おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。
この世にはふたつの世界がある。
「自分の知る世界」と「自分の知らない世界」だ。
そして、障害者と健常者というのもそのひとつであるし、
外国人と日本人もそのひとつである。
このブログでも以前に、
人は、自分の内面を通してしか、他者の内面を見ることは出来ない
と書いた。
自分の尺度でしか、世界を計れないのである。
想像してほしい。
外国人が前から歩いてきた。
いかにも、何かを探しているが見つからないようである。
次の瞬間、目が合った。
あなたは、どういった行動するだろうか?
何を予想するだろうか?
多くの人は、目を逸らすかもしれない。
そして、外国語で話しかけられるかもしれない。
「どうしよう・・・」と思うのではないだろうか?
しかし、その外国人は、流暢な日本語で
「大崎の駅は、どこかわかりますか?」と聞いてきた。
先入観というものは、本当に厄介だ。
障害者だって、同じ。
よく支援者は、「彼は、自閉傾向があるので、指示系統を統一してください」
などという人がいたり、「視覚的な情報は入り易いですよ」と自信ありげにいう人を
よく見る。
僕に言わせれば、
先入観を与えているだけに過ぎない、無駄な助言だ。
障害者だろうが、自閉症の人であろうが、そうでない人だろうが、
どちらかといえば、指示者が5人いるより、1人だけの方が混乱しない。
文字で、長々と書かれるより、写真を見た方がイメージはしやすい。
誰だってそうだ。
そこに、自閉症だからとかいうのは個人的に好きではない(もちろん、顕著である特性もあるだろうが)。
ある本にも書いてあったが、
障害者や福祉の専門書は、専門家しか読まない。
専門職以外の人たちが、障害者や福祉を知る機会がないと。
僕は、福祉の専門家はもういらないと思う。
資格を取ることに必死になっても、障害者の立場にはなれないだろう。
支援ノウハウを学ぶと言っても、そんなノウハウはあるようで存在しない。
障害者を障害者としてみる福祉。
障害者をひとりの人間としてみる一般企業。
僕は、後者の可能性を信じたい。