短期連載「3.11から10年」その3 | つばきのつれづれブログ@心のリハビリ中

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鉄道好き鉄道マンとアニメゲーム好き息子2人の兼業母♪ダンナは難病重症筋無力症療養中。お出かけ好きな家族なので思いつきでお出かけも♪不定期更新です☝️
忙しくも楽しく過ごしていた私がうつになっちゃいました。心の特効薬は最推し坂口健太郎くん心の息子です。

こんばんは
先日
10年前を彷彿とさせるような
大規模な地震が東北を中心に
襲い、被害が再び出ました

まるで

人々のほとぼりが冷めてきた頃に
天からの戒めのメッセージのような

そんな時に
こういう記事を上げてもいいのかどうか
正直悩みましたが
中途半端で終わっても
仕方ないので
非常に不躾だとは思いますが
再開したいと思います



以下
7年前に書いた記録です


3月17日の未明に主人から連絡がありました。
ガソリンのあるうちにこっちに一旦来ないかと。

真夜中に急いで最低限の持ち物と炊飯器と布団を用意しました。
早朝、車で主人が到着。
荷物を入れられるだけ載せて家族で主人のアパートのある真岡に行くことにしました。

途中、那須のマックに立ち寄りました。メニューが限られてはいましたが普通に営業していました。
まともにこの数日食べられなかった食事です。

涙が出そうでした。

途中休み休み、下道を約7時間かけて真岡のアパートに着きました。
6畳ワンルームの部屋に4人雑魚寝状態でしたが
その夜は震災以降、初めてぐっすり眠れた気がします

それから約一週間、まだその時は卒業式がどうなるかわからなかったので、
当初の卒業式前日に帰る予定でいました。
帰る前に卒業式の中止の連絡が来ましたが、荷物を整理する目的もあって一旦4人で帰ることにしました。

卒業式があるはずだった23日、子供達を連れて小学校に行きました。
2人の担任がそれぞれいたので挨拶をして私物を持って帰りました。

それから荷物を整理して再び真岡に戻るため我が家を出ました。
予定では主人の次の休みまで居る予定です。

途中、郡山の温泉で久しぶりに広いお風呂に入り、そこで昼食を取って行きました。

下道を通ることおよそ7時間、所々休み休みでしたが深夜に真岡に到着

主人のアパートはワンルームだったのでそこに4人雑魚寝状態でしたがやはり本宮に居るよりは安心感がありました

買い物に行くと福島と違って物の数が全然違いました。地元じゃ食べ物もガソリンも不足しているのに、こっちは物が豊富にある……
何だかいたたまれない気持ちになりました。

計画停電の対象区域ではありましたが
一応、準備はしてありましたが何故か私らが真岡に避難している期間は計画停電に当たることがありませんでした。

最終的に本宮の自宅に帰ってきたのは3月27日、震災から16日後の事でした。
次男の学童保育が28日から再開ということで仕事も28日に復帰することになりました。


ただ、大変だったのはそれから後の事でした。
この3年、震災からの復旧というよりも放射能という目に見えないものとの闘いになるとは思ってもみなかったので

こうして震災、原発事故からの復興へのあゆみが始まったのですが

思えばもう3年、というよりも
まだ3年という気持ちの方が強いです

小学校の卒業式が出来なかった子たちが中学校で初めての卒業式を迎えようとしています

福島というだけで「大丈夫なんですか?」と聞かれるたびに
何だか温度差を感じずにはいられないのです

それでもここではたくさんの人々がふるさとを捨てずに暮らしています

放射能という現実と、風評という現実、何年かかっても完全に消えるものではないでしょう

ただ、この被災地への思いだけはこれから先の未来にずっと消してはいけないのだと願ってやみません

多くの尊い命に寄せて黙祷したいと思います。

2014年3月11日



ここまでが
7年前に書いた
当時の記録メモになります

他にも断片的に書いてるものもありますが
それらはまた次の時に更新出来たらと思います


ここまでお付き合い下さりありがとうございました🙇