直近3人の日銀総裁(福井、白川、黒田)の金融政策を比較し、コミットメントとそれを裏付ける政策の重要性について述べる。(敬称略)

福井、白川、黒田はそれぞれ金融緩和と呼ばれる政策を打ち出している。
福井の量的緩和、白川の包括緩和、黒田の量的質的緩和だ。簡単に表にまとめたうえで、金融政策に対する私の評価は次の通りとなる。
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福井俊彦 第29代日銀総裁
任期 2003/03/20-2008/03/19 http://ow.ly/2btRye

白川方明 第30代日銀総裁
任期 2008/04/09-2013/03/19 http://ow.ly/2bu69i

黒田東彦 第31代日銀総裁
任期 2013/03/20~(2018/04/08) http://ow.ly/2bu69C



先ずは福井の金融政策から見てみる。
日銀の金融政策(1998~2006年)の変遷はこちらの図にまとまっている。

この量的緩和は、物価安定目標(2年で2%の物価上昇率など)のような明確なコミットメントを伴っていない。しかしながら、自国通貨の減価や純輸出、GDP成長などの効果があったようである。

この量的緩和は、政策金利の上げ下げ以外の手法であるため、非伝統的金融政策と呼ばれる。日銀が「量的緩和の先駆け」と主張する人も見かけるが、これは古い日銀擁護のポジション・トークと見做している。中原伸之日銀審議委員(当時)が重ねて主張していたが、否決され続けていた。それが、次の記事にある通り、早過ぎるゼロ金利解除で「仕出かした」ことへの後追い対応として、実施せざるを得ない状況に追い込まれたために、やむなく実施したと見るべきであろう。

"日銀は27日、2000年7~12月に開いた政策委員会・金融政策決定会合の議事録を公開した。ゼロ金利政策の解除を決めた8月11日の会合で、速水優総裁は「政策判断としてどれでいくか決定するのは、日銀法第3条で認められた我々の自主性である」と言明。政府の議決延期請求を否決して解除を断行した当時の舞台裏が明らかになった[中略]政府の出席者は「なお見極めが必要」(村田吉隆・大蔵省総括政務次官)と反対を表明。採決の直前に新日銀法で認められた「議決延期請求権」を初めて行使したが、反対多数で否決された。政府を押し切っての解除決定[中略] 日銀は12月の会合で景気判断を下方修正。翌01年2月には政策金利を引き下げる。量的緩和政策という異例の措置に踏み切るのは、ゼロ金利解除からわずか7カ月後の01年3月だった"

➡️ゼロ金利解除、日銀断行の舞台裏 2000年8月議事録:日本経済新聞


ここで、3つの呪文を紹介したい。その効果が小さい順に

インリカ < インメド < インタゲ

である。3つの呪文について以下にまとめる。

「インリカ(物価安定の理解)」とは次の通り。

"日銀はこの新日銀法を活用して,物価の安定とは何かを曖昧にしたまま,金 融政策を運営してきた。しかし,その曖昧さを批判されると,206年3月に 量的緩和の解除に伴って,「政策決定会合の委員の多くは,中長期的な物価の 安定とは,消費者物価の前年比上昇率が0%~2% に範囲にあると理解している」という「中長期的な物価の安定の理解」を公表した"(岩田規久男,2013)

➡️なぜ,日本銀行の金融政策ではデフレから脱却できないのか

「インメド(物価安定の目途)」とは次の通り。

"日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率で2%以下の プラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途とすることとした。従来は、「中長期的な物価安定の理解」として、中長期的にみて物価が安定していると 各政策委員が理解する物価上昇率の範囲を示していた"

➡️「中長期的な物価安定の目途」について

「インタゲ(物価安定の目標)」とは次の通り。

"日本銀行は、「物価安定の目標」を中心的な 物価指標である消費者物価の前年比上昇率で2%とすることとした"

➡️金融政策運営の枠組みのもとでの「物価安定の目標」について


物価安定を理解していたかどうか疑義があるのは、実際の物価上昇率を見れば明らか。元日銀審議委員であった方の資料によれば、古い日銀は-0.5%のデフレターゲットによる金融政策を行っていたことになる。

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➡️国家ビジョン研究会 日本再生のカギは日銀法改正にあり
(中原伸之,2013)


福井の任期中はGDPの成長、デフレ圧力の低下が見られた。しかし、早過ぎるゼロ金利解除に踏み切り、マネタリーベースも大幅に減らすなど、小泉首相(当時)が郵政民営化法案を通した後は、デフレ脱却を約束して日銀総裁になった当時とは別人のような金融政策をとっている。これはマネタリーベースの前年同月比(以下の図では緑の線:右目盛り)を見るとよく分かる。

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福井、白川、黒田日銀の金融政策をポートフォリオ・リバランスの効果を軸に評価した論文がある。ただし、白川の包括緩和と黒田の量的・質的緩和の期間を一緒にして分析している点に注意が必要である。包括緩和という資産買入枠の増額とデフレ維持のスタンスによる「金融緩和」では効果が小さくなることは容易に推測できるからだ。

