まぁスタートラインなんてものは無かった

いい意味で だ 暗い話ではない


というかスタートもゴールも無い だから道も無いし道中も無い

上も下も無いし前も後ろも無い


これは別に俺だけがそうというわけではない

皆そうなのだ


残念ながら 何も無かった

何も無いのだなという気付きというか、納得感は大きい

転職活動一発目で面接まで漕ぎ着けたし、感触も良好

まぁ収入は2/3くらいか下手したらもっと減るけど、別に恋人を作る気も無いしましてや結婚する気も無いしどうでもいい


次に働きたいのは霊園だ お墓

そして近々面接を受けるのはペットのお墓

父のお墓探しをする中で、この仕事がしたいと思った


元々、死に触れる仕事がしたかった

葬儀屋になろうとした時期もあったけど、父親からハッキリ反対され、今ではそれが遺言でもある

それに、父が亡くなった時に葬儀屋のえげつなさも身に沁みたしな


だがお墓もまぁ似たようなもんだが、死者のために継続して祈れるし、何より職場は静かで自然に囲まれている

積極的に生きはしないが、死のうともしない

死んだように健やかに生きると決めた俺には、まさに理想の職場だと思う

しかも人間ではなく、俺が大好きな動物の供養

最高だ そして健やかだ


ただ、履歴書と職務経歴書を書いてて、なんか俺って結構色々頑張ってきたんだなーと客観的に思い、何でこいつがいきなり霊園に来るんだろうと笑えてしまった

定量的・定性的双方の実績をつらつら書きながら、そんでなんで霊園?っていう

向こうもまぁ警戒してるだろうな スマイルスマイル


死者は尊い

死んでしまった本人も悲しいだろうし遺族も悲しい

特に、中学生とかの子供が自殺してしまったというニュースを見ると、とても悲しくなる


否定はしないし、出来ない その決断を

また子供なんだからいくらでも未来があるのに!なんて言えるものか

その、訪れるかどうかも分からない未来まで、あとどれだけ悩み苦しめばいいのか分からないのに

どうしてそれを否定出来るのか


死は安寧 死は安らぎ 死は救い

だとは思うのだけど、もしも もし死後も苦しむような事があるのなら それはもっともっと悲しい事だ

だから祈りたい 名も知らぬあなたの魂に、安らぎがありますように


自殺とかうつ病とかのワードがあるから、もしかしたら、これから死のうとしている人がこれを見るかもしれない

その決断を、それに至るまでの苦しみと絶望を、否定する事は出来ないし

ましてや理解だなんて そんなおこがましい事も出来る筈が無い


生きていればきっといい事があるとも思えない

「いい事」に反応する器官が壊れてしまっているのだから

穴の空いたバケツに水を汲んでも汲んでも漏れ続け、「汲み続ければきっといつかは溜まるよ!」だなんて、おかしな事を言う

バケツに穴が空いているのだ 汲み方や継続性の問題ではない


なぁ


だけど もっともっとよく見たら  

みんなバケツに穴は空いているのだ

あなたも そいつも あいつも 彼も 彼女も

穴が大きいか小さいかの違いだ

いずれ水は底を尽く


大体、水を汲む って、その汲む水は何なのだ

オアシスのように、公園の蛇口のように、勝手に湧いてくるのだろうか

まぁそういう場合もあるだろう そういう人も居るだろう


では、オアシスも蛇口も無い人は?

