5歳の頃、母が何度目かの転院をしました。
近くの鶴舞公園の中に、米軍のキャンプが出来、その家族で公園にあふれ、遊具や砂場もその子どもたちに占拠されていました。日本人は、そこを見てみぬように通り過ぎていました。
わたくしがその光景を眺めていると、ひとりが、こっちへ来いと呼びました。迷っていると、走ってきて、一緒に遊ぼうと言っているようです。
その日から、彼らとは、片言で遊ぶようになりました。親御さんからは、キャンディやチョコレート、缶詰を当たり前にいただくようになりました。
病院の木造の廊下の軋む音と、挨拶を交わし合うときの彼らの笑顔を忘れません。