こんばんは。

浄土宗の僧侶、真我です。

寺報の作り方講座や、寺報の制作事業をしています。

 

 

 

今日は、「お坊さんの家」の第1回目でした。

参加した僧侶は6人。

私を除き、みんな20代でした。

みんな慣れないながらも、各々の意見を交換できました。

 

このブログでは、その感想を、真我の主観いっぱいの捉え方で解説します。

 

 

 

「お坊さんの家」の進め方として、最初の20分ほどは誰かが“自分の気になること”を話す

そしてそれをテーマに、全員で自由に意見を出し合います。

今日は1回目というとこで、主宰の私が話をしました。

 

 

まず最初に「お坊さんの家」をやろうと思った理由と思いを話し、やり方を説明しました。

そして私が気になっている「ポスト檀家制度」について話をしました。

これについては以前、「ポスト檀家制度は?」という記事で書きましたので、こちらを参照してください。

https://ameblo.jp/shinga0321-89/entry-12591668011.html

 

 

 

 

このことを話した上でトークが始まり、色んな意見が出たので紹介します。

 

 

 

【お寺があれば僧侶はいらない?】

街中にお寺を構える人の意見です。

このお寺は、地理的にアクセスが非常に良いため、人を集める行事が度々行われます。

またお寺の歴史も深く、由緒あるお寺です。

そのため、“その場所”に“そのお寺”が存在していることに意味があり、僧侶が誰であるかは二の次だと感じる、という話でした。

つまり「僧<寺」です。

 

私が大事だと思うのは、僧侶一人ひとりの質であって、関係性で言うと「僧>寺」です。

これは、恵光寺が田舎のお寺だということも大きく影響しています。

街中のお寺とは、これほど感覚が違うということに驚きました。

 

 

 

 

もう少し書きたいですが、続きは明日にします。

 

それではまた次回に。

おやすみなさい。

 

こんばんは。

浄土宗の僧侶、真我です。

寺報の作り方講座や、寺報の制作事業をしています。

 

 

今日は、私が以前に所属していたバンド「PEGGY CALL」の配信ライブでした。

 

https://peggycall.wixsite.com/peggycall

 

https://twitter.com/PEGGYCALL_JP

 

私がいた時は違うバンド名でしたが、その時のメンバーがずっと頑張っているのを見て、嬉しいやらありがたいやら応援したいやら、そんな気持ちになりました。

 

今のメンバーになってはじめてのワンマンライブで、はじめての生配信ライブです。

トラブルもありましたが、正直、すごく良いライブでした。

(元メンバーとしてこういうことを言うのも恥ずかしいですが。。。)

今のメンバーが、本当に頑張っているなあと思って、嬉しくて、自分も頑張ろうと思いました。

 

 

 

バンドをしていた当時は本当に辛かったですが、今となっては貴重な経験として自分の中で生きて、活きているなあと感じます。

そしてバンドを辞めて一歩引いたからこそ、わかることがあります。

それが、お客さんの目線です。

 

 

バンドをやっていた当時、私はプレイヤーとしてやっていくのに必死で、お客さんの気持ちを全く理解していませんでした。

「お客さん目線が大事」だということは、毎日考えていましたが、考えるだけで、全然わかっていませんでした。

お客さんが見ようとしているものは、ステージに立つ人が見てほしいものと全然違う。

もちろん、お客さんが見たいものだけを追っていても良いものはできません。

しかし、こんなにも視点が違うのかとわかっていれば、、、と正直思うところはあります。

 

 

 

ドラムからしばらく離れたからこそ、わかったことです。

でも今現役で必死にやっている人たちが、そこから離れるというのは酷な話です。

一度でも離れたら、戻ることは非常に難しい。

しかし、何らかの形で、“一部”だけでも距離を取ってみるのは時には必要だと思います。

 

 

 

そして、「お客さん目線」がわかったと言いましたが、それよりも気づいた大きなことは、仲間の大切さと音楽の楽しさです。

 

 

、、、あつくるしい文章になってきましたね。笑

 

 

でも、それに気づけたことが自分にとって本当にありがたいことです。

これからも、“PEGGY CALL”、応援していきたいと思います。

 

 

それではまた次回に。

おやすみなさい。

 

