「整体で日本を変える」
みなさん、こんばんは!
無痛整体師、武道家の西田です!
「整体で日本を変える」
これは、私の師匠である、故 村松幸彦先生の想いであり、志でした。
幸い村松先生のブログ記事 が、まだ残っています。
よろしければ、ご一読いただけると、その想いがよく伝わって参ります。
2008年1月。
村松先生に初めて出会った時、私はサラリーマンでした。
意を決して参加した、某整体学校の技術セミナーでのことです。
その際に、村松先生から伝えられた言葉。
それが「俺は、この整体で日本を変えたいんだよ」でした。
私はその時、号泣しました。
やっと、自分の歩むべき道を見つけた・・・
自分がついていくべき師を見つけた・・・
深い安堵感と、感動で、涙が止まらなくなったのです。
そして、その場で、整体師として生きていくことを決意しました。
村松先生は、私が学んだ整体学校の副学院長でした。
どうしても、村松先生に学びたい。
そのためには、その整体学校の長期コースへ進む以外にありませんでした。
長期コースの学費は、300万円。
講義は、毎月、一週間連続で行われます。
しかも、場所は静岡県焼津市です。
ここへ行くには、会社を辞めるしか、ありませんでした。
なので、会社を辞めることにしました。
家族、それも年頃の息子が二人いる身としては、無謀も甚だしい。
猛反対と、嘲笑の嵐でした。
でも、私はやらずにはいられなかったのです。
2008年6月。
私は会社を辞め、長期コースに通いだしました。
この時に学んだことや得た仲間は、私にとっての宝物です。
なので、この整体学校には、心から感謝をしております。
2008年11月。
私は、長期コースを修了しました。
それと同時に、現在の店舗 を開業しました。
しかし、うまくいかない。
来たお客さまは、よくなっていかれるのですが、経営が伸びない。
なぜ・・・?
当時の指導者(村松先生ではありません)に聴いても、
「それは、西田先生のやり方が悪いんです」
としか返事がもらえない。
独りで悩み、苦しむ日々が、続きました。
2009年3月、そんなある日のこと。
村松先生が、副学院長を辞めたと連絡がありました。
信じられない気持ちでした。
指導者に理由を訪ねましたが、納得できる返事ではありませんでした。
しかし、村松先生に連絡も取れません。
そんな時、私の整体院に、村松先生から電話がありました。
「話したいことがあるんだよ」
すぐに、村松先生に会いました。
お話をうかがって、なぜ辞めたのか、その理由がよくわかりました。
指導者から受けた説明とは、まったく違っていました。
詳しい内容は言及しませんが、
「教え子たちに、真に大切なことを伝えたい」
その一心でした。
そして、自分の名を冠した整体塾を立ち上げる構想を聞かされました。
私は、手伝わせていただけるよう、お願いをしました。
2009年7月。
村松先生の名を冠した整体塾の初講座が開講されました。
その時の様子は、私の旧ブログに記載しています 。
ご一読いただければ、幸いです。
以来半年間、私は村松先生の塾の補助講師として、講座に参加しました。
講座以外でも、できるだけ多くの時間を、ご一緒をさせていただきました。
その中から、本当に多くのことを学ばせていただきました。
その量と質は、整体学校時代の比ではありません。
約半年で、門下生は50名を超えました。
最初は、村松先生と私だけ・・・という状態から出発しただけに、たいへん感慨深いものがありました。
2010年1月。
村松先生は、この世を去りました。
何の前触れも、兆しも、予告もなく、まったくの突然でした。
「なんでやねん、一緒にやろう言うたやないか、これからやないか…」
悔しくて、悲しくて、数日間、泣き続けました。
人間、こんなに涙が出るんだと思うほど、泣きました。
その時のことを、やはり旧ブログ記事に記載しています 。
泣くだけ泣いたら、今まで感じたことのない力がわいてくるのを感じました。
「託された」
私は、そう思いました。
その約一年後に、本格的に整体法講座 を立ち上げ、指導を開始しました。
それまで、私一人で人さまを指導するなど、考えもしませんでした。
村松先生は自らの死をもって、私に大きな試練を課し、成長の機会をくださったのです。
今も、村松先生のことを思うと、涙が出てきます。
でも、それは悲しみの涙ではありません。
先生の深い愛情と思いやりに対する、感謝の涙です。
先生の魂、それを感じるから、私は何も怖くありません。
どんなに苦しくて、つらい状況に陥ろうと、整体の道を歩み、究め続けている限り、私には幸せしかないのです。
私は、村松先生ではありません。
また、整体の技術も、経験も、人間力も、先生の足元にも及びません。
だから、村松先生と同じことはできません。
しかし、村松先生が本当に何を伝えたかったのか。
何を目指していたのか。
それは、身をもって理解をしているつもりです。
そして、そのことを自分の講座でお伝えをしております。
それが、冒頭のひとこと、
「整体で日本を変える」
これに、集約をされています。
と申しても、私たちに、大きなことはできません。
もとより、他者を変えることは、私たちにはできません。
自分が変えられるのは、自分だけしかありません。
いま、世界はいろんな意味で、転換期にあると思います。
いろんなことを見直し、考え直さねば、平和も、資源も、環境も、もうこれ以上、もたない。
多くの人が、それを感じていることと思います。
そんな中におけるキーワードは、「調和」です。
日本人は、古来より、自然と調和し、周囲と調和しながら生きてきました。
調和は、日本人が伝統的にもつ、世界でも稀有な特質です。
今こそ、その特質を取り戻すことが、とても大切だと考えています。
それを、「整体」という仕事を通じて、世に問いたい、広めたい。
それが、私の考えあり、ライフワークです。
「整体で日本を変える」
村松先生から託された想いと志を大切にしながら、これからも誠心誠意の歩みを続けて参りたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
無痛整体師、武道家の西田です!
