こんにちは。
心の学校です。
「比べる、羨ましがる、裁く心をどうするか」シリーズ
『完全に相手になりきると見えてくるもの』です。
裁きの心をなくそうと思ったら、
完全に相手になりきってみることです。
「相手の立場」ではなくて、
完全に相手になりきってみるということです。
もし、自分がその人のような家柄に生まれて、
その人のような環境で育ったとしたら、
自分ははたしてどうだろうかということを、
相手になりきって紙に書いてみるのです。
自分の中の観念で相手を見るから、そこからズレたときに、
「あの人はよくない」とか、「間違っている」という裁きの心が出てきます。
でも相手になりきれば、もう、
相手が間違っているとは思わなくなります。
「そうか。自分も彼のような家で生まれ育ったら、
きっとそういう人間になっていただろうな」
「彼女のように、あの宗教を子どもの頃からうえつけられていたら、
私だってそういう行動をとるだろうな」
そのことに気づけば、もう、その人が間違っているとか、
悪いとかはいえなくなるはずです。
「相手になってみるといっても、人生経験の浅いうちはそうはなれないよ」
と思うかもしれませんが、
そうではないのです。そういう人でもなれます !
むしろ、人生経験がない人のほうが簡単に相手になりきれるのです。
なぜかというと経験がない分、人から素直に聞けるからです。
人生経験のある人は、自分の人生経験としてとらえてしまうから、
それもやはり思い込みなのです。
思い込んでしまうと、事実とは違います。
やはり自分の型にハメてしまいます。
思い込みはなければないほどいいのです。
人生経験のない人は聞くしかありません。だから、正しく聞けます。
子どもほどもの覚えが早いというのはそういうことです。
真っ白だから入りやすい。
素直に誠実に「どうして、そういうふうに言われるんでしょうか ? 」
と聞けばいいのです。
「この人はひょっとしたら自分にはない何かをもっている、
すごい人かも知れないぞ」というくらいの気持ちで聞けば、
どんな人だって、どんどん話してくれます。
そうすると、相手のいっている意味がわかります。
わかるということが相手の立場になるということなのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
心の学校です。
「比べる、羨ましがる、裁く心をどうするか」シリーズ
『完全に相手になりきると見えてくるもの』です。
裁きの心をなくそうと思ったら、
完全に相手になりきってみることです。
「相手の立場」ではなくて、
完全に相手になりきってみるということです。
もし、自分がその人のような家柄に生まれて、
その人のような環境で育ったとしたら、
自分ははたしてどうだろうかということを、
相手になりきって紙に書いてみるのです。
自分の中の観念で相手を見るから、そこからズレたときに、
「あの人はよくない」とか、「間違っている」という裁きの心が出てきます。
でも相手になりきれば、もう、
相手が間違っているとは思わなくなります。
「そうか。自分も彼のような家で生まれ育ったら、
きっとそういう人間になっていただろうな」
「彼女のように、あの宗教を子どもの頃からうえつけられていたら、
私だってそういう行動をとるだろうな」
そのことに気づけば、もう、その人が間違っているとか、
悪いとかはいえなくなるはずです。
「相手になってみるといっても、人生経験の浅いうちはそうはなれないよ」
と思うかもしれませんが、
そうではないのです。そういう人でもなれます !
むしろ、人生経験がない人のほうが簡単に相手になりきれるのです。
なぜかというと経験がない分、人から素直に聞けるからです。
人生経験のある人は、自分の人生経験としてとらえてしまうから、
それもやはり思い込みなのです。
思い込んでしまうと、事実とは違います。
やはり自分の型にハメてしまいます。
思い込みはなければないほどいいのです。
人生経験のない人は聞くしかありません。だから、正しく聞けます。
子どもほどもの覚えが早いというのはそういうことです。
真っ白だから入りやすい。
素直に誠実に「どうして、そういうふうに言われるんでしょうか ? 」
と聞けばいいのです。
「この人はひょっとしたら自分にはない何かをもっている、
すごい人かも知れないぞ」というくらいの気持ちで聞けば、
どんな人だって、どんどん話してくれます。
そうすると、相手のいっている意味がわかります。
わかるということが相手の立場になるということなのです。
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