初めまして✨
ブログをご覧頂きありがとうございます
輝きを取り戻して
人生を好転させる
カウンセラー めぐです
本日から3回に分けて私の自己紹介を
していきたいと思います
生まれは福岡、1歳の時からずっと三重に住んでいます。
両親から聞かされていた小さい頃の私は全く手がかからず、電車に乗っても大人しく
座っているそんな子だったようです
歌が大好きで私が歌ってる所をカセットテープ(年代が笑)にとってくれていて、よく聞かされていました
当時のビデオテープを観ると、両親からの愛を沢山貰いながら育ってきたんやなぁと誰が見ても思うぐらい大切に大切に育てられていました。
あまり記憶はありませんが、両親は私が初めての子供だったので、可愛くて仕方なかったようです。
4歳になってすぐに妹が生まれました。それと同時に父方の祖母と一緒に住み始めます。
その祖母が子供が、というか孫が嫌いな人で、今振り返ってみても小さい頃は怒られてばかりいたように思います。
その頃から、大人は何かしたら怒る怖い人と思っていったように思います。
多分その辺りから私の良い子でいないと怒られる。が出来上がっていったのかなとブログを書きながら思い出しています。
何をしても可愛い可愛いと言ってもらえていた時から、妹が生まれた事によって「お姉ちゃんなんやから我慢して」と言われる事が増えていきました。
妹はすごく手のかかる子で、癇癪持ちでした。
なので両親もそっちに付きっきりになって私は近所に住む従兄弟(同い年の男の子)の家によく遊びに行くようになりました。
ファミコン、漫画、アニメが大好きでこの頃はよく従兄弟と男友達と遊んでいました
遊びは大好きでしたが、勉強は大嫌いでした
小学生の頃、人見知りで大人しかった私はクラスの発表が大の苦手でした。思えばこの頃から今の不安症のけがあったのかもしれません💦
発表出来ないから成績も酷い。
先生にも「何故発表出来ないの?」と言われる始末。どんどん自分に自信をなくし、私なんて何も出来ない!と自己否定を始めます。
可哀想な私の出来上がりです
小4の時に重い肺炎にかかり、すぐに入院。もう少し遅ければ命を落とす所だったようです。
この時、病気になれば親に、みんなに心配してもらえる。これが間違った思い込みに繋がっていき病弱な私も出来上がっていきました
今なら全て自分で創り出していた事は分かりますが、あの当時は潜在意識など知らないので、病気である事が私にとってはメリットだったんですね
皆が私に注目してくれる。心配してくれる。それで愛されていると信じていました
いや、今もまだその思い込みはありますが、それもういらんよな?とそろそろありがとう♡
と感謝して手放せそうです
ここまで読んで頂きありがとうございました
次回は中学時代からの事を書いていこうと思います