改めて、亡き恩師のこと
みなさん、こんにちは!
無痛整体師、武道家の西田です!
初心を思い出すために、以前書いた記事をリメイクしました。
私には、整体の師匠がおります。
心から尊敬し、心から愛する、恩師です。
師匠の名前は、故 村松幸彦先生。
村松先生がいなければ、私はこの道へは進んでいませんでした。
さらに申せば、この世にいなかったかも知れません。
村松先生に出逢ったのは、2008年の1月です。
当時、私はまだサラリーマンでした。
ある整体学院のセミナー。
何かに導かれるように、その存在を知りました。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで、50万円を支払い、参加しました。
そのセミナーで、村松先生と出逢いました。
「俺は、この整体で日本を変えたいんだよ」
村松先生は、初対面の私に、そう言いました。
その時、私は号泣しました。
やっと、自分の歩むべき道を見つけた・・・
その道を先導してくれる師が見つかった。
それが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まりませんでした。
魂が震える・・・そんな感じでした。
その後、300万円を支払って、同学院の長期コースへ進みました。
なぜ、そんな大金を積んだか。
それは、どうしても、村松先生に教わりたかったからです。
当時、村松先生は、同学院の副学院長でした。
だから、村松先生に学ぶためには、そこへ行く以外になかったのです。
それから半年間、その学院の長期コースで学びました。
村松先生から、たくさんのことを教わりました。
長期コースを卒業して、数ヶ月後。
2009年3月のことです。
突然、村松先生が副学院長を辞めたとの連絡がありました。
なぜ!?
理由もわからず、混乱し、困惑しました。
間もなく、村松先生から、直接電話がありました。
そして、大阪でお会いしました。
「この整体を学ぶ先生方を精一杯応援したい、ご縁のあったみなさんに成幸してもらいたい」
その想いを貫徹すべく、村松先生は旧職を辞されたそうです。
多くの誹謗中傷を浴びながら、たくさんのリスクを負っての決断でした。
当たり障りのあることをおそれない というブログ記事。
そこで当時の心境を綴っておられます。
「どうしてもやりたいんだよ、俺にしかできないんだよ」
村松先生の想い、熱意、行動に心を打たれました。
先生は、自らの名を冠した整体塾を立ち上げようとされていました。
それにあたり、私に手伝ってくれないかとのことでした。
返事は0.2秒、即決でした。
間もなく、村松先生の名を冠した整体塾が立ち上がりました。
講座に体験会・・・先生は、自分を犠牲にして、休みもロクにとらず、全国を走り回っていました。
まるで、何かに憑かれたように見えました。
私は、補助講師として村松先生の手伝いをしながら、多くを学びました。
その量と質は、長期コースの比ではありません。
学院時代には教わらなかった大切なことを、たくさん教わりました。
先生の姿から、整体師という生き方を学ばせていただきました。
ところが、2010年の1月、村松先生は志半ばで、急逝しました。
眠ったまま、この世を去ったのです。
昨日まで元気にしていたのに、本当に突然の出来事でした。
ある意味、先生らしい去り方でした。
しかし、ひたすら悲しかったし、悔しかった。
「なんでやねん。一緒にやろう言うたやないか。なんで死ぬねん」
こんなにも涙が出るものかと思うほど、泣きました。
でも、涙が枯れるほど泣いた後、これは村松先生の慮りだと気付きました。
自分が生きていては、弟子たちが自立しない。
もう教えるべきことは、教えた。
後は任せるので、しっかりやって欲しい。
今でも、村松先生の深い愛情と真心を思うと、涙が止まらなくなります。
実は、今も涙をこぼしながら、この記事を書いています。
その後、事情があり、私は先生の名を冠した塾を離れました。
そこでは、先生のご遺志を引き継ぐことはできないと判断したからです。
師を越える生き方こそ、恩返しの道
そんなタイトルの村松先生のブログ記事があります。
とても共感をいたします。
私は、技術的にも、人間的にも、未熟者です。
到底、村松先生の足元にも及びません。
しかし、村松先生の想いはしっかりと引き継いでいます。
そして、村松先生ができなかったことを、やり遂げます。
「いい生き方をしよう、いい人生を送ろう、幸せになろう」
それが、村松先生の口癖でした。
私も同じ気持ちでおりますし、それをみなさんにお伝えしております。
整体とは、生き方を整えることに、他ならない。
村松先生がいちばん伝えたかったのは、それではないかと思います。
村松先生のおかげで、私はここまでやってこれました。
いま最高に幸せですし、最高の人生を送っていると実感しています。
今度は私が、人さまを導く番です。
10年間で、私以上の実力をもつ整体師を500人育てる。
自らが幸せとなり、人さまを幸せに導ける、真の人財となっていただく。
さらに、業種や業界を超え、志と想いを共有する仲間をつなぎ、日本を変える原動力を創造していく。
その目標を必ず達成します。
それが、亡き師匠、村松幸彦先生への恩返しだと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
無痛整体師、武道家の西田です!
初心を思い出すために、以前書いた記事をリメイクしました。
私には、整体の師匠がおります。
心から尊敬し、心から愛する、恩師です。
師匠の名前は、故 村松幸彦先生。
村松先生がいなければ、私はこの道へは進んでいませんでした。
さらに申せば、この世にいなかったかも知れません。
村松先生に出逢ったのは、2008年の1月です。
当時、私はまだサラリーマンでした。
ある整体学院のセミナー。
何かに導かれるように、その存在を知りました。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで、50万円を支払い、参加しました。
そのセミナーで、村松先生と出逢いました。
「俺は、この整体で日本を変えたいんだよ」
村松先生は、初対面の私に、そう言いました。
その時、私は号泣しました。
やっと、自分の歩むべき道を見つけた・・・
その道を先導してくれる師が見つかった。
それが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まりませんでした。
魂が震える・・・そんな感じでした。

