好きか嫌いかで考えれば楽になるのだけどね | 日常の中の非日常

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タイトルを変えてみた。
仕事のことなんかも書いてみたり。

こんなのを読んだ。

またお前か 続き ~競馬とは馬とデータとあとは運

近いうち、このエントリは消されるらしいので、リンクを貼るのは微妙な感じですが。

安田記念での岩田康誠ジョッキーの騎乗について書いたエントリ。ロードカナロアに騎乗した岩田騎手が、かなり強引な騎乗で他の馬(2着になったショウナンマイティ、3着になったダノンシャーク)に不利を与え、優勝したにも関わらず非難されていることに対する意見の内容。

コレを書く前にもう一つあって、そっちに対してコメント欄で非難されたことに対してのカウンターパンチとしての色合いの方が強いかな。

こっちが安田記念直後のエントリ。

またお前か ~競馬とは馬とデータとあとは運

昨年のジャパンカップもそうだし、今回の安田記念も、岩田騎手の騎乗は決してクリーンとは言えない。かなり強引に勝ちに行っていることは間違いない。特にジャパンカップは、僕は見た瞬間に「降着ちゃうか?」と思ったくらい。まあ、ああいうレースで一着入線馬を降着させるほどJRAの腹は座ってないと思うけど。

でね、最初の「またお前か」の方に書かれた内容は、それなりに理解できるし、同感もできる。それでも多少の違和感はあったんだけど、無視出来るレベル。それが、続きを読んだ時に無視できない大きさの違和感に変わった。

何なんだろう、とこの違和感について考えてみると、1つの答えにぶち当たった。

このブログ主さんは、『自分の好き嫌い』を『正しい正しくない』『善い悪い』で語ってるから違和感があるんだ。

正しさって、いろんな見方があるから、それを証明するのってすごく難しいと思うのよ。上記したように、岩田騎手の騎乗はクリーンじゃないし、僕自身も好きじゃない。だけど、正しいか正しくないかで話をすると、

 ・ルール上は問題ない
 ・制裁金は課せられたが、降着や失格はない

という2点において、正しいとも言えちゃうわけで。

そうなってくると、今度は善悪とか道徳的にとか、ますます曖昧な話になってしまう。ならざるを得ない。そうすると、コメントで書いている人のように、半ば感情的に揶揄したコメントを書く人が出てくるし、それに対して感情的な反応になってしまう。

どっちも自分の正しさを主張してぶつかるんだから、もう混ざり様がないよね。十字軍の遠征みたいなもんで、キリシタンにもムスリムにもそれぞれの正しさがあり、それを主張し合ってお互いに正義の為に戦う、みたいな話で、落とし所がなくなっちゃう。それどころか、貶し合い罵り合いになり、相手を貶めることに躍起になる。

不毛な事この上ない。

で、↓のエントリを思い出した。

「好き嫌い」ではなく「善悪」を語る、ずるい人たち ~ihayato.書店

イケダハヤト氏はどんな人間なのかもよう知らんし、正直興味もない。このエントリにも出てくる、切込隊長と異名をとる、やまもといちろう氏のことも正直よう知らん。興味ないし。たまにこの人達のエントリを見て、「あーこれは同感」とか「ちょっと僕とはいけんちゃうなぁ」とかって思うくらい。

だから誰のことを支持するとかそんなことは特にないんだけど、このエントリに関しては僕も同感。正しい正しくないって、自分じゃなくて他の所に基準をおいてしまうんだよね。自分の意見を、『正しさ』という一般論にすり替えて主張してしまう。そこに大きな問題があるんじゃないかと。

もっと自分の好き嫌いに正直になって、素直になって、自分はコレが好き、俺はコレが嫌い、と主張するだけでいいんじゃないかと思うのよ。

てか、そうしないと相手の意見を受け入れることは出来ないよね。自分と異なる意見は、正しくないわけだから。

これは佐々木俊尚氏の著書『キュレーションの時代』に書かれていた『マイノリティ憑依』と同じ構図だなぁ、と。正しさに憑依して、そこを隠れ蓑にして、自分の嫌いだという感情に正当性を与えて非難していることになってるんじゃないかな、と感じるわけです。

そうしたくなる気持ちは分かるし、自分の意見を本当に正しいと思っているからこそできることなんだと思うんだけど、それって不毛だなぁ、と思うわけです。

いくら自分が正しいと思っていても、他の正しさが何処かに必ずあるわけで。善悪での話も同じ。完全なる善も悪も存在しないし、善と善が対立するなんて腐るほどあるわけじゃん。だから自分の意見を述べるときにも、善悪や正誤で述べるのは、かなり危険じゃないかなぁ、と思ってます。

って、かなり偉そうに書いてますが、僕がこんなふうに考えられるようになったのはここ最近のことですけどね。

自分の好き嫌いで書くのはある程度勇気がいるけど、そう書かないとダメなんじゃないかと思います。

少なくとも僕は、『自分の好き嫌いを正誤にすり替える』のは、好きじゃないです。たとえ僕が嫌いなモノ(例えば読売ジャイアンツとか)について書かれているものであっても、そこが自分の好き嫌いについて書いているのであれば、非常に面白く読ませてもらってます。

もっとみんなも、自分の好き嫌いに素直になって主張したらいいんじゃないかと思います。

あ、あと、ここ最近の岩田騎手の騎乗は『大嫌い』です。もっとクリーンに乗ることはできるはず。それを怠っているとしか思えないし。


あれ?こんな終わり方で大丈夫ですか?