いつかは、仙人のブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

大槌町旧役場前 献花台と賽銭箱



吉里吉里海岸にて発見された壊された賽銭箱


お久しぶりです。
ず~~と、ブログを書いていませんでした、すみません。
最近は、FACE BOOK で近況を書いていました。
ブログは、不特定多数の方にされると思うと、感情的になってしまったりその場の思いを書いてしまってはと反省もしていたという事もあり書けませんでした。

では、本題に...
すご~~く長くなりますが...

ニュースや新聞でご存知の方も多いと思います。
報道されているだけで3度も盗難被害にあった賽銭箱....

ネット上で、『なぜ、あの場所に? 』と言う賛否両論があがっていた事は知っています。

まず、『なぜ、あの場所に?』から書かせていただきます。

 震災間もない6月に、旧役場庁舎前に誰ともなく置かれた会議室テーブルに献花とお盆に賽銭が置かれる様になりました。
その時は、私自身もその場に線香を上げ手を合わせ賽銭を置いていた一人でした。
会議室テーブルの献花台が置かれた同時期に、旧役場前の阿部石油さんも足漕ぎのポンプで事業を再開されました。
 給油は阿部石油さんでしていた事と、『ガレキのキーホルダー』を置いていただいていた事もあり日に日に親しくなりいろんな会話をする様になっていました。

その時にした会話の中で
『あの献花してある横に置いてあるお菓子のお盆に賽銭一杯入ってるだろ?一円玉と五円玉ばっかりだろ?不思議だと思わないか?』
と言われ、そう言えば僕自身も千円札を置いた事あるしそれ以外にも東京から来る友人達もかなりのお金を置いていたし、それがいつの間にか無くなっていたのは僕自身も気がついていたけど、誰かが管理しているのだろうと、深くは考えていませんでした。
その言葉の後に
『毎日、夕方になると大きいお金だけポケット入れて持ってちゃう人がいるんだよ。
それを、お前なにしてんだ!とも言えないんだよ、そんな事する人だろおっかねぇ~から』

と...そして
『あれをどうにか管理してくれる人いないんかなぁ...探してくれよ! 俺は、そんな大役は無理だよ!』
と。

 この頃は、僕自身もやっと沿岸に移り住んだばかり、僕自身が出来る訳もなく、どうしたもんだろう...と、それから日々胸につっかえながら手を合わせていました。
また、お供え物がカラスに荒らされヒドい状態になっているのを見るに見かね何度も掃除もしていました。
震災から一年半が過ぎたある時期から献花台に常にきれいな花が飾られきれいに掃除される様になりました。
『誰かが管理仕始めてんだぁ、良かったぁ...』
と内心ホっとしました。
しばらくするとそれをしている方が、役場職員だった娘さん、そして旦那さんを震災で亡くし一人になってしまった上野ヒデさんである事を、震災当時浪板観光ホテル営業部長だった小笠原さんから聞かされ知りました。
 そして、小笠原さんに
『上野さんが一度会って話がしたいと言ってますよ、お会いしませんか?』
と言われてまもなく震災から2年の月命日の日に、旧役場庁舎前で小笠原さんはもちろんみんなで手を合わせていると上野さんとお会いする事が出来ました。 その足で夢字民さん(町方に唯一残った建物で再開された喫茶店)に向かい、数時間にわたりこれまでのお互いの2年間を話し本当にいろいろ意味で意気投合しました。
また、旧役場庁舎や献花台の話もしました。
そのお話は鮮明に覚えています。

