プラトン哲学と国家の独立①・・伊藤貫【時事所感150】
道徳観念、価値基準、価値判断基準、価値判断力、価値判断思考力についてのお話を数回に分けて御紹介します。
現在の日本、日本人の道徳、価値基準、価値判断思考力の乱れ、衰退について、哲学思想と国家の独立等、
暫く数回に渡るお話の最後までお付き合いいただければ御理解の一助になると考えています。
お話は伊藤貫氏です。
※伊藤貫・・・東京出身、東京大学経済学部卒業。国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家、評論家。米国ワシントンD.C.在住。
(以下、伊藤貫氏)
今回は普段お話している内容より相当抽象的な内容に
なります。
普段から皆様にお話したいと思っていて、かなり重要な点です。
政治思想史や哲学史といった大学の講義のような内容の話になります。
この政治思想史や哲学史の話は相当重要なテーマで、
以前から皆様にずっと話をしたいと考えていたんです。
しかしながら、これをお話するに際して、なかなか皆さんに理解して頂けない。
理解して頂けないというか皆さん煙たがる表情で、
「面倒くさいこと、小難しい事を言わないで欲しい」という感じで多くの方が嫌がるんです。
私がお話する動画はいつも沢山の視聴者さんに観て戴けるんですが、
今回だけは数万人か若しくは数千人程度しか観て頂けないかもしれません。
しかしながら米国ワシントンから日本の外交政策や国内政策等を観察していると、
いつも表面的な議論ばかりしていて、同じような物凄く表面的議論ばかりをずうっと繰り返しているんです。
このままでは確かな政治政策、経済政策、国防政策は出せません。
何故かと理由を言うと、
これでは論理的に整合性のある一貫した政策というのは
出てこないんです。
哲学史や政治思想史の点から議論を始めないと、
何故日本人は過去100年~約110年の間、そして戦後の日本、特に大正デモクラシー以降の日本人は表面的な議論ばかり繰り返していて、
長期的な展望、明瞭な価値判断に基づく国内政治や外交政策に失敗してきたのかという点を説明しても、
皆さんになかなか御理解いただけないんです。
このために今回は哲学史や宗教レベルにまで踏み込んだ話をします。
この話を面白く感じる、興味・関心を持たれる方もいらっしゃるであろう一方では、
つまらない話を喋っているなと思う方もいらっしゃるでしょう。
今回の講義内容、話の前半部分は、人類史過去約2500年の間の哲学史において、価値判断や価値基準、ものの考え方が如何に変わってきたのか、
特に最近の約200~250年、欧米人の価値基準、価値観がどのように変化し、それによって欧米人の価値判断力が変化したか、
それに伴って、日本人が如何に影響を受けてきたのか。
もっと端的に述べると、ここ最近の価値基準が変化して、価値判断の思考力、判断力等の能力が衰退してきた欧米人に日本人はかなり影響を受けてきた。
これについては勿論のこと、19世紀中頃まで日本人は外国と価値基準、価値判断について直接議論する場に立つことが無かったわけです。
日本が(国際社会において)国を立ち上げた途端に、
価値基準が変化して価値判断力が衰退してきた欧米人と向き合わなければならなくなって、
そういう価値判断力が衰退してきた欧米人と付き合わなければならなくなった日本人、そういう欧米人に日本人は鼻面を引っ張られて、日本人はかなり弄ばれたんです。
これは「過去約250年の日本の悲劇」だと思います。
18世紀までの欧米人というのは、
然程頻繁に自らの考え方や意見をころころ変えたり、簡単にポンポンと価値判断基準を変える人たちではなかったんです。
しかしながらここ最近の過去約250年は欧米人は落ち着きを無くしてしまって、
そういう落ち着きを失った欧米人たちが自分達に都合良いことばかりを言うようになってきた。
その時その場で自分達に都合良いことばかり言うようになった欧米人たちが、
自分達に都合良い価値判断基準等を非白人諸国にアグレッシブに押し付けているんです。そういうことを過去約250年ずっと繰り返してきているんです。
そういう欧米人、欧米諸国、西欧文明に日本人は押しまくられてきたんです。
そういう西欧人、西欧文明に押しまくられて、
それに日本人は懸命に対応しようとして、懸命にそれをキャッチアップして、時には猿真似してみせて、そして失敗して。
こういうことを繰り返してきているんです。
現在もそうなんです。
(続く)
R4/10/8
