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「また、生まれ変わっておいで」23歳の猫と男性が過ごした“最後のお正月”

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「また、生まれ変わっておいで」23歳の猫と男性が過ごした“最後のお正月”

猫がそこにいてくれる。ただそれだけの何でもないしあわせが、コロナ禍で人と会う機会が減ったことなどを機に再認識されている。だが、猫と暮らすには、最後まで寄り添う覚悟も必要だ。猫との出会いには猫の数だけストーリーがあり、猫と交わす約束もそれぞれである。

出会った日、こころ寄りそわせた日、別れの日……、交わした約束を猫はきっと忘れない。実際に交わされた「約束」の選りすぐりのエピソードをご紹介していこう。最終回は、絵描きのいっとくさんが、21年間いっしょに過ごした愛猫との別れの時に、交わした約束。「きっとまた会おうね」

※本稿は、佐竹茉莉子・著『猫との約束』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

残りの時間はあとわずか

23歳を超えた、いっとくさんの愛猫「ねぎ」には、衰えが増してきた。

12月に入ると、食欲がパタッとなくなり、シリンジで流動食を飲ませはしたが、嫌がるのでもう無理強いはやめた。共に過ごす時間はもう残りわずかだと、わかっていた。ねぎは、旅立つ準備を始めていた。

英語教師のいっとくさんは、造形や絵画などジャンルにとらわれない創作作家でもある。クリスマスの朝、職場に向かう前に、すっかり軽くなったねぎを胸に抱き、こう言い聞かせた。

「ねえ、ねぎ。一人でいるあいだに死んではいけないよ」

若いときと変わらぬシャインマスカット色の美しい目が、いっとくさんを見つめ返した。

大みそかの夜は、ホットカーペットに横たわるねぎの傍らに座って、 つもる話をした。あのときは楽しかったねえ。あのときも楽しかったねえ。あれこれと思い出された。

ねぎが彼氏に選んだ雄猫たちのこと。夜の公園でベンチに並んで月を見上げたこと。 おにぎりを分け合ったこと。一緒に散歩していたら近所の女の子に笑われたこと……。

「21年間、おもしろかったねえ」と言うと、ここしばらく鳴いたことのなかったねぎが「にゃあ」と鳴く。「ねぎもおもしろかった?」と聞くと、また「にゃあ」と鳴いた。

おかしくなって、「おまえ、ほんとは人間の言葉がわかるんだろう?」と尋ねても、返事はない。ねぎは、ちょっとバツが悪そうだった。
温厚ないっとくさんと、好き嫌いのはっきりしたねぎは、この上ない相棒だった。

庭を横切った器量よし

ねぎは、21年前の春に、つと庭を横切った猫だった。ノラなのか半ノラなのか、 「お、美人」と目で追うほどの器量よしだった。

11月の寒い夕べ。いっとさんが夕食の用意をしていたら、あの猫が外からのぞいている。戸を開けて「おまえも一緒に鍋でも食うか」と言うと、スッと入ってきた。鶏肉をやると、前脚で転がして冷ましてから食べた。
食後、畳の上でゴロンとしていたいっとくさんの胸に、猫は乗っかってきて香箱を組んだ。もうずっと前からこの家にいたみたいに。

猫は、朝になると出ていったが、夜にはやってきて、そのうち、出ていかなくなった。

少年時代、捨て猫を拾っては親に叱られ、飼うことが叶わなかった猫との初めての暮らし。猫がのぞいたときに、箸でつまんでいたのが葱だったので、「ねぎ」と名づけた。獣医さんに診せると、2歳前くらいで「手術済み」とのこと。地域のボランティアに手術してもらったノラの1匹のようだった。

ねぎはいかにも自由な猫だったので、「そのうちいなくなるのかな」という思いもあったが、すんなり家猫になった。

いっとくさんは、ねぎのペースに合わせて暮らし始めた。朝は、きっちり5時50分に起こされる。ねぎはノラだったくせに、大きなものは食いちぎれず、皿からはみ出たものは絶対に食べない。旬の魚を夕食用に買うことが多くなり、ねぎ用には塩分を加えず、小さく切って焼いてやった。

ご飯をあげても、好きなブラッシングをしてやっても、鳴きやまないときがあった。そんなときは抱っこして、玉置浩二の「メロディー」でも歌ってやると、幼子のように眠った。そんな話を聞いた友人たちは、ねぎを「ねぎ様」と呼んだ。

楽しき日々が過ぎていく

たしかにねぎは、わがままな猫だった。

だが、いっとくさんが風邪で寝込んだときは一切わがままは言わない、わきまえた猫だった。

ねぎは、雄猫にモテた。

庭からデートの誘いにやってくる雄猫を、ねぎは部屋から見下ろして、気に入ったオトコのときだけ「庭に出して」と鳴く。ねぎは手術済みだったから、デートといっても、その辺でただ並んで過ごしたり、気が向くと鼻先にチュッとしてやるくらい。それでも求愛者は絶えず、選ぶのも、ガッチリ系からジャニーズ系まで、さまざまだった。

いっとくさんの顔を見るたび「にゃっ(やあ、お父さん)」と挨拶する気のいい猫がいた。「お父さんはアイツがいいと思うぞ」と、ねぎに勧めたが、長続きしなかった。

展覧会が近づくと、絵や写真を床に並べる。ねぎは、作品がいっとくさんの大事なものとわかっていたようで、器用によけて歩いた。

だが、一度だけ、 描いていた絵を踏んだ。

そのとき、いっとくさんは、大きめの30号の絵を床で描いていた。近くにいたねぎに「踏むなよ」と声をかけるや、ねぎはトコトコトコとやってきて、しっかり踏みつけていった。コントのように、 今った塗ったばかりのところを。