こんばんは。

浄土宗の僧侶、真我です。

寺報の作り方講座や、寺報の制作事業をしています。

 

 

 

ドラムの練習用パッドを購入して、意気揚々と基礎練習を始めたのですが、やはりキックの音と振動が下の階の住人に響きそうなので、断念しました。

今は元気にスティックコントロールの練習をしています。

 

 

 

 

 

今日は、寺報をコンサートに例えてみます。

 

 

私は以前バンドをしていて、ライブも何度もしていました。

その中で、ずっと気になっていたことがあります。

 

 

 

 

バンドのライブに行く時、「ライブを観に行く」と言います。

しかし、クラシックのコンサートの場合、「コンサートを聴きに行く」です。

「コンサートを観に行く」とも言いますが、「聴きに」の方が多いように思います。

そして、「ライブを聴きに行く」とは言いませんね。

 

 

この違いは何なのか。

聞いたところによると、ライブは聴くだけではなくて、パフォーマンスを目で楽しむからだそうです。

「コンサートも目で見て楽しむ要素はあるけど、、、」とも思いましたが、しかしわからない話でも無いなあと思いました。

ライブは照明や映像を駆使して演出したり、また大きな動きを使ってステージングをしたりします。

お客さんは、音だけでなく、そのパフォーマンスや空気感を楽しみに、ライブに行くのです。

 

 

 

寺報でも似たようなことを考えられます。

以前から、私は「寺報は見るもの」と言っています。

それに対して、新聞は「読むもの」です。

文章が中心、というより、紙面のほとんどが文字です。

「観る」より「聴く」要素の方が多いコンサートと新聞は、共通するものを感じます。

 

 

一方、寺報はライブ的です。

読むだけでなく写真や絵を見せたり、ビジュアルをコントロールして情報を飛び出させる。

ありとあらゆる手段で読み手を楽しませる。

様々な要素が織り交ぜられた情報誌は、コンサート的というよりライブ的です。

 

 

そしてもう一つ。

ライブは「参加する」とも言いますね。

それ、寺報もなんです。

読み手が参加する寺報は強いです。

執筆してもよし、記事の中に登場するのもよし、スタッフとして関わるのもよし。

あらゆる形で読み手が参加する寺報というのは、そこからさらに多くの人を巻き込んで、広がっていきます。

読み手はお客さんじゃありません。

ライブで「ステージと客席の一体感」を大事にするように、寺報の作り手と読み手、つまり僧侶と信者の一体感を、寺報というツールを使って高めていくことが、これからの時代に非常に大事になってくると思います。

寺報というのは、こういう側面で見ても本当に活用できるツールですね。

 

 

 

それではまた次回に。

おやすみなさい。

 

こんばんは。

浄土宗の僧侶、真我です。

寺報の作り方講座や、寺報の制作事業をしています。

 

 

 

ドラムの練習用パッドとキックペダルが届きました!!!

久しぶりのこの感じ。

ペダルは現役時代から色々ためしていましたが、このPearl「ELIMINATOR(エリミネーター)」が一番自分に合います。

他のも使ってみたいと思いましたが、結局これにしました。

バンドを辞めてから機材を全て手放したので、揃えるところも1からです。

心機一転。初心に返って基礎練習からやってみようと思います。

 

 

 

 

 

【すぐにでも!寺報のビジュアル化】

 

今日は寺報のビジュアル化についてです。

以前、「寺報は読むものではなく見るもの」と話しました。

「見るもの」として適したデザインとレイアウトにすることを“ビジュアル化”と私は読んでいます。

 

 

 

ビジュアル化がなぜ必要なのか。

一番の理由は、情報量の増加です。

 

私たちが触れる情報の量は、10年前と比べて530倍とも言われています。

スマホの登場が最大の要因です。

それだけ情報が溢れた今の時代で生き残るために発達したのがデザインです。

無数の情報の中から、少しでも注意を引くビジュアルが求められるようになりました。

今や、お洒落でプロっぽい見た目は当たり前。

そんなデザインが並ぶ棚で、注意を引くことができなければ、手に取ってもらうことなど不可能です。

 

 

そのため、字と字の幅、色彩、字数など、細かいところまで計算され尽したデザインが沢山世にでました。

さらにPhotoShopなどのデザインソフトの普及によって、アマチュアのデザイン技術が、下手なプロを超すようになりました。

 

