我等、未だ消化せず | Tadのブログ

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ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
ちょっとのぞいていって下さーい。

今日の記事は長くなると思いますが、最後まで読むよ~に!(笑)



今日は、ジョン・レノンが亡くなってから30年目ということで、方々で追悼行事が行われて
いることと思う。

私は30年前…小学校の低学年。でもその日のことは、何故だかとても鮮明に覚えている。
日本時間9日午後遅く、京都は雨が降っていて、私は嫌いな歯医者に行っていた。
家へ帰ると、夕刊にその記事がデカデカと載っていて、
「えっ、あのビートルズの人やろ・・・(絶句)」。

両親はビートルズと同世代だし、姉も当時エレクトーンを習っていたこともあり(=楽譜があった)、
ビートルズの曲は既に結構知っていた。英語は全くわからなかったけれど。


それから30年。早いか遅いか、というより、私にはもっと気になっていることがある・・・。



そんなで、今晩はあちこちのライブハウスで彼の曲が歌われているだろう。
とりわけ「イマジン」などは。

しかし、私の最も好きな彼の曲はこれ↓だ(聴きながら続きを読んで!)。




『インスタント・カーマ(Instant Karma)』という1970年初頭の曲。私はまだ生まれてない。
このPVは、ジョンの横でオノ・ヨーコさんが編み物をしているのが面白かったりする(笑)。


・・・話を本題に戻して、
別に奇を衒っているわけではない。
しかし、私はこの曲こそが、彼の言いたいことだったに違いないと思っている。

でも、この曲が何のことについて歌われているのかよくわからない、って方が
多いのではないかな。私も最初はチンプンカンプンだった(笑)。

「インスタント・カーマ」とは、ジョンの造語かな?どう訳したらいいか迷う。

インスタント=即時の、即興の、即席の
カーマ=(ヒンドゥー教・仏教の言葉)業、因縁、カルマ

で、歌詞にはこうある。

「インスタント・カーマが君を捉える
 君の足を払いのける
 君が出会う全ての人たちを見るべきだ(僕ではなくて)
 
 我々は何のために存在するのだ?
 それは苦しみや不安のためではないだろう
 
 この世に君がいて
 それぞれのための居場所があるのなら
 そこへ行って自分の居場所をつかむのだ

 我々みんなが輝くのだ
 月や星や太陽のように
 我々みんなが輝くのだ
 君もそうするのだ」


相当苦し紛れの訳で申し訳ないです…。
(原文を読んでもらったほうが雰囲気ははるかに掴みやすい)

要は「より良い人生を送りたければ、それぞれが頑張らないといけないだろ!」
ということだと思う。だから、彼は"I"でも"You"でもなくて、"We"という語を使ったはずだ。


この彼の「我々みんなが輝くのだ(Well, we all shine on)」という歌詞には、伏線がある。
それが、ビートルズ時代のこの曲だ。




1968年の曲『レボリューション(Revolution)』。
当時の世相は、アメリカによるベトナム北爆、学生運動、民主運動家・政治家の暗殺、
中国の文化大革命…などなど。そして彼が尊敬していたチェ・ゲバラも前年に亡くなっている。

この『レボリューション』で、彼は次のように歌っている。

「革命を起こしたいと君は言う
 ふ~んそうなんだ
 誰だって世界を変えたいと思っているよ
 でも破壊行為をするっていうなら
 僕は計算に入れなくていいからな

 君らはみんなに貢献しろ言う
 そして僕には寄付をしろって?
 それなら僕は待てって思う
 世の中そのうち自然に良くなるだろうから」


要は、彼(もしくは彼ら=ビートルズ)の名声に寄らずとも、60年代後半の「ピープルズ・パワー」
「フラワー・ムーヴメント」によって世界は変わると見たのかもしれない。

しかし、世界は相変わらず、彼に寄りかかっているように彼自身には感じられたのだろう。
それで「我々みんな輝くのだ」、つまりジョン以外の我々(=要するに、あなたや私)も
輝かないと世界は変わらないよ、とインスタント・カーマの中で歌ったわけだ。

そして、そうやって聴衆に「みんな一人一人が行動を起こそうよ」と語りかけることが、
ビートルズから離れた彼自身の歌う目的ともなった。

有名な「イマジン」も「ハッピー・クリスマス」もそういう話の流れに基づいて書かれて
いるはずだ。



でも世界は彼の思うようには自主自律性を持たないままに1970年代を過ごし、
1980年を迎えてしまった。

いろんなことに嫌気も差したのかどうかはわからないけれど、
その間、ジョンは音楽活動を5年休みもしている。

そして1980年に復帰して再び作品を発表(アルバム『ダブル・ファンタジー』)、
その発表されたアルバムに入りきらないくらい多くの作品がレコーディングされた。
30年前の今日も録音したらしい。

その直後に起こったのが、あの悲劇だったとは…。



アルバムに入り切らなかった曲の内の1曲が、次の曲。




1984年に未発表曲を集めて発売されたアルバム『ミルク・アンド・ハニー』に入っている
「アイ・ドント・ウォナ・フェイス・イット(I don't wanna face it)」。

この中で、彼は、

「我慢ならない人々」

と歌っている。

これは我々のこと。まだ「輝けていない」ということだ。
10年経っても変わってない、だから、

「僕はヒューマニティ(人類愛)を唱えながらも、人々に我慢ならない」

と歌うのだ。

「イマジンやハッピー・クリスマスで普遍的な人類愛を歌って、君らはそれを気に入っては
くれた。しかし、肝心の君ら自身は何も変わっていないだろ?」

ってことなのだろう。



…そして、それから30年経った今は?

相変わらず、戦争も貧困も飢えも環境汚染も克服できていない私達。
どこぞの隣人は前近代的というか帝国主義的手法で勢力拡大まで図ろうとしているし(爆笑)。


そう、我々は彼を追悼してはいるけれど、その遺志を発展させるどころか、
生前の思想の消化すら、ちっともできていないのだ。あ~あ。
多分ジョンは、空の向こうで呆れ返っていることだろう。


民主党だの自民党だの言っててもどうしようもないし、
(どっちもどっちだからね…掃除のやり方を知らないボンボン達+自分らがグチャグチャにしたのを
他人が後始末しようとしてるのに邪魔をする奴等、なのだから)

構造不況って言ったって、今さら元に戻せるわけでもない。
(老人支配社会となぜかそれに尻尾をふる若者。人のフリ見て我がフリ返らない人たち)

学校の教師も警察官も、挙句の果てには検察官まで悪さをする時代だ。
(ルールなんてあったもんじゃない!)



じゃあ、どうする?
そう、私達それぞれが何に拠らずとも(「良心」には拠るべきだろうけど)
自分の足で立てるように頑張るしかない。

難しいし、しんどいし、どこにゴールがあるのかだって多分わからない。
でもそこへ向かって走っていくより他もなくて。

それが出来た時、ようやく彼の思想を消化できたことになるのだろうな、って思う。

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