上野さんのお話です。
『私は震災からしばらくの記憶がないの...
完全におかしくなってたの....
一年半はあの場所に近づく事も出来なかったし人にも会えなかったし仮設にこもりっぱなしだったの。 でも、ある夜娘が夢に出て来てね... 目が覚めた時に思ったのよ。 残された身、もし娘だったら何してるか?て考えたらじっとしてられなくなってね。 初めてその日に役場に行ったの。 ボロボロの会議室テーブルの上に花が一杯でお供え物も一杯あがっててね、それを見て本当にありがたい、そして、娘に対して申し訳なかったって震災後初めて泣いたかも知れない...わたしは一体何したんだって!思ってね。 年も年だし何かをするって言ってもね... せめてこの場所だけでもキレイにしてここに来てくださる方に感謝の気持ちを見せなきゃって、これなら私でも出来るって通いだしたのよ。 通いだして、日本中いや世界中の方が来てくださって手を合わせてくださるのを見て本当にありがたい、そして、1年以上の間も吹きっさらしの状態..ここに来て手を合わせてくださる方々はもちろん、一番は亡くなったみんなに申し訳ない、少しでもキレイにしたいって気持ちが日に日に強くなってね。 大工さん達に何か作ってもらえないか?って聞いたんだけど、忙しくって無理だって断られちゃってね... どうしたらいいのかしらって悩んでたの。そんな中であなたの話を聞いたのよ! 街のみんなと頑張ってるって! 彼に話してみればってね。 私がお金をきちんと払うから作ってくれない?』

と、それを聞いて
『わかりました! お金はいりません! 僕たちで出来る最高の物を作ってみます!』
と即答しました。 しかし、そう答えてしまったもの献花台など作った事はありません....
そこで秋田県五城目町の職人さんにご相談の電話をしたのでした。

なぜ、五城目町?
震災当日に秋田県五城目町の老人会の方々が浪板観光ホテルに宿泊していました。
ニュースでは消息不明との報道がされていました。
当日、先ほども文章に出て来た小笠原さんが避難誘導して宿泊されていたみなさん誰一人被災に遭う事もなく高台へ避難して、あの光景を見ながら呆然としていた所に吉里吉里地区の方が通りかかり集会場の若葉会館にみなさんを受け入れてくださり一夜を過ごし翌朝1台の流されずにすんだ観光バスで秋田まで一か八かでお送りした事から、五城目町のみなさんと大槌町民の深い交流がはじまりました。
再開の予定すらまったくたっていなかった浪板観光ホテル。
震災直後、小笠原さんは職業訓練校に通いながら五城目町のみなさんと常に連絡を取り、被災して職を失った浪板観光ホテルの従業員みんなの働く場所を作りたいという思いで、震災以前から交流があった五城目町と大槌町の中間にあたる花巻市の金婚亭さんに二つの街を繋ぐアンテナショップを開けられないか?と動いていました。 その話を聞いた金婚亭の会長さん社長さんはすぐに動いてくださり花巻市役所に相談して、緊急雇用制度を使い金婚亭敷地内に二つの街を繋ぐ『結海』がオープンしたのです。 職業訓練校に通っていた小笠原さんの席に隣りにいたのが和 RING-PROJECT結成メンバーの石川由美ちゃんでした。 由美ちゃんから僕たちの話を聞いた小笠原さんは、協力し合える関係を作りたい!となり、すぐに僕もお会いしました。 そして、小笠原さんと行動を共にしだす事で、五城目町のみなさんとの交流が始まったのです。

五城目町は朝一と木工の街です。
僕たちもいつまでも被災者グッズのガレキのキーホルダーを作り続けてはいられないという思いから五城目町の建具職人さんや家具職人さんのもとに度々ご相談と技術習得もかねてに訪れていました。
だから献花台の製作のご相談を五城目町物産協会のみなさんと職人さんにお電話をしたのです。
作り方の相談をしたのですが、
『こっちで作って持って行くから! 待ってて!』
となり、この事を上野さんをはじめ震災以前より五城目町老人会のみなさんと交流のあった大槌町老人クラブの会長 細川 汪さん、釜石大槌仏教会副会長 大念寺の大萱生住職さん吉里吉里吉祥寺 高橋住職さんに報告したところ、これはきちんと町役場に話した方が良いという事になり、碇川豊町長さん始め役場総務部にもお話して、町民有志の団体『大槌町 献花台を見守る会』を結成して、あの震災で犠牲になった町役場職員のためだけではない、この震災で犠牲になられた町民すべての為の献花台という事で町民有志の民意の管理団体で管理する事になり会長は大槌町老人クラブ 細川さん、また一番動ける僕と上野さんが事務局という形で旧役場前に設置出来る事になりました。
また、以前から置かれていた賽銭に関しても役場と警察にご相談した所、本来ならあの場所に置かれているお金は拾得物扱いになり警察に届けなくては行けないのですが、善意で集まったものですからみなさんできちんと管理して維持管理費として扱ってはどうですか?とおっしゃってくださり管理する事になりました。
そして、2013年7月11日の月命日に賽銭盗難にあっていた事も知っていた五城目町のみなさんは、献花台だけではなく賽銭箱も大槌町に届けてくださったのです。


