師匠と弟子のあり方・・・師匠の命日に思うこと
みなさん、おはようございます!
無痛整体師、武道家の西田です!
これから整体師を目指すみなさんに、よくこうアドバイスをします。
「よい師匠を探しなさい」
武道においては、師を探すのに三年かけろ、と言います。
武道にせよ、整体にせよ、どこまでも深く、真理や人間を追究します。
単に、技術や知識やノウハウを学べばよいというものではない。
心を磨き、生き方を学ぶことこそ、修行の眼目である。
それを行う上で、師の存在が不可欠である・・・と、私は考えています。
ある整体師仲間が、ある本の一節を紹介してくれました。
内田 樹先生の「寝ながら学べる構造主義」という本だそうです。
「師を見るな。師の見ているものを見よ」
まったくその通りだな、と思います。
内田先生は、学者であり、優れた合氣道家でもあられます。
研究や修行の過程で得られた、実感なのだと思います。
私には、心から尊敬し、愛する師匠がいます。
故 村松幸彦先生です。
師匠は二年前の今日、2010年1月15日に亡くなりました。
従って、今はこの世にはいません。
でも、いつも、師匠がすぐそばにいる感じがしています。
とても不思議な感覚です。
「整体で日本を変える」
それが、師匠の夢であり、志でした。
師匠は、最高峰の技と心を、自分の師匠たちから、伝授されました。
それらは、真に人さまを幸せに導く宝だと、確信しました。
何とかして、それを広く、大勢の人に伝えたい。
師匠はそのように考え、自分の名を冠した整体塾を立ち上げました。
私は、師匠のおともをしながら、いつも必死で考えていました。
師匠は、何を考えているのだろう。
何を目指しているのだろう。
何が伝えたいのだろう。
師匠の一字一句をノートに書き込み、反芻しました。
ブログも、隅から隅まで、読みました。
今も時々、ノートやブログを読み返します。
そして、考えます。
それを通じ、知らず知らずのうちに、師匠の見るものを見ようとしていた。
師匠と同じように考えるようにしていた。
だから、いつも師匠がそばにいるような気がするのだと思います。
施術の腕前も、人としても、私は師匠の足元にも及びません。
しかし、師匠の見ているものを見つめている。
少なくとも、見よう、理解しよう、自分のものにしようと努力している。
それだけは、自信をもって言えます。
そして、それが私の原動力、つまり生きる力となっています。
それを見つめる限り、私には困難はありません。
どんなことでも、乗り越えていける。
そればかりか、毎日が、幸せで、幸せで、なりません。
それを思うと、師匠への感謝の念で、涙が止まらなくなります。
本当に大切なことを教えてくださったこと。
私に生きる力を与えてくださったこと。
ありがたくて、ありがたくて、心が震え、魂が震えます。
それが涙となって、あふれてくるのでしょう。
だから、みなさんに申し上げるのです。
「よい師匠を探しなさい」
と・・・。
整体学校へ行くのもいいですが、人を見てください。
師匠と呼べる人物を、探してください。
さて、今日と明日、師匠に会いに、静岡まで行ってきます。
兄弟弟子の先生方と一緒です。
この一年間、本当にいろんなことがありました。
今後、新たに取り組むこともあります。
それをすべて、ご報告してこようと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
無痛整体師、武道家の西田です!
これから整体師を目指すみなさんに、よくこうアドバイスをします。
「よい師匠を探しなさい」
武道においては、師を探すのに三年かけろ、と言います。
武道にせよ、整体にせよ、どこまでも深く、真理や人間を追究します。
単に、技術や知識やノウハウを学べばよいというものではない。
心を磨き、生き方を学ぶことこそ、修行の眼目である。
それを行う上で、師の存在が不可欠である・・・と、私は考えています。
ある整体師仲間が、ある本の一節を紹介してくれました。
内田 樹先生の「寝ながら学べる構造主義」という本だそうです。
「師を見るな。師の見ているものを見よ」
まったくその通りだな、と思います。
内田先生は、学者であり、優れた合氣道家でもあられます。
研究や修行の過程で得られた、実感なのだと思います。
私には、心から尊敬し、愛する師匠がいます。
故 村松幸彦先生です。
師匠は二年前の今日、2010年1月15日に亡くなりました。
従って、今はこの世にはいません。
でも、いつも、師匠がすぐそばにいる感じがしています。
とても不思議な感覚です。

「整体で日本を変える」
それが、師匠の夢であり、志でした。
師匠は、最高峰の技と心を、自分の師匠たちから、伝授されました。
それらは、真に人さまを幸せに導く宝だと、確信しました。
何とかして、それを広く、大勢の人に伝えたい。
師匠はそのように考え、自分の名を冠した整体塾を立ち上げました。
私は、師匠のおともをしながら、いつも必死で考えていました。
師匠は、何を考えているのだろう。
何を目指しているのだろう。
何が伝えたいのだろう。
師匠の一字一句をノートに書き込み、反芻しました。
ブログも、隅から隅まで、読みました。
今も時々、ノートやブログを読み返します。
そして、考えます。
それを通じ、知らず知らずのうちに、師匠の見るものを見ようとしていた。
師匠と同じように考えるようにしていた。
だから、いつも師匠がそばにいるような気がするのだと思います。
施術の腕前も、人としても、私は師匠の足元にも及びません。
しかし、師匠の見ているものを見つめている。
少なくとも、見よう、理解しよう、自分のものにしようと努力している。
それだけは、自信をもって言えます。
そして、それが私の原動力、つまり生きる力となっています。
それを見つめる限り、私には困難はありません。
どんなことでも、乗り越えていける。
そればかりか、毎日が、幸せで、幸せで、なりません。
それを思うと、師匠への感謝の念で、涙が止まらなくなります。
本当に大切なことを教えてくださったこと。
私に生きる力を与えてくださったこと。
ありがたくて、ありがたくて、心が震え、魂が震えます。
それが涙となって、あふれてくるのでしょう。
だから、みなさんに申し上げるのです。
「よい師匠を探しなさい」
と・・・。
整体学校へ行くのもいいですが、人を見てください。
師匠と呼べる人物を、探してください。
さて、今日と明日、師匠に会いに、静岡まで行ってきます。
兄弟弟子の先生方と一緒です。
この一年間、本当にいろんなことがありました。
今後、新たに取り組むこともあります。
それをすべて、ご報告してこようと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。