木に魂はないの?で石とかにはないかも?と言いましたが
これについて訂正します。
万物に魂は存在します。
魂って言うか
魂の素材と言うか
これについては風呂が泣いてるの話を思い出すと
人間が形を変えてしまった、物質にも波長や波動、何か放射するものがあったから、彼はそれを感じ取れたのでしょう。
風呂釜を構成する物質にも、そのようなものがあるのだろうと思います。
科学的・物理学的に言えば、素粒子はどんなものをも通り抜け
どんなものにでも滞在する。
人間ほど複雑で、意識のないところでも常に動いている部分があるものにとってはその物質が大量に必要で、本来重力に影響されず、重量の無いはずの素粒子が、人間の死んだとき8グラムもそれを失う。
もし魂が素粒子ならば、それはとんでもない量と言うことになる。
魂=素粒子と物理学者は感じるようですね。
死後の世界の表現が、素粒子の世界では可能となるので、素粒子が魂なのでは?と思えなくはないです。
興味ある方は量子学や脳量子学などの本を読んでみてください。
素粒子は宇宙のどこにでも存在し、人間の体や地球を高速で通り抜け、その速度は光速の比ではなく、何億光年先にでも瞬時に移動してしまう。
スピリチャアリズムの方が、あなたの前世はスピカの・・とか他の惑星の住人であったと言う人がいますが、あながち嘘ではないかも知れません。
ただ、地球から見える巨大な恒星の名前しか出てこないのは解せませんが・・
そこにあった魂=素粒子が地球に到達するのに何億年もかからないのです。
それどころか素粒子は同時に違う場所に存在することができる。
同時に別の場所で意識を残すってのは、霊の世界では分霊と言えるのでは?
死んだ人が、一つのところに留まらず、あちこちにその意識を残してしまうことはあるだろうと思います。先日の友人もそれを行っていると感じることがあったので、魂の一体化と同時に自分の意識をあちらこちらに残してしまうこともあるのだと思います。
死んでも、なおかついろんなところに思いを残す。どこかに強烈な思いを残す。誰かに執着する。何かに執着する。
これをやると死んだのちにこの世の幽霊となるのだろうと思います。
皆さんがそうならないようにと祈っています。
お祓いされるような死後を迎えませんことを祈ります。
魂の一体化って?と思った時、宇宙=それじゃないの?と思えるのです。
いえ、宇宙どころの騒ぎじゃない。
宇宙をも包み込んでいるのが魂の一体化ではないのだろうか?
宇宙と溶け合い、みんなと一つになって、宇宙をそれ以上に大きい何かを育てるエネルギーになってるのではないだろうかと思う。
仏教に曼荼羅ってありますよね?
空海の持ち込んだ曼荼羅は両界曼荼羅と言って、現世で大日去来が皆に慈悲を施していると表現されている『胎蔵界曼荼羅』と欲望を擬人化して表現してそれを怒りや慈悲の心を持って悟りへと導く、こころの中の世界を表現した『金剛界曼荼羅』と他にもたくさんあるのですが、空海の持ち込んだ曼荼羅はこの世と内側の両方に大日如来が存在することです。スピリチャアリズムでも節理と言う神は宇宙をつかさどり、体の中にも宇宙があり、一人一人が神であると言ってます。
同じこと言ってますよね?
ここは空想と妄想の世界で考えると人間の内にも外にも宇宙がある。
宇宙がどんなものか。我々はすでに知っています。その宇宙が体の中にあるかも?と言うならば、宇宙の外側に体が形作られているかも知れない。逆に言うと体の中に人が住んでいるかも知れない。もしそれが延々と続くのであれば、同じ時間を同時に進行させながら、外の人はちょ~長生きで内の人はちょ~短命。そして魂はそのどちらにも簡単に行けて、そのどちらの人間に?にも簡単に生まれ変わることができる。短命がいいですか?長寿がいいですか?まあ、その世界にいれば、感覚的時間は我々の感覚と同じなのでしょうけど、外から内を見たとき、ちょ~早いサイクルで生き死にを繰り返し、嫌なことを何度も経験したりすることになる。
さて、あなたはどちらがいいですか?
もう~頭が爆発しそうなくらいおかしくなりそうですが、量子学と仏教を結び付けて考えるとどうもそんな答えになってくる。
六道輪廻もそれを感じて、内外に生きる世界が存在し、内外の世界を合わせて6つ見つけた時、それを表現する方法を知らなければ、畜生道であるとか、曼荼羅図であるとかに表現するしかなかったのではないだろうかと思えるのです。
あなたが苦しみを何度も味わいたくなければ、外のご長寿世界を目指すべきでしょう。そのためにはそこに生まれ変わる順番を待たなくてはなりません。長く一体化を過ごすわけですが、あなたの思ったことは、言葉にしなくても相手に伝わってしまいます。あなたは嘘つきであったり、ごまかす癖を持っていたならば、それらはすぐに悟られます。あなたはそこに居づらくて、手っ取り早く生まれ変わろうと逃げてしまうでしょう。そうすれば、この世なのか、内側なのか、何度も嫌な経験をすることになります。
あの世とやらで、みんなと暮らすことのできるように、どんなに嫌なことも許すことのできる大きな慈悲の心を持つこと。
あの世とやらで、みんなと暮らすことのできるように、つまらない見栄や自分の欲望を捨て去ることのできるようになること。
そうならなければ、LINEで悪口を言われたからと簡単に殺されるような世界に居なければならなくなるのではないでしょうか?