 想像もしていなかった立派な総ケヤキづくりの献花台と賽銭箱に驚き....
すぐに雨風をしのぐ建屋を鉄パイプとビニールトタンで作り、いつかはきちんとした建てやを作りましょう!と、世界中から献花台を訪れてくださったみなさまから集まったお金を貯めさせていただこうとなったのです。 また、町民のみなさんも手伝ってくださる方が少しづつ集まりだし毎月の月命日は集まって手を合わせるという風になって行ったのでした。 日々行ける方が清掃に行き、毎月の月命日に回収して郵便局に預けるという日々が始まりました。

 そして、2014年1月に回収しようとした所、なぜか鍵がかかっているはずの賽銭箱の鍵が開いていて、すべて無くなっているという事件が起こりました。
そこに居わわせたみんなは目を疑いました....
みんなが何ともいえない感情になりました。 そして、いろいろみんなで考えた上で被害届は出さない、ただ、見回りをしてほしいと警察に一報だけいれました。 その後は、何もなく過ごしていました。 きっと、出来心だったのだろうと....もうあんな事は二度と起こらないだろうと思っていました。

2014年6月11日月命日、また事件が起こりました。
賽銭箱が壊されました.....
細川会長はじめみんなが本当に悩みました。
悲しいし情けない表現のしようのない気持ちになりました。
五城目町のみなさんにはすぐに電話を入れました。
そして、苦渋の決断で今回は警察に被害届を出そうとなり、被害届を出し多くのメディアに取り上げられたのです。
壊された賽銭箱知った五城目町の職人さんはご高齢で大槌には行けない...持って来てくれれば直すと言ってくださいましたが、僕たちで何とか直してみせます!と工房に運び、大事に大事に直して翌月の月命日に建てやの床と賽銭箱をネジで固定して戻したのです。

それまで、月命日に回収をしていたのですが一週間に一回は回収しようという事になり回収に向かう7月18日早朝に、阿部石油社長さんから電話が鳴り
『賽銭箱がなくなってるぞ!』
と....焦って献花台に向かうとバールでこじ外し賽銭箱は役場庁舎横の仮設トイレの横の捨てられていました。
現場にいたみんなが怒りに震えました。 
しかし、それ以上に恥ずかしいし情けないという思いが強く、何よりもここに来てくださったみなさんに申し訳ないと言う気持ちでいっぱいになりました。
『もう、警察に届けるのはやめましょう。 しっかり固定してとにかくマメに通いましょう。』
となりまして、今度は賽銭箱自体を組子で囲み床板も補強してネジもより強靭な物を使い、回収するのにも床からネジを外さないと僕たちも回収出来ない状態にして、ソーラー式のセンサーライトも設置して、もう二度とない様にと祈る様な気持ちで賽銭箱を再設置しました。

その一週間後の23日の午前4:45に細川会長から電話がなり
『また、やられた。』
と....飛び起きて献花台に行くと、パトカーが停車していてもうすでに警察の方々が現場検証をしていました。
なぜなら、夜間見回り強化してくださっていた警察の方々が明るくなり始め最後の見回りに訪れたら賽銭箱がなかったと。 そして、細川会長に電話したとのことでした。
また、仮設トイレ横に捨てられていました....
怒りに震える細川会長は即決で
『被害届出す! 捕まえてください!』
となり、またメディアで取り上げられる形になったのでした。

今年3月の月命日にみんなで
『今年のお盆までには、きちんとした建て屋を作ってみなさんが手を合わせられる様にしましょう』
と話していました。
しかし、私達か考える建て屋建設には大工さんに相談した所150万円ぐらいはかかると言われてしまい....とてもじゃないけど建てられないと諦めかけていましたが、6月に盗難あった時点で足りなかったらみんなでその分を負担が大きくなるかも知れないけど出し合ってどうにか建てようと決めていました。 この時点で郵便局の口座には87万3千454円でした。
大工さんには忙しくて頼めないので、自分達で建てればなんとか足りるのでは?と、材料を手配して建設準備を始めました。