坂を上る亀の絵だった。つけられた小さな足跡がなんとも可愛らしかったので、そのまま展覧会に出した。買いたいと言う人がいたが、売らなかった。

絵でも、版画でも、立体でも、毛色は違えど、いっとくさんの作品はみんなねぎだった。

こうして楽しき春秋が幾つも過ぎ、ねぎに、少しずつ少しずつ、老いが忍び寄ってきた。

どんなわがままも聞いてあげるから

18歳になった頃の夜、いっとくさんの膝に乗ってきたねぎが、ふっと軽い。病院で、甲状腺機能亢進症と腎臓の薬を処方された。

薬をご飯に混ぜるとそっぽを向く。世の猫たちに絶大な人気の液状おやつに混ぜるといいと聞いたが、 煮干しなどの固いものが好きなねぎは、この軟弱おやつが大嫌いなのだ。薬をすりつぶし、パテ状の栄養缶詰に混ぜ、朝に夕にシリンジで口の脇から飲ませた。

すっかりスレンダーになって、風に吹かれるように歩く姿は妖精のようである。

若い猫がデートの誘いにやってきたときは、鳴いていっとくさんを呼びつけた。追っ払ってちょうだい、と。もう雄猫には興味がないようだった。

病んだねぎは、毎日一度は「抱っこして」と要求した。抱いてやると、のどをゴロゴロと鳴らし続ける。夜には「散歩に行こう」と誘う。家のすぐ目の前に小さな児童公園があって、 夜は誰もいない。ベンチにふたり並んで座る。10分ほどたつと、ねぎは満足した風で、先だってスタスタと家に向かうのだった。

歯槽膿漏から、目の下におできができた。皮膚がんの一種のようだと診断されたが、年齢から、手術はしないことにした。

「ねぎ、あと何年かはがんばって生きなさい。どんなわがままも引き受けるから」と、いっとくさんが言うと、おできの上の美しい瞳は「そうするわ」と言うように、見つめた。

22歳を過ぎた春には、体重が2キロを切った。歯槽膿漏を悪化させないため、2週に一度、抗生物質の注射をしてもらいに行く。それで、食べることだけは持続できた。

コロナ禍のためステイホームが続く日々は、ふたりをいっそう親密にさせた。

朝起きるとまず、ねぎのお腹が上下していることを確かめる。

高齢猫は、親であり、子であり、恋人でもあり、その3つの役割を同時にやってくれていると、いっとくさんは思う。だから、ねぎの世話は、とても幸福な時間だった。

別れのとき

夏が過ぎ、秋が過ぎた。ふたりが共に過ごせる最後になるだろう冬が来た。12月に入ってからはガクンと食欲が落ちた。

寝ていたホットカーペットに初めての粗相をしたねぎに、いっとくさんは、「クリスマスプレゼント」と言って、新しいカーペットを敷いてやった。そして、「2021年まで生きようね」と約束した。大みそかは、もう目を開けることもしないねぎに、思い出をたくさん語りかけて過ごした。

正月の2日間は、ずっと寄りそっていた。ねぎの頭をそっと撫でて「ありがとね」と言うと、ねぎは、びっくりするほどはっきり顎を引いて、うなずいた。

3日の朝も変わりはなかったので、いっとくさんは、ねぎの隣に寝転んで本を読んでいた。ねぎが、何度か大きな息をした。手を握ると、しっかりと握り返してきた。何度目かの大きな息の後ねぎは旅立った。2021年まで生きるという約束をちゃんと守って。撫でながらそっと話しかけた。

「ねぎ、また、生まれ変わっておいで。生まれ変わって、お父さんの猫になりなさい」

また、きっとどこかで会える

ねぎは、そこで、ただ眠っているかのようだった。

想像していたような、耐えきれないほどの悲しみやつらさは襲ってはこなかった。 悲しみが混じる、静かな幸福感の中にいっとくさんはいた。

思えば、ねぎが病気になってから5年間、いっとくさんは、そしてきっとねぎも、「死」という別れの一点を見て生きてきた。そのときにけっして後悔しないよう、毎日毎日精いっぱい楽しく過ごした。ねぎが、この父を悲しませまいと長い時間をかけてお別れをしてくれたのだと思った。

とはいえ、ふとしたときに涙がこみあげる。買い物に出て、ねぎの好きそうな魚を見たときとか、餌皿にちょうどいいものを見つけたときとか、ただ歩いているときとか。窓の向こうから、「入れて」と帰ってくる気もする。

ねぎと出会ったのも、ずっと前からの約束だったのかもしれない。きっとまた、生まれ変わったねぎに会える。一目見て、ねぎだとすぐに気づき、その子も僕だとすぐにわかるだろう。うっかりして、違う毛色になったねぎに気づかないといけないから、ふたりだけの秘密のサインも、別れの日に決めた。

そういえば、ついこの前のこと。明け方、寝床のすぐわきに、3色のかたまりのようなものがいる。すぐにねぎだとわかったので、「よう」と言って抱きかかえ、「何やってんだよ」聞くと、かたまりは答えた。「今度は何色に生まれ変わるか考えてる」

笑って、目が覚めた。

桜の季節に分骨をした。向かう車の中で、最後の「メロディー」を歌ってやった。

しっぽの辺りの毛を少しと、指と思われる細い骨を入れたロケットを持ち歩いている。ポケットの中でそっと握ると、ねぎと手をつないで散歩をしているようで、楽しい。

「ねぎ、また会えるのは、いつになるのかな」