いつもなら土曜日は観た映画の紹介日ですが、
今週は「記事にしたい」と思えるほどの
映画に
当たらなかった🎯ので
今日は当ブログ管理人ぼんおうの
「映画」鑑賞姿勢について書きます
当ブログ管理人は職業病で、
左コシがいたいので、
(座って映画を観るのが苦痛なレベル
)
おうち🏠での映画鑑賞は、
寝て観てます。
(モチのロン目は開けて観てる。)
違くて
(それはカラダの「姿勢」じゃー)
今日はその、
当ブログ管理人ぼんおうの
映画鑑賞姿勢(向き合い方)について書きます
(大部分はいままで言ってきた🔊ことのおまとめですが、
かなり傲慢な内容の記事なので、
こうなっちゃう前にページを閉じたほうがいいかもしんない。)
当ブログ管理人ぼんおうは基本、
観てイマイチだった
とか、
ダメだった
と「思った」映画のレビューはしません🚫
(レビューせずスルー)
もちろんリアルクソ映画かもしれないんですけど、
イマイチだった
とか、
ダメだった
と「思った」のは、
単に自分の狭い視野や
知性の低さが原因かもしれないから
古今東西言われ尽くしてることですが、
人間は自分のことが見えない生き物です。
(「もしかしたら私は、自分の姿が見えていない
のではないか
」と疑問を抱かない限りは)
臆面もなく目が肥えた奴と化し、
つまらなかったとか退屈だった
とか
一行レビュー(それレビュー
)で斬って
棄てる🗑️
でもそれはリアルクソ映画だからではなく、
自分の狭い視野や知性
の低さが
原因の可能性もある
(勇気のある人は試してみよう)
ひとは「分からないもの」に遭遇したとき、「分からない自分」の価値を守るために、「分からないもの」の価値を低く見積もる傾向にある。それは「分かる力のない自分」の可能性を存在させたくないから。だから、ひとは無意識のうちに「分からない」を「つまらない」に変換し、決め込んでしまうんだよな
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) September 8, 2021
そんな当ブログ管理人ぼんおうもまた、
視野が狭く知性
が低い人間の一人( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!
視野が狭く知性
が低い人間の一人( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!ですが、
「もしかしたら私は、自分の姿が見えていない
のではないか
」
と1ミリも疑ってみないほどには
視野が狭くも知性
が低くもない(言う
)
管理人は映画を観て
イマイチだった
とか、
ダメだったと思ったら、
まずその映画の
「高く評価順」
とか、
「お役立ち度順」で
既存のレビューを見ます。
(当たり前ですが世の中には、
管理人よりずっと知性がたかく
洞察力に優れた方なんて山⛰️ほど居る。)
ですからその映画の
「高く評価順」
とか、
「お役立ち度順」の
レビューを見て、
「ええーそうだったのか
」と、
自らの知性と洞察力
のひくさ
に
恥じ入ったこと数知れず(/ω\)
(モチのロン感謝を込めて、
「高く評価順」
とか、
「お役立ち度順」の
レビューの「役に立った」ボタンを押すことは忘れない)
だから管理人は、
イマイチだった
とか、
ダメだったと「思って」も、
ドヤ顔でクソ映画認定※して、
(※星5つが
だったら、
とか
)
恥を晒したくない(/ω\)
(/ω\)
評価されてしかるべき素晴らしい作品
を
狭い視野と知性
の低さで腐してる
目が肥えた奴を見ると、
管理人ブラックに変身して潰したくなる
(昭和ネタ)
え
変身しなくても管理人は、
常時ブラック接続ですって
さーせん
あと、
「そこおかしい」とか、
「それないやろ」とか、
そういう枝葉にツッコみイキり👃
「幹🌳(作品そのもの)」の評価を爆下げ
する。
管理人は枝葉にツッコみ
「幹🌳(観るべき作品そのもの)」の評価を爆下げして
イキッてられた👃時期はおおむかし🦖に、
「おーわったたたたたたたたたたたたたた!!!」
枝葉にツッコみ
「幹🌳(観るべき作品そのもの)」の評価を爆下げ
それ
自 ら 進 ん で 🙋♂️ 不 幸 に な り に 行 っ て る 💨
も同然だから
それ🙋♂️に気づいた管理人は枝葉にツッコみ
「幹🌳(作品の本質)」の評価を爆下げ
かなり前🦖に止めました🛑
不味い部分を探して
不味い不味いと嘆くのか。
もしくは、
ここが旨いね〜
と楽しむのか。
(どっちがおトク)
枝葉にツッコみイキり👃
とか
にしちゃう。
お前ら“設定警察”は
ポリアンナさんの爪の垢でも煎じて飲め
(ポリアンナメソッドさいきょう)
あと、
どんな映画でも、
「倍速とか“時短”で観ようとすんな」
それは「観た」んじゃなく「観た気になってる」だけだ
管理人は時間をムダにするのが大大大大っっっキライなひとですが、
だからこそ映画を「倍速とか“時短”で観よう
」とは1ミリも思わない
「ひとの話は情報が少ないからn倍速でないと退屈で聞けない」というアホが増えたが、「ひとの話は情報が少ない」のではなく、「ひとの話から情報を得る能力が足りない」だけ。じっさいは、話し口、抑揚、言葉選び、その他リズム等から得られる有効な情報は、単なる言語配列から得られるそれの数千倍。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) December 31, 2022
(間(ま)&非言語領域大事。)
「倍速とか“時短”で観よう」
(「努力」は「情報咀嚼能力」と読み替えて)
「倍速とか“時短”で観よう」
そういう「おサボリ的」発想が、
貴重な人生のじかんを
「軽薄」
「希薄」
にし続けてる
もひとつ。
どんな映画でも、
「観るのスマホで済ますな
」
それは「観た」んじゃなく「観た気になってる」だけだ
(劇場で観るのがBESTですが、最低限PCで観よう。)
管理人は時間をムダにするのが大大大大っっっキライなひとですが、
だからこそ映画観るの「
で済ませよう
」とは1ミリも思わない
私見(偏見)でした。
(映画といいお付き合い🤝ができる人を増やせる栄誉
を、あなたの
に。)
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