 

 

そんな中でも、まだ寺報の界隈では、デザインが優れているものがそう多くありません。

今なら、デザインのクオリティを高めるだけで、かなり印象をつけることができます。

恵光寺だよりはコンビニに並ぶファッション誌に比べるとデザインレベルは低いですが、それでも信者さんからは、ファッション誌よりも注目されています。

横に並ぶ寺報が、まだビジュアル化されていないからです。

その中でビジュアルがしている恵光寺だよりは、それだけで注目されます。

 

 

しかしこれから先、おそらく多くの仏教者がデザインの重要性に気づき、寺報をビジュアル化していくと思います。

そうなれば、コストを割いてデザインされた寺報を発行したところで、特に目にはとまりません。

かといって、白黒文章だけの寺報を出していては、周りのビジュアル化された寺報の陰に埋もれ、手に取ってもらうことすらできません。

 

 

 

つまり、寺報をビジュアル化するなら今しかないのです!

本当は、今でもやっているお寺はやっています。

ビジュアル化は、もう既に“先取り”では無くなっています。

 

 

ビジュアル化はコストがかかります。

しかし、確かな反応はあります。

コストをかけてでも、今この時点で、すぐにでもビジュアル化をしていくべきだと思います。

そうでなければ、間もなくお寺の発信は人々に届かなくなるでしょう。

 

 

これからのお寺存続のために必要な投資として、ビジュアル化を進めていくことをお勧めします。

 

それではまた次回に。

おやすみなさい。

こんばんは。

浄土宗の僧侶、真我です。

寺報の作り方講座や、寺報の制作事業をしています。

 

 

明日、ドラムの練習用パッドと新しいペダルが届きます。

初心に返って基礎練習していきたいです。

ドラムの楽しさに、もう一度出逢えるように。

気が向いたら演奏動画をTwitterに投稿しようかな。

 

 

 

 

 

 

人と話していると、色んなタイプの人がいるなあと思います。

私がとくに気になるのは、革新的な人と保守的な人です。

たぶん、どちらが良いというのは判断できないものだと思います。

 

 

 

世の中の歯車を回しているのは保守的な人です。

受け継がれてきた作業を正確に行なっていく。

それがないと、世の中が止まってしまいます。

 

 

 

今日考えたいのは革新的な人の方です。

新しいことをするというのは、一見自由なように見えます。

しかし“新しいこと”というのは、そんな気楽なものでは無いのではないでしょうか。

 

 

 

新しいことを考えることは大切ですが、それが世の中の歯車とどう関係を持っているかという部分が重要です。

考えたとこを歯車と照らし合わせて、前後左右の歯車がどんな形でどう動いているか。

それに合わせて形を整える作業が必要です。

今動いている歯車で、時代に取り残されてしまったもの。

複雑になり過ぎてしまったもの。

ガタがきているもの。

それぞれの事情で適切で無くなった部分を見つけ、自分の発想をその形に整えて磨き上げていく。

そうすることではじめて、世の中の動きの中に入ることができます。

自分のいる場所の前後でどのような歯車が動いているか、それをしっかり把握していないと、思いつきの“奇抜さ”だけで終わります。

全く新しい歯車を作るというより、今動いている歯車をアップデートしていくことの方が、イメージが近いかもしれません。

 

 

 

そしてもう一つ重要なのが、歯車の位置です。

位置というのは、エンジンからの距離です。

世の中の理をエンジンとします。

宗教は、かなりエンジンに近い存在・思想です。

エンジンに近いものが少しでも変わると、その歯車の先にある装置は、音を立てて大きく変化していきます。

 

 

 

最近で、エンジンに近いものの変化は何か考えてみると、スマホの登場だと思います。

世の中の多くが、スマホの登場を機に大きく姿を変えました。

あらゆる業界が、それぞれの形で変化を余儀なくされています。

私がやっている寺報も、スマホの影響を大きく受けています。

 

 

 

新しいことをする際には、どのように歯車をアップデートしていくべきか。

前後にはどのような歯車があるのか。

そしてエンジン(世の中の理)との距離はどのくらいなのか。

 

 

それらを把握して行動していくと、全体像が掴みやすいと思いました。

 

 

それではまた次回に。

おやすみなさい。