今日は土佐清水市に入った所まで歩きました。


お世話になった民宿たかはまさんです。

昨夜フィリピンで起こった地震のため津波注意報が出て気が気でなく眠れませんでしたが、実際に津波が来たのは深夜3時頃で波の高さ10cmだったので、それからやっと就寝。3時間しか寝てませんけど6時に朝食を頂き、用意をして7時45分に出発。


朝日が海面に反射して綺麗でした。


そのまま国道を歩くのも味気ないので、入野松原を歩くことにしました。


ここから入野松原に入って行きます。


砂浜も歩けますが、砂に足を取られて歩きにくく体力を消耗してしまいそうなので松林の中を歩きます。


最後の方は未舗装。このほうが遍路道っぽくて良いです。


入野松原を抜け、単調な舗装路を延々と歩きます。金剛福寺まで39.8km、まだまだ先は遠いです。


入野松原から歩くこと2時間弱、四万十川が見えてきました。しかし橋を渡ろうとした直前、いきなり左足の脹ら脛が攣ってしまい、痛くて歩くのが困難になったので橋の手前にある休憩所で脹ら脛に痛み止めの塗り薬を塗り、左足を軽くストレッチ&攣った脹ら脛をゆっくりマッサージすること30分以上、痛いながらも何とか歩けるようになりました。かなり時間をロスしてしまったので、

痛む左足を引き摺るように歩きます。


四万十大橋の上から。四万十川の豊かな水量を見てると、この水のいくらかでも水不足になってる地域に回せたらいいのにな、なんて思いました。


四万十川を渡り終え、3kmほど歩くとへんろ小屋があったので左足の脹ら脛を再度ストレッチ&マッサージ。この先が山越えなのでしっかり休憩とりました。



へんろ小屋を出てしばらく歩くと、大文字山が。

本家京都の大文字山よりはかなり小ぶりですが、看板にここが大文字山になった経緯が解説されていました。送り火も毎年行われているそうです。

他県の方で『大文字焼き』なんて言う人がいますが、あれは『送り火』と言うんです。大文字焼きなんて行事はありません。これを言うと京都府民や京都府出身の人の機嫌を一瞬で損ねることになるので、この言い方をしている方は今すぐ改めていただきたいと僕も思います。送り火はお盆の終わりに現世に帰って来ていた先祖の御魂を再びあの世へ送るための行事であり、単なる山焼きとは意味合いが違うんです。


大文字山を過ぎると山越えに。痛みをこらえながら登って行くと、トンネルの手前でへんろ道への分岐がありましたが、この状態でへんろ道を歩くのは厳しいのでそのままトンネルを歩きました。

1,620mの長いトンネルで入ってから出るまで20分かかり、トンネルを出ると宿まで残り5km、

左足の脹ら脛は限界に近かったけどラストスパートで1時間半歩き、今夜の宿に到着しました。


今日歩いた距離は32.3km、歩数は52,114歩でした。明日いよいよ足摺岬まで歩く予定です。