居合術稽古のすすめ
みなさん、こんにちは。
無痛整体師、武道家の西田です。
昨年の12月より、居合術を学んでいます。
合気道稽古を始めたのが、16年前。
以来、細々とではありますが、稽古を続けて参りました。
しかし、大きな行き詰まりを感じるようになりました。
加齢とか、体力不足の問題だけではない。
合気道を続けるために、決定的に足りないものがある。
私の場合、それは剣術を学んでないことです。
合気道に限らず、武術における体術の理合いは、剣術より生まれたもの。
多くの指導者がそのようにおっしゃっていますし、私の実感としてもそのように感じていました。
それゆえ、いつの頃からか、剣術を学びたいという気持ちが芽生えました。
ただ木剣を振るだけでなく、真剣を振りたい。
真剣の扱いの中にこそ、日本の伝統武術の真髄がある。
そう確信をしていたからです。
だから、真剣を扱う武術を学びたい。
その気持ちが決定的になったのが、この写真です。
合気道開祖が、腰に帯びているのは真剣(日本刀)です。
ネット等で探せば、他にもいくつか、開祖が日本刀を手にしている写真を見つけることができます。
日本刀は、単なる優れた武器というだけでない.
武士の精神的バックボーンとなるべき、何かがある。
武道稽古を続けるなら、それを体得したい。
その想いが、日に日に強くなりました。
いくつか、居合道場の見学に行きました。
せっかく見学をさせていただいたのに、たいへん失礼な言い方ですが、そこには残念ながら、私の求めるものはありませんでした。
術技以前の問題で、遠慮したい道場もありました。
しかし、求めれば、与えられる。
昨年の秋、インターネットで、町井 勲先生の存在を知りました。
町井先生がテレビ出演した動画が、公開されていたのです。
- シメジのカサを、居合斬りする。
- 横向けにおいただけのサヤエンドウを、水平方向に、真っ二つに斬る。
- 時速300キロ以上で飛来する直径6ミリのBB弾を、居合斬りする。
一度でも真剣を手にした経験のある方なら、これらがいかにすごいことか、おわかりいただけることと思います。
コンマ何秒、コンマ何ミリの狂いが許されない世界です。
まさに、神技です。
現代に、こんなことができる人が現存する。
その事実に、天地がひっくりかえるような衝撃を受けました。
ここに至るまでに、どんな厳しい修行を積まれたのだろう。
究極に突き詰め、鍛え、磨き上げた成果であり、確かにそこに至った人物がいるという事実に、とても大きな感銘を受けました。
この先生から、学びたい。
そう熱望するに至りました。
町井先生は、兵庫県の川西市に道場を構えておられる。
遠いが、通えないことはない。
そうしたところ、豊中市に道場を新設するとの知らせがありました。
ここなら、1時間ちょっとで行ける。
これぞ、神さまのお導き。
即座に、町井先生に、入門願いのメールを送りました。
町井先生からのお返事は、次のようなものでした。
「精神修養をしたいのであれば禅寺へ行って下さい。うちは人の斬り方しか教えられません」
それです!それが学びたいのです!
そのように、お返事を差し上げ、入門を許可されました。
以来、週に1回ではありますが、稽古に通っております。
稽古内容は、期待を大きく超えるものでした。
それは、なにゆえか。
次の町井先生のブログ記事をお読みいただくと、その理由の一端がおわかりいただけると思います。
「居合道に非ず居合術也」
http://ameblo.jp/isaom/entry-11492008475.html
古の武術とは、一瞬の命のやり取りを決する戦闘技術です。
町井先生は、それを真摯に追究されています。
そして、ご自身が命がけで会得してきたものを、惜しげもなく私たち門弟にお伝えくださいます。
居合形の稽古は、単に表層を撫でるのではない。
ひとつひとつの動きに、理合いがある。
実際に使えなければ、意味がない。
古流居合の形をもとにしながらも、独自の解釈や研究を重ね、それを解説してくださいます。
柄に手をかける。
その小さな動きでさえ、隙を見せてはならない。
日本刀の表面は、ピカピカに磨き上げられている。
それは、なにゆえか。
右手で刀を抜いてはいけない。
それは、なぜか。
また、いかにして抜けばよいか・・・
ひとつの形の中にも、実に多くの知恵が満載されています。
町井先生は、若い頃は刀鍛冶の修行をされていました。
その後、研ぎ師として活躍され、現在は刀剣売買を生業とされています。
日本刀や武具のことを、知り尽くされているのです。
稽古でお伝えいただく内容は、それらすべてを包括しています。
他道場では、絶対に学べない内容だと思います。
その中に、町井先生の超人的な技術に至る手がかりがある、そう思います。
「時速300キロの直径6ミリのBB弾を、居合斬りする」
これが、何を意味するか、おわかりでしょうか。
刀を鞘に納めた状態から、コンマ何秒で、狙ったところを正確に斬る。
つまり、一瞬で、人の命を奪えるということです。
それだけ聞くと、何と殺伐とした、物騒なことと思わることでしょう。
日本刀を、暴力の象徴と捉える方も多いでしょう。
でも、違います。
一瞬に人を殺めるものだからこそ、絶対に刀を抜かない。
それが、日本刀を扱う者の心得だと思います。
町井先生は、次のようにおっしゃいます。
「剣は、己の心を映す鏡なり。剣は、人を斬るためにあらず。剣は、己の悪しき心を斬るためにある」
一度だけ、真剣を手にして、巻き藁を試斬をさせていただきました(普段の稽古で使用しているのは、刃をたててない模造刀です)。
何も考えず、町井先生に言われた通りに、素直に身体を動かした時は、驚くほどうまく斬れました。
ところが、斬ってやろうと思った途端に、斬れなくなりました。
まさに、剣は心を映す。
邪心、心が乱れるとは、こういうことをいうのでしょう。
ものを斬ることは、目的ではない。
しかし、斬れるか斬れないかという、絶対の指標があること。
そこに、居合術稽古の意味があると思います。
己の鍛錬や成長の度合いを、如実に知ることができるのです。
町井先生が強調されるのは、「自然な身体の動き」です。
本来の身体の動きに逆らわない。
頭で考えて、余計な歪みや滞りを作らない。
そのために、実際に「人を斬れる」稽古をするのです。
しかし、絶対に刀は抜かない。
人と争わない、競わない。
何があっても、他のせいにせず、己の心の中を点検し、改める。
それが、心を修めるということ・・・
「修心館」という道場名は、そのような由来があるのではないか。
これは、私のまったく勝手な想像ですが・・・
私はまだ、学び始めたばかりです。
しかし、居合術には、日本伝統の素晴らしい心身文化の粋が詰まっている。
そう感じます。
ぜひ多くの方に、居合術の素晴らしさを知っていただきたい。
出来れば、実際に稽古に励んでいただきたい。
そうやって、日本伝統文化の粋に触れていただきたい。
日本の素晴らしさを、再確認していただきたい。
居合術は、老若男女、誰でも学べます。
武道経験の有無も、問いません。
ご興味がおありの方は、ぜひ修心館のサイトをご覧ください。
http://www.shushinryu.com/
私としては、単に術技を学ぶに留まらない。
己に厳しく、妥協を許さず、さらなる上を目指して鍛錬を続ける町井先生の姿から、多くを学ばせていただいております。
その原動力は、古の武士たちに対する限りない敬意と、それを支えてきた刀剣に対する深い愛情ではないかと拝察をいたします。
道は遥かに遠いですが、最高の師に教えを乞い、この道を歩めることを、心から幸せに思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
無痛整体師、武道家の西田です。
昨年の12月より、居合術を学んでいます。

