具体的には、仏あるいは菩薩が人びとを救うために、
この世にいろいろにすがたを表すことを意味する。
シナでは儒教の聖人や道教の神などについて本地垂迹が説かれ、
日本では神道の神についていわれた。
すなわち、神は本地としての仏が、
この世に迹(あと)を垂れたものとされた。
神仏習合の一種である。
本地垂迹説は教義的には
『法華経』の本門・迹門、
『大日経』の本地身・加持身に由来する。
明治維新の際の神仏分離によって衰えた。
こう書いてあります。