そんな引っ越しの後、母が癌の手術で、名古屋市の鶴舞の病院に入院することになりました。
幼いわたくしは、姉たちが学校へ行っている間、
母の知り合いの方や、父と関わりのある方々にお世話を頂いて過ごすようになりました。
また、病院の近くの鶴舞公園は、米軍家族の住む建物(バラック)が建ち並び、
公園は、米軍兵の子供たちでいっぱいでした。
そんな光景を見つめていると声を掛けられ、一緒に遊ぶようになりました。
お別れのときには、缶詰をいつもいただきました。
わたくしは、まさに出会う方々に支えられて日々生きていけたのです。