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御教歌
人にさせ せぬをとくかと おもひしに
おのが果報を へらす損あり
明治、日扇上人の時代、林甚太郎という信者の話。
子供が五人いて、食べ物にも困るほど貧乏で、身体も弱かったが、大津のお寺の大灯籠の油を、毎日買っては、参詣して灯していた。
京都へ向かう街道沿いにある大灯籠は、道行く人々の道しるべであり、安心の象徴でもあった。
ある時、ある別の信者が、「そんな良い事をしているのなら、今度は私にもさせてくれ」と言った。
しかし、甚太郎さんは、「あなたは身体も丈夫だし、まして貧乏でもないから、ほかにもっと大きなご有志もなさっていますが、私は、わずかな油を供えるより、何にも出来ないのです。どうかこれだけは、私にさせてください。」と言われて、ずっと、ずっと、続けられたのてす。
そして、甚太郎さんは、元気で長生きをし、子供たちも健やかに育って、ご信心のともしびに照らされて、家族みんなが温かく暮らせるようになったそうです。

人にさせ せぬをとくかと おもひしに
おのが果報を へらす損あり
明治、日扇上人の時代、林甚太郎という信者の話。
子供が五人いて、食べ物にも困るほど貧乏で、身体も弱かったが、大津のお寺の大灯籠の油を、毎日買っては、参詣して灯していた。
京都へ向かう街道沿いにある大灯籠は、道行く人々の道しるべであり、安心の象徴でもあった。
ある時、ある別の信者が、「そんな良い事をしているのなら、今度は私にもさせてくれ」と言った。
しかし、甚太郎さんは、「あなたは身体も丈夫だし、まして貧乏でもないから、ほかにもっと大きなご有志もなさっていますが、私は、わずかな油を供えるより、何にも出来ないのです。どうかこれだけは、私にさせてください。」と言われて、ずっと、ずっと、続けられたのてす。
そして、甚太郎さんは、元気で長生きをし、子供たちも健やかに育って、ご信心のともしびに照らされて、家族みんなが温かく暮らせるようになったそうです。





