最近は転職活動をダラダラとしているメンヘラおじさん

だけど、何がキッカケかよく分からないけれど、最近は開き直っている

最近のモットーというか方針は、「俺は俺のままこの世界と対峙する」というものだ

 

どういう事かというと、要するに人々、あるいはこの世界から気に入られるように振る舞う事をやめるという事だ

これだったのだ

 

休職期間が終わりに近付くにつれ、まぁ俺も「働きたくないなぁ」という気持ちがあった

ただ、正確に言うと労働自体は全然苦じゃないのだ 

実際、ボランティアなんかでは「これを毎日8時間とかでも全然余裕だなーこういう仕事したいなー」なんて思っていたものだ

 

だから、「働く」という言葉の中に、純粋な労働行為以外の何かも含まれていて、

その何かが嫌だから「働きたくない」となっていたわけだ

 

ではその、労働行為以外の何か とは何なのか

 

今までこれをちゃんと考えた事が無かったのだけど、ふとしたキッカケですぐに分かった

それは、「人から気に入られるように振る舞う」という事だ

顔色を伺うと言ってもいい 個人的には、それの上位版であると言いたいのだけど

 

「この人にとって、私はこのように振る舞うのが良い」と判断し、それを実行するという事だな

それをやり過ぎて頭がおかしくなり、休職にまで追い込まれたわけで

 

で、私の中では「働く」=「他者にとっての善人であり続ける」という事になっていた

そしてそれを辞めたのだ

 

 
 
「拒絶感受性」という言葉がある
Googleで調べたらこんなんが出てきた
 
拒絶感受性とは?
拒絶感受性(rejection sensitivity: 以下 RS) は,1996 年に Downey & Feldman によって提唱 された概念であり,“拒絶の手がかりに対して, 不安気に予測し,素早く知覚し,強烈に(否定的 に)反応する傾向 ” として定義されている (p.1327)。
 
まぁ、ネーミング的にそんな感じだろうなという内容だ
拒絶感受性が高い、と言う表現をするのだろうか 私はそうだ
 
だがよく考えたら、拒絶されるためには、何かこう、迎合するような事を自分がしている前提だ
町中で前から歩いてきた人にいきなり「拒絶」されるなんて、ありえないだろう。
拒絶とはどういう意味か?調べてみよう
 
きょぜつ
拒絶
ことわること。いやだと言って受けつけないこと。
 「要求を―する」
 

 

このように、AさんがBさんに何かをして、それへの反応として「拒絶」があるわけだ

拒絶感受性が高いのは問題だなというのは自分で思っていたけれど、

そもそも迎合的な、「気に入られにいくムーブ」を呼吸するようにする点については考えていなかった。

 

全ての元凶はこれなんじゃないのかと思う

 

色々あるけれど、全てはここから枝分かれ、あるいは燃焼していき、

もう手が付けられなくなっていたのだろう、と思う

 
というわけでそれをやめる
 
転職活動においても、志望動機がどうこうとか、
面接対策とかどうこうとか、そういうのをギチギチにやる気も無い
 
別に、素のままで挑んでそれで採用されるなら頑張って働くし、
採用されないならそれもそれで仕方ない
いよいよ食うに困るとなったら職を選ばず働くし、それすら出来ないんだったら粛々と死んだら良い
 
であれば、可能かどうかはともかく「素で挑んで受かり、まぁまぁ稼げだら最高じゃん」っていう話になる
自分の性格面はともかく、仕事は出来る自信も実績もある
まぁだから採用してくれれば絶対後悔はさせないのだけど、別にだからって採用して貰うために背伸びするつもりもない
新卒ならともかく、もう34だしな
 
そう考えると色々開きなってきて、書類選考で落ちるのもどうでもいいし、
面接だってどうもでいいって事で緊張しなくなってきた
 
というか採用試験で落ちる事は、いわば拒絶されるという事であって、
「僕頑張りますから、お願いですから採用してください!」ってスタンスだから「拒絶される」が成立するわけなんだよ
 
だから、別に採用してもしなくてもどっちでもいいっていうスタンスだったら拒絶されようが無いという事だ
 
というわけで、テキトーにポンポン募集を出しているけど、冷やかし感覚で出している
面接だって冷やかし気分でテキトーに受けるさ
勿論、成人式で暴れる子みたいに、意図的にふざけたりする気は無いけれど、
フレッシュさとか、熱意とか、そういう印象操作をする気が無いという事だ
 
さて、自分自身がこの世界に通用するのか、またはしないのか
どっちでもいいし、どっちであってもちょっとワクワクする
 
まぁでも明日は友人の結婚式だ
受付を任されたのだ ようし 頑張るぞぅ