1989年6月4日。
天安門前広場の様子を、芝居を書きながら、テレビで見ていた。
デモに集まる人々のさわやかな顔を見ているうちに、なんだか落ち着かない気持ちになってきた。
「みんな、逃げろ!」
と、思った。
「この人たちは殺される。」
そんな気がした。
不安な気持ちが、どんどん膨れ上がり、
「お願いだから、逃げてくれ!」
と、祈るような気持ちで見ていると、画面が乱れた。
戦車が人間の上を走った。

遠く香港から、デモの人たちを勇気付けていたテレサ・テンの、悲痛な叫びが忘れられない。
1997年に迫った「香港返還」を前にして、香港の人たちを、大きな不安が襲った。
台湾人は奮い立ち、「祖国台湾」を求めた。
それからの香港は、投げやりなほど明るかった。
自分たちの「未来への不安」を、笑い飛ばそうとしているかのようだった。
ジャッキー・チェンは、早々に香港を裏切った。
チョー・ユンファはシンガポールへと去った。

1995年、香港返還を前にして、テレサ・テンが亡くなった。
色々と悲しくて、香港を守りたい人たちへのエールのつもりで、芝居を書いた。

イギリス人であったはずの香港人の未来を屠り、目先の利益を選んだ大英帝国が、心底嫌いになった。
「香港の次は台湾」
良くも悪くも、そんな空気が立ち上っていた。
「せめて、台湾は守りたい。」
そんな気持ちだけで、台湾の民主化(本土化)運動には、体を運ぶことにした。

それから、もう、20年も過ぎてしまった。
いつの間にか、
「香港もつまらなくなってしまった」
と、他人事のように嘆く自分を見つけて、無性に腹が立ってきた。

あの夜からは、30年。
6月4日から続く道は、ずっと、続いているのに。
私は、何を呆けていたのだろう?

大英帝国と同じように、台湾企業も、日本企業も、未来のことなど考えもしないで、目先の利益を貪る「餓鬼」だ。
チベットで仏教徒を虐殺する政府の御用機関でしかない仏教会と「交流なるもの」を楽しみ、嬉しそうな顔で写真に納まる坊さんたち。
〇京大学○○教授という紙切れを与えられ、歓待され、ご満悦な仏教学者たち。
右だ左だという色分けが、狂おしいほど鬱陶しい。

右だとか左だとか、言っていられるのは、自由で、かつ、平和ボケしているからだ。
右でも左でも、「自由」って大事だよね。
理由もなく、人を殺しちゃ、ダメだよね?

「人の心を自由にしてくれるのが仏教だ」
ということを、忘れていました。
「餓鬼」「畜生」から、抜け出したいと思います。

でも、何をしたら良いのか、わからないまま吠えてるんですけどね。
お恥ずかしい限りです。