材料も中々入手出来ず、また、東屋式宮づくりの建て屋は僕たちが作るのには技術的にもかなり困難で夜遅くまで5人掛かりで製作しても工期が遅れてしまい屋根までは完成させらないまま、お地蔵さんを寄贈していただける8月6日に役場前に何とか形にして建て屋を設置。
6日からは現場で加工しながらやっと屋根板まで脹れたのは13日夜7時過ぎ。
そして、賽銭箱は建て屋建設までは毎日夜は持ち帰り、建設後は仕事が終わった後に毎日回収していました。
そして、お盆にはいりました。
14日は夜9時に回収。
15日は実家に行くため僕が回収に行けないので、鍵をお渡しするので誰か行けませんか?とみんなにお願いをしたのですがみなさん親族が来たりと行けず....
16日、15:30に献花台に向かうと多くの方が手を合わせてくださっている状態でした。
灯籠流しの予定もあったため、夜灯籠流しに参加した後に回収に来ようと灯籠流しに参加後に献花台に行けたのは夜9:30でした。
献花台を目の前に目を疑いました。
そこにあるはずの賽銭箱がないのです....
すぐに、阿部石油さんに電話して確認した所、お店を閉めて帰るときにはあったと!その時間は夕方の6時。 パニック状態で警察に電話して、みんなで日付が変わるまで旧役場周辺を懐中電灯片手に探し歩きましたが見つけられず....

そして、メディアでの報道。
励ましのお言葉も頂きましたが厳しい言葉もたくさん頂きました。
確かに、防犯が完全ではなかったし落ち度もありました。
しかし、口惜しくって口惜しくって寝れない日々を過ごしていたのですが、26日に吉里吉里海岸で発見されたと警察から電話が鳴りこの事もメディアで取り上げられ、五城目町のみなさんからすぐに
『直せるのか? 大丈夫か?』
と...正直、もう賽銭箱を置くのはやめようと話をしていた中での発見、そして五城目町のみなさまからの電話、みんなで協議して何とか直して設置しようとなり11日目指して修理をしてこれ以上ないという防犯対策の準備をしていました。

そして、本日大槌町役場から電話がありお話に僕と上野さんで行って来ました。

結論から申し上げます。
設置をする事をやめる事になりました。


黙認状態で役場所有の土地を借りる形で献花台、賽銭箱を置かせていただいている状況でした。
口約束での設置でした。
本来は契約を交わさなければ行けないのですが、これまでの経路を今日役場でお聞きする事が出来ました。
役場と正式な書類をかわす事により現法律では賽銭箱は置けなくなるそうです。
だからこそ、町役場は黙認と言う姿勢を取ってくださっていた事を知りました。
この所の盗難事件の連発によって黙認と言うのが厳しい状況になってしまったと説明を受けました。
なぜなら、献花台を設置している旧役場庁舎の保存に関して凄く複雑な町民感情がある中で、この所の事件によってお叱りの声が役場にも多く届いている状況である事も含め、旧役場前の土地賃貸の正式な契約書を結ぶ方向性で進むという事になりました。
また、町長さんはじめ役場の気持ちとしては大変ありがたい活動をしてくださっていると思ってくださっている事、そしてこれまで黙認してくださった事情もお聞きする事ができ、今後の事を考え再設置を取りやめる事になりました。
五城目町のみなさんにはすでに事情を説明しました。

紆余曲折ありましたが....
何とか建て屋建設まで漕ぎ着けられました。
五城目町をみなさまのご支援を始め世界中の方々があの献花台を訪れてくださり賽銭箱にご寄付頂けたからここまでこれました。
本当に感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。


また、これまでに賽銭箱に集まったお金は建て屋維持管理費に使わせていただきます。
そして、今後は町民有志でお金を貯めてこの震災で犠牲になった1284名の町民みなさんの名前を彫った木札を来年の3月11日までに設置する予定です。