以下の論文では、買入資産(主に長期国債)の質(国債では残存期間が長い方が効果大)に着目している。

量を見てみると、福井日銀がそれなりに、白川日銀の包括緩和ではほとんど増えず、黒田日銀では大幅に増えている。
質を見て見ると、白川 < 福井 < 黒田 の順に保有国債の残存期間が長くなっていることが見て取れる。

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➡️日本銀行の国債買入れに伴うポートフォリオ・リバランス: 銀行貸出と証券投資フローのデータを用いた実証分析
(日本銀行企画局 齋藤 雅士;法眼 吉彦,2014)


2001-2006年の量的緩和の検証については、ポートフォリオ・リバランスなどを取り上げた次の論文も紹介する。

福井日銀では1年超~3年以下、白川日銀では1年以下の残存期間の国債保有額が増えていることが分かる。黒田日銀では平均残存期間を7年から10年程度へ引き上げた。

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➡️デフレ下の金融政策:量的緩和政策の検証  (中澤正彦;吉川浩史,2011)


日米英の中央銀行の国債買入額の推移を、残存期間3年以下と3年超で分析した論文にある以下のグラフにデフレを維持した日銀、デフレ脱却を目指した日銀の違いが表れている。

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➡️金融市場に対する非伝統的な金融緩和政策の影響
―日米英の中央銀行の国債買入政策に関する分析―
(磯部昌吾;中澤正彦;米田泰隆,2014)


福井、白川、黒田の金融政策は三者三様であるが、在任中の物価上昇率(コア、コアコア)が、インリカ(0%~2%)のレンジに入った割合と、-2%~0%未満だった割合を比較してみると次の通りとなる。理解できていた順に、黒田、福井、白川となる。しかも、コアコアCPIで見ると、福井も白川もデフレターゲットでもしていたかのように-2%~0%に物価を制御している。
恐るべき「物価安定」である。
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2年でマネタリーベースを2倍、物価上昇率を2%、とした黒田日銀は、消費増税による影響などもあり、目標達成は道半ばである。しかしながら、2013年3月には-0.5%であったコアCPIを2014年には+1.5%にまで引き上げることに成功したこともまた事実である。
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量的緩和でデフレ脱却寸前まで行きながら、ゼロ金利解除した福井。コミットメントは小泉元首相と中川秀直議員とのデフレ脱却口約束。

インメド、インタゲを唱えながら、行動はデフレ維持だった白川。

インタゲを裏付ける金融政策を行いながら、消費増税推しで、増税による物価上昇幅の低下を中々認めることができなかった黒田。

三者三様の日銀総裁であるが、物価上昇率を最も安定化させた黒田日銀。その成果の要因は何が考えられるだろうか。

岩田規久男日銀副総裁の講演資料によると、
1)コミットメント
2)具体的な行動
が金融政策の効果を支えていることが分かる。

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➡️「量的・質的金融緩和」と わが国の金融経済情勢(岩田規久男,2014)



福井、白川、黒田、それぞれのコミットメントと具体的な行動を次の通りまとめた。
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福井、白川、黒田の緩和策を目標水準や国債の買入額などで比較した参議院の資料もある。

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➡️量的・質的金融緩和の波及経路の整理
(鈴木克洋,2013)


福井は時間軸によるコミットメントを次の通り強化した。

"量的緩和政策継続のコミットメントの明確化

 日本銀行は、金融政策面から日本経済の持続的な経済成長のための基盤を整備するため、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品。以下略)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、量的緩和政策を継続することを約束している。日本銀行としては、このコミットメントについては以下のように考えている。

 第1に、直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できることが必要である(具体的には数か月均してみて確認する)。

 第2に、消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると見込まれないことが必要である。この点は、「展望レポート」における記述や政策委員の見通し等により、明らかにしていくこととする。具体的には、政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していることが必要である。

 こうした条件は必要条件であって、これが満たされたとしても、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる"

➡️金融政策の透明性の強化について(2003年10月10日)


しかし、実際には約束を反故にして2006年に金融引き締めへ動く。日銀は少しでも消費者物価指数がゼロかプラスになると、金融引き締めをする、という実績を作ってしまった。

これでは、物価安定の理解、目途、目標と言葉を変えても信用されることは難しい。


金融政策当局のコミットメントやスタンスが重要であることは、次の論文からも読み取れる。

➡️Is the Persistence of Japan’s Low Rate of Deflation a Problem? (岡田靖氏)

➡️(日本語訳:voxwatcher氏)




公平を期すために、白川日銀の良かった探しをしておくと、物価安定の目途で「金融政策当局がスタンスを変える」と予想されると予想インフレ率、株価が上昇し、自国通貨が減価するということを実証したことであろう。

皮肉なことに白川が任期満了を待たず、約3週間に辞任することを発表した際にも株価上昇、自国通貨が減価した。


金融政策のコミットメントと、それを裏付ける具体的な行動が伴わなければ、金融政策の効果が上手く表れないことを福井、白川は示してくれた。


最後に、浜田宏一内閣官房参与が白川日銀総裁(当時)に献本したが送り返されたという以下の書籍をご紹介する。
➡️『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本 ―勝間和代が本気で勉強したかったとても大切なこと』(浜田宏一;若田部昌澄;勝間和代 各氏)