そういう人は居るだろう

最近は「親ガチャ」とか「国ガチャ」とかっていう言葉があるらしい アレなんかまさにそういう事を言いたいのだろう


乾いている 水が無いから

水が無い 水を汲めないから

水を汲めない 水場が無いから


故に


水を汲める水場が無ければ乾く




それこそが根本的な勘違いだ

自分を潤すために水場なんか要らない

「希望」とは、ここでいう水場だ


希望が無いとは 水場が無いという事だ

だからどうした 水場なんか 希望なんかクソ喰らえ

水場が無ければ潤えないじゃないか と思うだろうか

そもそも何故潤いたいのだ


花屋の店先に並んだ色んな花みたいに、キラキラと華やかに咲いたりしたいのか

違うだろ

乾いて乾いてもがき苦しんでいる人は、別にそんなキラキラしたいわけではない筈だ

「潤いたい」とも若干違う 潤う事は手段であって、最終目的は楽になる事である筈だ


では楽になるとは



自分が枯れない程度に水を得られればいいのだ


「いやだから水場が無いんだからその水が得られないだろう」と思うだろうか

そんな事は無い

自分が枯れない程度の水を得るだけなら、水場が無くても得る方法がある

実際の植物にはそんな事は出来ないが、人間は出来る


それが、いい意味での諦めだ

健全、健やかな、朗らかな諦めだ


ご飯を食べて寝てれば死なないのだ

そのために最低限お金が得られればよく、その手段は労働であったり、国の制度であったり、色々とある


お金を得る手段が潰える事もあるだろう

本当にどうしようもなくなったら、あーダメかーほなサイナラと死んだらいい


「そんな惨めったらしく生きても意味が無い」だろうか


じゃあ芸能人や、なんかティックトッカーとか、インフルエンサー?とか、そういうのは華やかで生きてる意味があるのだろうか

大谷翔平は生きてる意味があるだろうか

まぁ100人に聞いたら100人が当たり前だろバカじゃねーのと言うだろう


では聞きたい




なんで?




子供に夢を与えているからか

世界的な偉業を現在進行系で成し遂げているからか

国の埃だからか

経済に良い影響を与えているからか

苦しむ人に勇気を与えているからか


ははぁ なるほど

つまり、「人間及び人間社会にとって有用だから」か


そうだ


生きてる価値があるとか

生きてる意味があるとか

そういうのは全て「誰かにとって」という前提がある


では聞きたい

絶望し、苦しみ、悩み、死んでしまいたいあなた


あなたは、誰かにとって価値ある人間でありたいのか

もしそうなら、それは何故か

誰かに褒められ、認められたいのか

自分の優位を、善性を、誰かに 人に 人間社会に証明したり承認されたいのか


そうなのか?本当に?



楽になりたいのではないだろうか

その手段が、人間または人間社会からの承認しか無いと、思い込んでいないだろうか


そうだろうか?


もしそうなら、いわゆる「嫌われもの」は楽になれないし、もがき苦しんでいる筈だが

果たしてそうなっているか

多くの人から嫌われているのに、なんか人生楽しそうな奴を見たことは無いのだろうか



あぁそういや 嫌われる勇気という本が売れてたな


別に積極的に嫌われにいく必要と無い

「これをしたら嫌われる…けど!あえて!!やるんだ!!!」みたいな覚悟も要らない


別に 生きてりゃいいと思う

物理的にそれが難しくなったらさっさと死ぬか、死ぬような事を死ぬまでやればいい

オススメは冬山に一人で登る事だ

富士山で低体温になって何度も失神して死にかけたけど、ホント全く苦しくないし、よっこいしょと腰を下ろしたと思ったらもう死んでる

俺の場合は友人がわざわざ探しに来て張り手をかましてくれたからまだ生きてるが


勿論、楽しい事を放棄する必要も無い

お散歩とか意外と楽しいし

その補助として心療内科の薬を使うのもいいだろう



長くなってしまった


つまり


死にたいと思う程の痛みと絶望を否定する事は誰にも出来ないが、

痛みを無くすためには何を、何故、どこまでやれば十分なのか、一度考えてみて欲しい、と思う



最後に、本音を書きたい


我々のメンヘラこそが正常なのだ

この世界がおかしいわけではないが、人間社会が狂ってるだけだ

その狂った人間社会から「おかしい」と言われるのならマトモだという事だ


だからと言って、狂った人間社会に無理して迎合する必要は無いだろう

彼らにとっての狂人を。自分にとっての正常人を、ただ自分だけのために目指せば良いと思う


スタートラインもゴールも無い

前も後ろも上も下も無い

「自分はこれが良い」と思う事をやり続けるのが善い


俺はそうする


真っ暗だとは思うが、そもそもこの世界は真っ暗なのだ

オケラだってアメンボだって真っ暗だ

この世界そのものに色は無い


人間達は、人間達のコロニーを作ってそこの屋根になんか色々描いたりしてるが、それはあくまでコロニーの中の話だ

そしてコロニーで暮らす人々自身に色は無い


コロニーの外、つまり世界そのものは真っ暗だ

だから自分自身に色を付け、足元を照らせる程度の明かりをまとい、歩いていったりいかなかったりすればいいのではないだろうか


だか、たけのこの里派はダメだ もう 無理 一生不幸だしもうなんか、ウンコ