● 体幹から下半身の運動線
こんにちは、山崎です。
トリートメントっていわれる施術を受けてきました。
如何わしいお店ではなく健全店ですが、「頭、首、ふくらはぎなどが硬いですね」って言われてしまいました。
「おぉー、恥ずかしい」
でも、これは第三者が観察した僕の現実の身体であり、僕の身体なんてその程度のものなのです。
常日頃、偉そうな文章を書かないよう(実力の3割引で表現するよう)に気をつけていますが、ブログを見ていると「凄い」っぽく自分を演出している人が多いですよね。
あるがまま書いたらいいのにと思いますが、自分の長所ばかりを表現しようとする気持ちは過去の経験から分からないでもありません。
でも、実際に会ってみると「残念!」って気持ちになられる方が嫌じゃないですか?
どうせなら、実際に会った時に「たいしたことないな」と思われるより、「なんじゃこりゃ」と驚愕してもらえる方が僕は嬉しいので、自分のダサい部分を「素直に表現すりゃいい」と思って書いています。
20年もの間、片頭痛で苦しみ、10年間、腰の痛み(いわゆる腰椎椎間板ヘルニア)で苦しんできたので、僕の元の身体はまるで“運動センスに欠けた身体”でした。
元々はそのような人間でも「心も体も変われる」ことが分かってきたので、今は「俺って凄いだろー」ということを伝えたいのではなく、
「こんな俺でも変われるんだから、あなたも変われるんですよ」
ってことを伝えたい。
和身塾でも「こいつ全くセンスないなー」と過去に思っていた人が、みるみるうちに変わっていく(動きが美しく見える)姿を目の当たりにして、彼の長期に渡る真摯な態度に感動を覚えます。
短期間だけ真摯になるってのは、誰にでもできますからね。
僕は自分が真摯でも何でもありません。他人に自分の姿を晒すのは恥ずかしいと思うほど僕は真摯じゃない。ただ、自分の身体が“悪い癖だらけ”だから、真摯に取り組まないと変われない。だから、やらざるを得ないだけなのです。
前置きが長くなってしまいましたが、施術などを受けていると自分の悪い癖が嫌でも見えてしまうので、ふくらはぎなどの緊張が取り除ける「体幹から下半身の運動線」を発見せざるを得ませんでした。
「よし、これならどこにも緊張がないぞ」
と発見できたのですが、まだこの運動線を身体が覚えていないため、また元の悪い癖に戻ってしまうので、これから最低でも3ヶ月ぐらいは、四六時中この運動線が常に出現するよう注意を向けようと思っています。
現段階で気付いている悪い癖の代表格は、「腓骨」に体重が乗ってしまうこと。
こうなると、脛骨の延長線上にある足裏の内側(踵のやや前方)に体重が乗らず、ふくらはぎの外側、ふとももの外側、体側、背部などの筋肉が緊張し、ブレーキとして働いてしまうため、アクセルを踏むと“力み”が発生してしまいます。
このブレーキが発生するという問題を解決する方法論は、「体操」や「ほぐし」ではなく、自分の身体に「注意深くなること」であり、まずは自分を否定する勇気を持つことが求められます。
よく成功者が「失敗は成功の元」みたいなニュアンスで発言されていることを耳にしますが、身体でも同じプロセスを経る必要があります。
身体では、
筋肉の緊張という「違和感」に気付くこと
が大切ですが、ほとんどの人はこの“違和感”に気付かず、「そこに体重が乗ったらアカンやろう」という箇所に体重を乗せ、骨組みではなく筋肉を緊張させることで姿勢の安定を保っています。
筋肉の緊張で身体を支えている癖を徹底的に否定しなければ、本当の運動線は現れてこないのです。
治療家らは「対角螺旋」という言葉をよく目にすると思いますが、実際に身体の動きは螺旋構造になっています。
しかし、それらは知識(情報)として知っているだけで、それを自分の身体で体感し、運動線として普遍的に体現し、施術に活かしている人はほぼ皆無なはずです。
これを施術に活かせると、顧客は「ハマった」という感覚を味わえます。
本来あるべき運動線が出現し、不要な筋肉の緊張がほぼなくなっている状態ですが、他者にこの感覚を味わってもらえる施術をするには、まずは自分自身が「ハマった」身体を体得することです。
でなきゃ、他者にハマった感覚を味わってもらえる施術を行うことは(絶対に)不可能です。
まぁ、険しい道のりですが、険しい道のりだからこそ自身が「挑む価値」があるし、顧客にも本当の価値を提供できるのではないかと思います。