これからも鎮魂の場所としてみんなで力を合わせ献花台を守って行きます。

大槌町 献花台を見守る会
事務局 池ノ谷 伸吾

住民による防潮堤勉強会に参加して来ました。


防潮堤勉強会第2回に参加して来ました。
14.5mというこの防潮堤が決まるまでのおさらいから

震災直後(今現在ももちろん)住民感情は、
『ふるさとに戻りたい』
『早くしてほしい』
という気持ちが強い中で、
『伝統と歴史のある元の場所にみなさん戻りたいですよね?
10.5mと14.5mどちらが良いですか?』
と最初から防潮堤ありきで高台移転案を一切示さず始まった。

そして、復興計画の説明会では、
「高台移転や他の方法はないのか?」
と質問しても
『この計画が一番みなさんが早く戻れる計画なんです』
の一点張りであり...
「代案は今から計画しても遅れるだけですよ」
と言われればみんな黙る。
当たり前だ。
選択するにいくつか代案を一切示していないで決めた計画に、この計画もあの計画もない。
『一番早く』ではなく、『これしか考えてないんです。』
とはっきり説明すべき。

『命と財産を守る』
というもとの防潮堤計画。
そのために14.5m必要と説明する行政。
しかし、言葉で安全というだけで物理的な話や納得出来る様な資料は一切示されていない。
また、シュミレーションでは東日本大震災クラスは超えてしまいますが、浸水までの時間を稼げますし、万が一超えてしまっても土盛りをする事によって建物の崩壊を招く高さ2m以内に収まるから安全ですし、みなさんが財産を失う事はありません的な説明...

『2年半という月日が住民感情が変わって来た今だからこそ、計画を見直すべき』
という言葉が出だし、住民が民意で集まりこの14.5mに疑問を持ち出した。
また、ここまで待っても計画ばかり、未来の予定など一切建てられない、こうなっら一からやり直したって良いんじゃないか?という方も増えだしたのも事実。

その時期と同じく国は
『決まった計画でも変更可能で、防潮堤予算を他の予算に組み替える事も可能にする』
と指針を示し、岩手県知事は、
『もう一度、住民の声を聞き見直しも検討した方が良い』
報道された一週間後に、大槌町議会で
『計画は変更しない!』
と決定。

これが現状。

町を歩き続けている議員さんが議会で
『住民が現状復旧してくれるだけで良い高い防潮堤より先に避難路と避難場所を作ってくれと言う声と、現状復旧してそれから民意を取って高さを決める方法もあるのでは?と言う声を多く聞くが町としてはどう考えますか?』
との声に
『一部でそういう声が上がっているのは聞いていますが現在の計画を変更する予定はありません』
と説明している合間に
『そうだよな! まさか、今更計画を変えるなんてバカな事言わないよなぁ~
このまま行くに決まってるだろ~!』
と大きな声を上げる建設関係会社の議員を中心とする議員。
また、この議員は復興戦略会議の一員であり浸水した町方地区で被災、しかし住民が戻るという事を推進し続けているが、本人は浸水しなかった場所に住居をとっくに建て終えていて、すでに新たな生活を始めている。
また、計画通りすべて進んで最短で2年後に一部県道沿いの方が家を建てる予定で、ほとんどの方は4年後以降になる。
また、安渡地区は900世帯流されたのに、防潮堤と土盛りで戻れる世帯は現在の計画で110世帯、それも最短で4年後、それ以外の世帯は現状土地の確保さえ出来ていな状況。
『計画が決まったので、この計画で進めて行く予定』
とどの地域も説明されている。 住民が
『本当に決定し出来る時期とかはいつとか言えるものはないのか?』
という質問に
『来年3月にみなさんに報告出来る予定です』
と答える行政。

これを読んで、?????と思いませんか?

