腹腔鏡下スリーブ状胃切除術を受けました。
去年(2020年)から糖尿病と肝機能の数値が良く無くて悩んでいましたが、妻が背中を押してくれました。妻のお義父さんも是非と進めてくれて費用も援助してくれると言ってくれました。
みんな自分の肥満を本音では嫌だったのでしょう。
妻はこんな太った僕でも結婚してくれた稀有な人です。ただ気を使って言えなかったのだと。
病院に通いだしてから、”やはり言いにくかった”とは言っていました。
同じような境遇の方もいると思うで、ここは病院と症例を検討して手術を考えてみるのはいいと思います。
手術をして分かった事があります。
まずは自分の食欲のもの凄さ。今までの人生50年。この食欲を持ちながら生きてきました。
小学生時代に既に80kgはありました。普通の人の体重である50kg~60kgなんて時代は自分の記憶にありません。
幼稚園の時からかなりの肥満ではありました。所謂もの心ついた時には既に肥満ってやつです。
しかし、幸か不幸か体は結構動いたんですよね。
脚もそこそこ早かったですし、小学校時代は少年野球をやってチームの4番を任されていました。
6年次はキャッチャーとして市の優秀選手になり市のベストナインになった事もあります。
野球をやりながら中学受験をして、遠隔地の中学に通う事になりました。その通学時間およし2時間です。当時の住居である千葉県某市から神奈川県某市まで通学です。
そして勇んで野球部に入りにグラウンドへ行きました。そこで同じグラウンドで練習をしているラグビー部の鬼の先輩につかまったのが運命の”暗転”。”お前みたいのはラグビー部だよ”と半ば強引にやらされて、野球部の先輩にも”そっちがいいよ”とかなり無責任な形で突き放されました。
そのまま3年続いたのは最早根性のなせる業なのですが、その時の運動量でも体重はむしろ増えていき中学2年生の身体測定では106kg。
高校で身長が伸びて今と同じになった時に110kgを突破しました。
そして大学入学。
大学ではさすがに団体競技はやりたくないと心に誓っていました。
当時(昭和末期)のラグビー部は全てにおいて集団責任という謎の規律を是としていましたので、誰かが練習を休めば”回し”(まわしと言う名の罰走です)練習で声が出ていなければ回し。気合が足りなくても回し。
およそ科学とは通いルールで走ってばかりの練習でした。しかも他人の動向まで気にしなくてはいけないという地獄。
そういう訳で重量挙部に入りました。そこでもそこそこ活躍出来たんです。一応、東日本対抗と全日本大学で優勝できたから。
そういう歴史が自分の肥満を無理やり是としてきた部分は否めません。
当然そういう自分ですから付き合う彼女も当然否定しない訳です。むしろ大きい・強い人が好きという人ばかり。
結果いびつな形での自己肯定感のまま大人になっていったわけです。
そういう中で今までは血液検査の値もさほど悪くなく、体重があっても結構動けていたのであまり深刻に考えていませんでした。
けれどもね。やはり50才を超えて体の重さが気になりだします。
この年齢になると食べる量を減らしてもなかなか減らない現実。
一進一退で全く進歩の無い状でした。
概ね120kg台を上下する形で固まってしまっていた感はあります。
結局そこで妻に背中を押してもらう事になったわけです。
結論がでれば後は治療にまい進するのみ。(続く)