合気道稽古を始めたのが、16年前。
以来、細々とではありますが、稽古を続けて参りました。
しかし、大きな行き詰まりを感じるようになりました。
加齢とか、体力不足の問題だけではない。
合気道を続けるために、決定的に足りないものがある。
私の場合、それは剣術を学んでないことです。
合気道に限らず、武術における体術の理合いは、剣術より生まれたもの。
多くの指導者がそのようにおっしゃっていますし、私の実感としてもそのように感じていました。
それゆえ、いつの頃からか、剣術を学びたいという気持ちが芽生えました。
ただ木剣を振るだけでなく、真剣を振りたい。
真剣の扱いの中にこそ、日本の伝統武術の真髄がある。
そう確信をしていたからです。
だから、真剣を扱う武術を学びたい。
その気持ちが決定的になったのが、この写真です。

合気道開祖が、腰に帯びているのは真剣(日本刀)です。
ネット等で探せば、他にもいくつか、開祖が日本刀を手にしている写真を見つけることができます。

日本刀は、単なる優れた武器というだけでない.
武士の精神的バックボーンとなるべき、何かがある。
武道稽古を続けるなら、それを体得したい。
その想いが、日に日に強くなりました。
いくつか、居合道場の見学に行きました。
せっかく見学をさせていただいたのに、たいへん失礼な言い方ですが、そこには残念ながら、私の求めるものはありませんでした。
術技以前の問題で、遠慮したい道場もありました。
しかし、求めれば、与えられる。
昨年の秋、インターネットで、町井 勲先生の存在を知りました。
町井先生がテレビ出演した動画が、公開されていたのです。

- シメジのカサを、居合斬りする。
- 横向けにおいただけのサヤエンドウを、水平方向に、真っ二つに斬る。
- 時速300キロ以上で飛来する直径6ミリのBB弾を、居合斬りする。
一度でも真剣を手にした経験のある方なら、これらがいかにすごいことか、おわかりいただけることと思います。
コンマ何秒、コンマ何ミリの狂いが許されない世界です。
まさに、神技です。
現代に、こんなことができる人が現存する。
その事実に、天地がひっくりかえるような衝撃を受けました。
ここに至るまでに、どんな厳しい修行を積まれたのだろう。
究極に突き詰め、鍛え、磨き上げた成果であり、確かにそこに至った人物がいるという事実に、とても大きな感銘を受けました。
この先生から、学びたい。
そう熱望するに至りました。
町井先生は、兵庫県の川西市に道場を構えておられる。
遠いが、通えないことはない。
そうしたところ、豊中市に道場を新設するとの知らせがありました。
ここなら、1時間ちょっとで行ける。
これぞ、神さまのお導き。
即座に、町井先生に、入門願いのメールを送りました。
町井先生からのお返事は、次のようなものでした。
「精神修養をしたいのであれば禅寺へ行って下さい。うちは人の斬り方しか教えられません」
それです!それが学びたいのです!
そのように、お返事を差し上げ、入門を許可されました。
以来、週に1回ではありますが、稽古に通っております。