「整体で日本を変える」
これは、私の師匠である、故 村松幸彦先生の想いであり、志でした。
幸い村松先生のブログ記事 が、まだ残っています。
よろしければ、ご一読いただけると、その想いがよく伝わって参ります。
2008年1月。
村松先生に初めて出会った時、私はサラリーマンでした。
意を決して参加した、某整体学校の技術セミナーでのことです。
その際に、村松先生から伝えられた言葉。
それが「俺は、この整体で日本を変えたいんだよ」でした。
私はその時、号泣しました。
やっと、自分の歩むべき道を見つけた・・・
自分がついていくべき師を見つけた・・・
深い安堵感と、感動で、涙が止まらなくなったのです。
そして、その場で、整体師として生きていくことを決意しました。
村松先生は、私が学んだ整体学校の副学院長でした。
どうしても、村松先生に学びたい。
そのためには、その整体学校の長期コースへ進む以外にありませんでした。
長期コースの学費は、300万円。
講義は、毎月、一週間連続で行われます。
しかも、場所は静岡県焼津市です。
ここへ行くには、会社を辞めるしか、ありませんでした。
なので、会社を辞めることにしました。
家族、それも年頃の息子が二人いる身としては、無謀も甚だしい。
猛反対と、嘲笑の嵐でした。
でも、私はやらずにはいられなかったのです。
2008年6月。
私は会社を辞め、長期コースに通いだしました。
この時に学んだことや得た仲間は、私にとっての宝物です。
なので、この整体学校には、心から感謝をしております。
2008年11月。
私は、長期コースを修了しました。
それと同時に、現在の店舗 を開業しました。
しかし、うまくいかない。
来たお客さまは、よくなっていかれるのですが、経営が伸びない。
なぜ・・・?
当時の指導者(村松先生ではありません)に聴いても、
「それは、西田先生のやり方が悪いんです」
としか返事がもらえない。
独りで悩み、苦しむ日々が、続きました。
2009年3月、そんなある日のこと。
村松先生が、副学院長を辞めたと連絡がありました。
信じられない気持ちでした。
指導者に理由を訪ねましたが、納得できる返事ではありませんでした。
しかし、村松先生に連絡も取れません。
そんな時、私の整体院に、村松先生から電話がありました。
「話したいことがあるんだよ」
すぐに、村松先生に会いました。
お話をうかがって、なぜ辞めたのか、その理由がよくわかりました。
指導者から受けた説明とは、まったく違っていました。
詳しい内容は言及しませんが、
「教え子たちに、真に大切なことを伝えたい」
その一心でした。
そして、自分の名を冠した整体塾を立ち上げる構想を聞かされました。
私は、手伝わせていただけるよう、お願いをしました。
2009年7月。
村松先生の名を冠した整体塾の初講座が開講されました。
その時の様子は、私の旧ブログに記載しています 。
ご一読いただければ、幸いです。
以来半年間、私は村松先生の塾の補助講師として、講座に参加しました。
講座以外でも、できるだけ多くの時間を、ご一緒をさせていただきました。
その中から、本当に多くのことを学ばせていただきました。
その量と質は、整体学校時代の比ではありません。
約半年で、門下生は50名を超えました。
最初は、村松先生と私だけ・・・という状態から出発しただけに、たいへん感慨深いものがありました。
2010年1月。
村松先生は、この世を去りました。
何の前触れも、兆しも、予告もなく、まったくの突然でした。
「なんでやねん、一緒にやろう言うたやないか、これからやないか…」
悔しくて、悲しくて、数日間、泣き続けました。
人間、こんなに涙が出るんだと思うほど、泣きました。
その時のことを、やはり旧ブログ記事に記載しています 。
泣くだけ泣いたら、今まで感じたことのない力がわいてくるのを感じました。
「託された」
私は、そう思いました。
その約一年後に、本格的に整体法講座 を立ち上げ、指導を開始しました。
それまで、私一人で人さまを指導するなど、考えもしませんでした。
村松先生は自らの死をもって、私に大きな試練を課し、成長の機会をくださったのです。
今も、村松先生のことを思うと、涙が出てきます。
でも、それは悲しみの涙ではありません。
先生の深い愛情と思いやりに対する、感謝の涙です。
先生の魂、それを感じるから、私は何も怖くありません。
どんなに苦しくて、つらい状況に陥ろうと、整体の道を歩み、究め続けている限り、私には幸せしかないのです。
私は、村松先生ではありません。
また、整体の技術も、経験も、人間力も、先生の足元にも及びません。
だから、村松先生と同じことはできません。
しかし、村松先生が本当に何を伝えたかったのか。
何を目指していたのか。
それは、身をもって理解をしているつもりです。
そして、そのことを自分の講座でお伝えをしております。
それが、冒頭のひとこと、
「整体で日本を変える」
これに、集約をされています。
と申しても、私たちに、大きなことはできません。
もとより、他者を変えることは、私たちにはできません。
自分が変えられるのは、自分だけしかありません。
いま、世界はいろんな意味で、転換期にあると思います。
いろんなことを見直し、考え直さねば、平和も、資源も、環境も、もうこれ以上、もたない。
多くの人が、それを感じていることと思います。
そんな中におけるキーワードは、「調和」です。
日本人は、古来より、自然と調和し、周囲と調和しながら生きてきました。
調和は、日本人が伝統的にもつ、世界でも稀有な特質です。
今こそ、その特質を取り戻すことが、とても大切だと考えています。
それを、「整体」という仕事を通じて、世に問いたい、広めたい。
それが、私の考えあり、ライフワークです。
「整体で日本を変える」
村松先生から託された想いと志を大切にしながら、これからも誠心誠意の歩みを続けて参りたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。