自分がいつ家を建てられるかまったくわからない状況、子供達がこの町で生きて行けるか?と疑問を持つ若い世代。
仮設でもう良いという人と、ここで死ぬのはやだ!早く戻りたいと言う年配者。
震災以前から声が大きい年配者と権力者が町を動かしている事を嫌というほどわかっている若い世代と一般住民....
震災直後、『もしかしたら』という気持ちだった。
しかし、時と共に
『復興より先に戻らなくていいこの町の悪い所が先に戻った、やっぱり』
と言うあきらめも生まれ始めている。
しかし、ここは常時ではない。
だから、あきらめの心が生まれだしているが現実からは目を背けられない。

ここに来て、やっと少しづつ周りを見る事が出来る様になり、
『おかしいぞ、このままでいい訳がない』
と多くの方が思いだした。

だから、今になって
『復興計画と防潮堤を見直してほしい』
と民意で動き出した。

また、今の計画であの日を経験したみんなは安全などない!と確信している。

もう、失わないまちづくりをしてほしい。
逃げなくていい場所に住みたい。
若者達が希望を持ち町で生きられる環境をこの機会に失わない場所に作ってほしい。

14.5mの防潮堤予算350億円をやめて現状復旧し、高台に復興予算を使ってほしいと思う住民の声は一切届かず反映することどころか、耳を傾ける事もしない町行政...

この町に希望や未来は???

だからこそ、知らないではなく勉強していかなくては行けない。


現在確実に言える事は、4年間待てる体力がある町民はほとんどいないって事。
また、寒暖の差が50度を超えるこの場所ではそれまで仮設住宅が持たないという事。
来年度以降、その間待つための災害公営住宅建設のための土地確保も出来ていないという事。
災害公営住宅に入ってしまったら住宅再建の補助金は一切でないという事。
災害公営住宅の家賃は一世帯収入で決まり、年金受給者や生活保護受給者など最低収入の方は月3000円だが、子供を何人持っていても夫婦で収入が月30万円だと67,000円を超えるという事。
働く場所を企業誘致と行政は言っている反面、住民の住居すらないのにその企業で働く方やUターンIターンの若者の住居などまったく建設や補助の予定がないという事。
求人をいくらしても来ないという事業主、しかし、職業安定所のデータでは震災以前より働いている方が多いという事実。


いろんな問題が防潮堤だけではなく絡み合うこの場所。

しかし、この震災で残った大きな財産は高校生を始めとする子供達!
子供達の未来のための計画にすべきであり、その為に大人達は残されたと言う気持ちになればこの町の未来は明るい。

巨大防潮堤という負の予算は絶対に子供達に残してはならない!

大槌町の今





見て見ぬ振り、そして、知らないじゃすまない問題です。

大槌町で今回被災したのは3750世帯。
現実的に浸水域に戻り自宅再建と言っている世帯は1000世帯弱。(建てるのは保留で土地はキープって方がほとんどだから)
ってことは?
防潮堤と水門だけの予算で一世帯戻るのに3500万円。
土盛りやインフラ整備を考えると、家を建てる以前に一世帯あたり浸水域に戻るために国税が最低でも5000万円投入される事になる....
自分の土地が無料だとしても住宅建設のお金1500~2000万円。
という事は、今回クラスは絶対に防げなくて、安全ではない浸水した所に最低でも6500万円かけて、みんな再建するって事。

この防潮堤と水門にかかって来る将来の負担は?
コンクリート構造物は50年間しか持たないから単純計算で350億÷50で、ランイングコストは年間7億円という事。
それは、出来てしまえば将来永遠に津波の恐怖と戦いながら町民が払う事になる!
10000人の人口でも年間一人負担7万円...
あっ吉里吉里や浪板の分足すと、一人10万円かな?
そして、高齢者や子供達をのぞくと一人25万ぐらいかな?
人口減少から考えると、現実的には成人一人年間40~50万円ぐらいかも...


大槌町は、震災以前、人口約15,000人。
この震災で亡くなられた方は1,288人。
町のホームページでは人口約12000人。


しかし、最新情報では町外に住所を移された方が人口の29%。
て事は?
現在、実際の人口は8000名といっても大げさではない。
約5400世帯中、仮設住宅が約2000世帯という現実。
うち高齢者37%。
生活保護支給者約20%
現在町の産業の復活率は30%前後。
高校卒業後、町に残る子は1~2割。
仮設小学校/中学校からに本設になり通える様になるのは最短で29年度の予定。

安渡地区で被災した家は800~900世帯で、現在計画上で家を再建出来る土地は110世帯分しか現在はない。
それすら予定としか言えない行政....


