年が明けると恒例の「京の冬の旅」に季節になります。

今年のテーマは「明治維新150年記念と西郷隆盛」。NHKの大河ドラマも西郷隆盛が主役ということで、明治維新、西郷隆盛ゆかりの寺院など15か所で通常非公開の文化財を観ることができますが、ほとんどが10日(火)からの公開ということで、6日(土)から公開を始めている相国寺、妙覚寺を訪れました。

 

第一弾は相国寺の塔頭、林光院。

 

【基本情報】

宗旨;臨済宗相国寺派

開基;足利義光

勧請開山;夢窓国師

本尊;地蔵菩薩

所在地;京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町

 

 

 

足利四代将軍義持の弟義嗣(林光院殿亜相考山大居士)の菩提を弔うため、夢窓国師を勧請開山として京都二条西ノ京、紀貫之の屋敷の旧地に開創された寺。
応仁の乱後、等持寺の側に移り、その後も移転すること数度繰り返し、元亀(1570~72)の頃、雲叔周悦和尚輪番住職のとき、豊臣秀吉の命により明・韓通行使となって功あり、秀吉はこれに報いるため林光院を独住地とし、また相国寺山内に移設しました。

 

当院は島津家とのかかわりの深い寺院で、以下のようなエピソードがあります。

慶長五年(1600)関ヶ原の戦いのとき、島津義弘は両陣営の中央を突破し伊賀に隠れます。かつてより親交の厚かった大阪の豪商田辺屋今井道與(どうよ)が潜伏先に急行し、困難極まる逃避行を実行して、堺港より乗船させ、海路護送して無事薩摩に帰国させたそうです。この抜群の功により、薩摩藩秘伝の調薬方の伝授を許され、これが田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)のルーツとなります。 

後に道與が高齢となり、薩摩まで義弘に会いに行けなくなると、義弘は自ら僧形の像を造り道與に与え、道與は住吉神社内に松齢院を建築しその像を祀ります。義弘没後は位牌も添えられますが、松齢院が後に疲弊したとき、道與の嫡孫の乾崖梵竺が林光院五世住職となり、義弘の像と位牌が林光院に移され、島津家により遷座供養が修行されたそうです。以降、薩摩藩との関係ができ、現在、林光院墓所に幕末の蛤御門の変や鳥羽・伏見の戦いで活躍した薩摩藩士の墓があります。

 

 

書院南庭には、「鶯宿梅」と呼ばれる名梅があります。

いわれは『大鏡』に記されていて、村上天皇の天暦年間(947~56)御所清涼殿前の梅の木が枯れ、代わる木を求められたところ、紀貫之の娘の屋敷の梅が選ばれ、勅命により御所に移植されたそうです。

ところが、その梅の枝に

 

「勅なればいともかしこし鶯の
宿はととはばいかがこたえん」


との歌が書かれた短冊が掛けられており、これを見て、天皇はその詩情を憐れみ、この梅をもとに返されたといいます。この後、この梅を「鶯宿梅」と称されています。
2月下旬から3月上旬にかけて花をつけるそうで、今回の訪問時はまだ、蕾は小さい状態でした。また、今回が初公開ということもあり、庭園の写真撮影すら禁止という状況で、少々残念な公開となっています。

 

 

【御朱印】

 

本尊の地蔵菩薩と鶯宿梅の御朱印

 

「京の冬の旅」の限定御朱印

右「龍吟雲起」(龍吟じれば雲起こり)

左「虎嘯風生」(虎嘯(うそぶ)けば風生ず)

*左の御朱印の絵は、猫ではなく虎です。また書院内では、左の虎の絵の襖と右の龍の絵の襖は相対するように配置されています