「過去」
 
 車窓から見える景色はいっそう山深く、都会の喧騒を離れ、未開の地へ入っていくような軽い緊張感を覚えた。鹿児島へは幼少以来数十年ぶりだ。僕は複雑な想いを抱えたまま新幹線の窓際で頬杖を付き、景色を眺めながら右肘の少し下あたりにある火傷を軽く撫でた。幼少期に付いたもので痛みは全くない。どころか、当時の状況も覚えていない。あとから聞いた話では当時家の中には僕と祖母しか居らず、祖母が目を離した隙に僕がポットに触れて湯を注ぐボタンを押してしまったらしいということだった。そしてその父方の祖母と母の仲が非常に悪かったということも話には聞いていた。結局その祖母とは僕たちが本州に引っ越して以来会っておらず、彼女が亡くなったという知らせを受けるまで疎遠となっていた。どうやらその火傷の一件以来、母は余計に祖母を遠ざけるようになったらしい。
 祖母との記憶がもう一つある。幼い僕が和室に入ると祖母が正座して待っている。そこはどうやら鹿児島の家らしい。祖母はキツい顔でこちらを見ており僕は緊張している。やがて僕が祖母の目の前に座ると祖母は背後から細長い棒のような物を取り出す。そこで記憶は途切れる。そこから先何が起こったのかは覚えていないが、そのときの緊張と恐怖だけを淡く覚えている。
 それが祖母との数少ない思い出の一つである。僕がまだ幼かったとは言えなぜこんなにも祖母との思い出が極端に少ないのか、そして母はなぜ祖母をあんなにも遠ざけたのか、今となっては分からない。母も祖母のことになると頑なに喋ることを拒否し、家族の間に居心地の悪い空気が流れるので僕も敢えてそれ以上聞こうとはしなかった。いつだったか唯一父が口にした、本州にオレたちだけ越したのはお前のためでもあるんだよ、という言葉だけが気になっていた。
 相変わらず僕は頬杖をついて窓の外の景色を眺め続けている。自分のルーツである場所に向かい、過去と向き合う覚悟をしながら。