計画ばかりで決定のない復興計画。
『〇〇の計画の予定です』
ばかり....
決定したのは本当にどの部分かも曖昧で、説明を聞いていても実質きちんと計画を理解しわかる町民がどれだけいるのか?
きちんとした、数字を示さないから混乱を招き続けてる。
ここに書いた事も、ここで書いたら立場があるら言えない方からの情報ばかり...
役場職員のほとんどの方が『おかしい』と思っているのも事実。
なぜこうなってしまうのか?
何の力が働いてるの?
国は、
『決まった計画でも見直して良い』
と言い、達増知事は
『計画ありきで民意が反映されず、計画が実施され出来上がった頃に住民が出て行ってしまい人がいないではマズい、もう一度民意を確認してほしい』
と言っているのに。
防潮堤を考える会の発起人の一人にもなった碇川町長...
防潮堤を見直してほしいと言う6000もの署名を受け取っているし...

どういうこと?

苦しんでるのは、町民。
役場職員も町民だ! 立場上動けず苦しんでるんだよ!
なぜ?
どうして?
何が起こってるんだ?


20年後の人口は?
防潮堤維持管理費は町民一人当たり一体いくらになる? きちんと計算すべきだ!
それをふまえて、町民で決めるべき問題のはず、いや、国税を使うんだからそれではすまない!
この町に未来があると思う?

もちろん、防潮堤問題だけではなくこの町が生き残るための策を考えなければマズいのは確か!
しかし、負の遺産を残す決定は今すぐ決めるべきか?
浸水域外で、町に財産を生むべき事をすぐ決めていかなければならないし、一つでも実施して行くべきで大切な事なはず。
てか、それをして行かないと本当に人がいなくなる。
まずは、防潮堤問題以上に浸水域外の土地問題と、住居問題を解決しなければいけないのではないか?
今の復興計画待っている時間はもうない!
浸水域に戻れるまで待てない状況なのに....
そっちの話題や対策や計画、説明は皆無に近い状況。
『難しい』
と言って避けて通れない。
また、14.5mの防潮堤を作った場合、住民負担になるんだからその分を払って行ける経済力を作り出すための計画もなくてはならない!
この現状をふまえて現実的に可能なのか?
霞ヶ関に土下座してでも、お願いしなければいけない問題だ。
これは、大槌だけの問題ではない!


この住民懇談会の現状が正しいと思う?
住民がこの町で生きて行く勇気を持てる?


俺は
『絶対に間違っている!』
と思うのですが、みなさんどう思います?


最後に....
僕だって書きたくて書いてるんじゃありません。
大槌町委託事業をさせていただいている団体の代表です。
12名が恩恵を受けこの町に留まる事が出来ています。
本当に感謝しております!

また、復興庁とも契約いたしました。
いろんな方に
『立場があるんだから、熱くなるな!』
とか、
『黙って自分の生活を考えろ!』
とか、
『なんでここにいるの?』
とか、会った事も話した事もない方から
『被災者集めてあいつ金儲けしてる』
『目立ちたいだけだろ?』
とか、言われてるよとか、言ったらきりがないきりがないくらい言われてます。
もし、本当に金儲けするんだったら大槌には僕はいません!
もし、目立ちたいなら元の職業に戻ります。

なんで?
誰かが発信しないといけないと思うんです。
僕はもしかしたら大きな過ちを起こしてるのかもしれません。
しかし、これまでの生き方を曲げたり、自分に嘘をつきたくないんです。

そして、毎日の様に工房を訪ねてくださる町民のみなさんが背中を押してくれるんです。
大槌に生まれ育った方は声を上げられないと日々感じてるんです。

僕の役割だとも思ってしまっています。
過激な発言で、引かれて行く方もいます。

しかし、信念と志を持ちやれる所までやっていきます。


大槌役場のみなさん、僕は行政と喧嘩するつもりはありません。
震災以前からの習慣や風習も含め、本当に現実と向き合わなければ将来が大変な事になると思うからこそ、どうにか出来ないものか?と接点や落としどころを探しているだけです。

しかし、いずれ戦わなければいけない方がいる事もわかってます。
多分、町民のみなさんもわかってるはずです。
出て行ってしまった町民が戻って来れる町にするには、絶対に避けては通れないと思うのです。

バカで生意気な男ですが、これからもよろしくお願いします。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>