「死にたい」と言った人と、私の中の怒り
「死にたい」利用者さんにそう言われた朝、私は介護士として、冷静でいようとした。娘に会えないなら、生きる意味がない。そういう事なのか?その言葉を聞いた時、私は介護士である前に「娘」の立場になった。なので私は「同じくらいの年齢の母がいる。もし母が同じことを言ったら私はきっと泣く。離れて暮らしていても、生きていてほしい。それが娘の本音だ。」そう伝えると、利用者さんは崩れるように泣いた。私は利用者さんにティッシュを渡し涙を拭いてもらうと利用者さんは、少し顔が和らいでいた私は利用者さんの身なりを整え、食堂まで一緒に歩いた。その日は、利用者さんがいつも拒むデイサービスがある日利用者さんが「デイサービスに行く理由がない」と言うから、私は役割を渡した。「他の利用者さんを手伝ってほしい」そう私が言うと渋々デイサービスに行ってくれた夕方、その利用者さん、笑顔で帰ってこられた。正直、ほっとした。と同時に、胸の奥がざわついた。元夫からいつしか言われた言葉「酒で死ねるなら本望」「自分は病気じゃない」アルコール依存症は否認の病。断酒会などの自助会に行けば同じ苦しみを抱えた人たちと出会えるのに。でも頑なに行かないと元夫に怒鳴られた。元夫はこちらが差し出さした手を払いのけた。私は支援者として、「本人が選択しないと意味がない」と理解しているつもりだ。それは、アルコール依存症という難病に向き合ってきた事で学んだことでもあるでも元妻としては、腹が立つ。どうして他人の本当は【生きたい気持ち】には寄り添えて、一番近かった人の【助けてほしいサイン】には向き合えないのか。どうして元夫には怒りが湧くのか。私はソーシャルワーカーになりたいのに完璧な支援者じゃない。揺れる。腹も立つ。諦めたくもなる。それでも「死にたい」と言った利用者さんはその日笑顔で帰ってきた。それが、今の私の救いだ。元夫も、いつか。怒りの奥にある弱さを、自分で認められる日が来るのだろうか。支援とは、人を変えることではない。変わろうとした瞬間を支えること。なのかな?と思うそう自分に言い聞かせながら、私はソーシャルワーカーになるために日々勉強していこう