もう、40年以上前の話です。
今は亡き親友の親父に真顔で言われました。
「夜道でおかしなものと出会ったら、いいか、般若心経を称えるんだぞ。」
と、力強く。
私が、中学三年の頃ではないかと思います。
当然、自分が僧侶になるなどとは、夢にも思ってはいない頃です。
当時、この親友親子は、夜毎、すさまじい抗争を繰り広げていました。
決まって夕食時、親友母から電話が来て、
「止めて―!」
と、叫ばれます。
慌てて駆けつけると、そこはまさに修羅場。
木刀の親父と、金属バットの親友が、互いのタマを取るべくやり合っています。
睨み合いなどではありません。
本気で振り回しています。
私とて、そんなところへ素手で向かうほど、馬鹿ではないので、赤樫のヌンチャクか、サイ(十手みたいな沖縄の武器)を装備しています。
「さて、どうやって止めようかな?」
と、しばらく様子を見ているしかない私ですが、不図、部屋の隅で、
「もう、いい、殺して!あの子、殺して!私も死ぬから」
などと叫んでいる親友母に目をやると、なんと、胸の前で包丁を構えているではありませんか。
両手で、柄をしっかりと握りしめ、刃先は前に。
「うわっ!トバッチリ食って、ここに飛ばされたら死ぬな。」
と、思いました。
今にして思えば、木刀や金属バットが当たっても死ぬかもしれませんが、当時の私は、感覚が麻痺していたのか、そんなことは思いもしませんでした。
もちろん、痛いのも嫌なので、注意は怠りませんでした。
誰かが止めなければ、どちらかが動けなくなるまで戦いは続きます。
止めなければなりません。
しかし、彼らは軍鶏のような生粋のファイターたちだったので、結局のところ、止めるには、どちらかを動けなくするしかありません。
そうは言うものの、さすがに、武器で親父を殴るわけにもいかないので、しばし観戦の後に、隙を見つけて親友の動きを止めるのが常の事でした。
その後は、まあ、「飯でも食ってけ」だとか、「茶でも飲んでけ」と、親父に付き合わされるのがお決まりとなっていました。
親子が激しく揉めていた一か月ほどの間、そんなことが、大なり小なり、週に何度かあったので、親父とは頻繁に顔を合わせていたわけですが、けっこうしつこく言われました。
「般若心経だけは覚えておけ」
「夜道でおかしなものと出会ったら、般若心経を称えろ」
と、週一ぐらいで言われていたような気がします。
その頃の私が夜道で出会う「おかしなもの」と言えば、木刀や鉄パイプや金属バットを持った「おかしな人たち」くらいだったので、「般若心経」では、止められません。
「くどい親父だなあ、お前の動きが止まるなら覚えてやるよ。」
と、思っていました。
今でいう「ポツンと一軒家」のような、山奥育ちで、
「今まで食べた肉で一番美味かったのは?」
と、聞くと、
「ムササビだな。」
と、普通に答えるような親父だったので、山で色々な「もの」と、出会っていたのかもしれません。
皆さんも、夜道でおかしなものと出会ったら、「般若心経」を称えて下さいね。
そんな「般若心経」ですが、皆様、ご存じですね?
「般若心経」と言えば、「空」のお経です。
続きは「サルブツ通信」にて。