稽古内容は、期待を大きく超えるものでした。
それは、なにゆえか。
次の町井先生のブログ記事をお読みいただくと、その理由の一端がおわかりいただけると思います。
「居合道に非ず居合術也」
http://ameblo.jp/isaom/entry-11492008475.html
古の武術とは、一瞬の命のやり取りを決する戦闘技術です。
町井先生は、それを真摯に追究されています。
そして、ご自身が命がけで会得してきたものを、惜しげもなく私たち門弟にお伝えくださいます。
居合形の稽古は、単に表層を撫でるのではない。
ひとつひとつの動きに、理合いがある。
実際に使えなければ、意味がない。
古流居合の形をもとにしながらも、独自の解釈や研究を重ね、それを解説してくださいます。

柄に手をかける。
その小さな動きでさえ、隙を見せてはならない。
日本刀の表面は、ピカピカに磨き上げられている。
それは、なにゆえか。
右手で刀を抜いてはいけない。
それは、なぜか。
また、いかにして抜けばよいか・・・
ひとつの形の中にも、実に多くの知恵が満載されています。
町井先生は、若い頃は刀鍛冶の修行をされていました。
その後、研ぎ師として活躍され、現在は刀剣売買を生業とされています。
日本刀や武具のことを、知り尽くされているのです。
稽古でお伝えいただく内容は、それらすべてを包括しています。
他道場では、絶対に学べない内容だと思います。
その中に、町井先生の超人的な技術に至る手がかりがある、そう思います。
「時速300キロの直径6ミリのBB弾を、居合斬りする」
これが、何を意味するか、おわかりでしょうか。
刀を鞘に納めた状態から、コンマ何秒で、狙ったところを正確に斬る。
つまり、一瞬で、人の命を奪えるということです。
それだけ聞くと、何と殺伐とした、物騒なことと思わることでしょう。
日本刀を、暴力の象徴と捉える方も多いでしょう。

でも、違います。
一瞬に人を殺めるものだからこそ、絶対に刀を抜かない。
それが、日本刀を扱う者の心得だと思います。
町井先生は、次のようにおっしゃいます。
「剣は、己の心を映す鏡なり。剣は、人を斬るためにあらず。剣は、己の悪しき心を斬るためにある」
一度だけ、真剣を手にして、巻き藁を試斬をさせていただきました(普段の稽古で使用しているのは、刃をたててない模造刀です)。
何も考えず、町井先生に言われた通りに、素直に身体を動かした時は、驚くほどうまく斬れました。
ところが、斬ってやろうと思った途端に、斬れなくなりました。
まさに、剣は心を映す。
邪心、心が乱れるとは、こういうことをいうのでしょう。

ものを斬ることは、目的ではない。
しかし、斬れるか斬れないかという、絶対の指標があること。
そこに、居合術稽古の意味があると思います。
己の鍛錬や成長の度合いを、如実に知ることができるのです。
町井先生が強調されるのは、「自然な身体の動き」です。
本来の身体の動きに逆らわない。
頭で考えて、余計な歪みや滞りを作らない。
そのために、実際に「人を斬れる」稽古をするのです。
しかし、絶対に刀は抜かない。
人と争わない、競わない。
何があっても、他のせいにせず、己の心の中を点検し、改める。
それが、心を修めるということ・・・
「修心館」という道場名は、そのような由来があるのではないか。
これは、私のまったく勝手な想像ですが・・・
私はまだ、学び始めたばかりです。
しかし、居合術には、日本伝統の素晴らしい心身文化の粋が詰まっている。
そう感じます。

ぜひ多くの方に、居合術の素晴らしさを知っていただきたい。
出来れば、実際に稽古に励んでいただきたい。
そうやって、日本伝統文化の粋に触れていただきたい。
日本の素晴らしさを、再確認していただきたい。
居合術は、老若男女、誰でも学べます。
武道経験の有無も、問いません。
ご興味がおありの方は、ぜひ修心館のサイトをご覧ください。
http://www.shushinryu.com/
私としては、単に術技を学ぶに留まらない。
己に厳しく、妥協を許さず、さらなる上を目指して鍛錬を続ける町井先生の姿から、多くを学ばせていただいております。
その原動力は、古の武士たちに対する限りない敬意と、それを支えてきた刀剣に対する深い愛情ではないかと拝察をいたします。
道は遥かに遠いですが、最高の師に教えを乞い、この道を歩めることを、心から幸せに思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。