人はなぜ人間なのだろう。体に心はあるのだろうか。それを呼び起こすのが宗教なのだろうか。宗教の違いはモーゼや釈迦による神や仏の教えとして今に伝えられたのだろうか。

 人は神の造形であり仏教の心身一如と同義であろうか。デカルトの「我思う、故に我あり」は観念と唯物の挟間にある人の揺らぎを表しているのであろうか。神との契約を守り暮らして来たアダムとイヴがエデンの園から追われ、労働生活の義務が課されたことは、人の今日を示唆している。社会をつくりグループで働くことが不可避となれば自分と他人との関係(間)をスムースにする努力が欠かせない。人はやがて人間と呼ばれ、ヒトは密林の中に極めて稀に散在するのみである。