その後、300万円を支払って、同学院の長期コースへ進みました。
なぜ、そんな大金を積んだか。
それは、どうしても、村松先生に教わりたかったからです。
当時、村松先生は、同学院の副学院長でした。
だから、村松先生に学ぶためには、そこへ行く以外になかったのです。
それから半年間、その学院の長期コースで学びました。
村松先生から、たくさんのことを教わりました。

長期コースを卒業して、数ヶ月後。
2009年3月のことです。
突然、村松先生が副学院長を辞めたとの連絡がありました。
なぜ!?
理由もわからず、混乱し、困惑しました。
間もなく、村松先生から、直接電話がありました。
そして、大阪でお会いしました。
「この整体を学ぶ先生方を精一杯応援したい、ご縁のあったみなさんに成幸してもらいたい」
その想いを貫徹すべく、村松先生は旧職を辞されたそうです。
多くの誹謗中傷を浴びながら、たくさんのリスクを負っての決断でした。
当たり障りのあることをおそれない というブログ記事。
そこで当時の心境を綴っておられます。
「どうしてもやりたいんだよ、俺にしかできないんだよ」
村松先生の想い、熱意、行動に心を打たれました。
先生は、自らの名を冠した整体塾を立ち上げようとされていました。
それにあたり、私に手伝ってくれないかとのことでした。
返事は0.2秒、即決でした。
間もなく、村松先生の名を冠した整体塾が立ち上がりました。
講座に体験会・・・先生は、自分を犠牲にして、休みもロクにとらず、全国を走り回っていました。
まるで、何かに憑かれたように見えました。
私は、補助講師として村松先生の手伝いをしながら、多くを学びました。
その量と質は、長期コースの比ではありません。
学院時代には教わらなかった大切なことを、たくさん教わりました。
先生の姿から、整体師という生き方を学ばせていただきました。

ところが、2010年の1月、村松先生は志半ばで、急逝しました。
眠ったまま、この世を去ったのです。
昨日まで元気にしていたのに、本当に突然の出来事でした。
ある意味、先生らしい去り方でした。
しかし、ひたすら悲しかったし、悔しかった。
「なんでやねん。一緒にやろう言うたやないか。なんで死ぬねん」
こんなにも涙が出るものかと思うほど、泣きました。
でも、涙が枯れるほど泣いた後、これは村松先生の慮りだと気付きました。
自分が生きていては、弟子たちが自立しない。
もう教えるべきことは、教えた。
後は任せるので、しっかりやって欲しい。
今でも、村松先生の深い愛情と真心を思うと、涙が止まらなくなります。
実は、今も涙をこぼしながら、この記事を書いています。

その後、事情があり、私は先生の名を冠した塾を離れました。
そこでは、先生のご遺志を引き継ぐことはできないと判断したからです。
師を越える生き方こそ、恩返しの道
そんなタイトルの村松先生のブログ記事があります。
とても共感をいたします。
私は、技術的にも、人間的にも、未熟者です。
到底、村松先生の足元にも及びません。
しかし、村松先生の想いはしっかりと引き継いでいます。
そして、村松先生ができなかったことを、やり遂げます。
「いい生き方をしよう、いい人生を送ろう、幸せになろう」
それが、村松先生の口癖でした。
私も同じ気持ちでおりますし、それをみなさんにお伝えしております。
整体とは、生き方を整えることに、他ならない。
村松先生がいちばん伝えたかったのは、それではないかと思います。
村松先生のおかげで、私はここまでやってこれました。
いま最高に幸せですし、最高の人生を送っていると実感しています。
今度は私が、人さまを導く番です。
10年間で、私以上の実力をもつ整体師を500人育てる。
自らが幸せとなり、人さまを幸せに導ける、真の人財となっていただく。
さらに、業種や業界を超え、志と想いを共有する仲間をつなぎ、日本を変える原動力を創造していく。
その目標を必ず達成します。
それが、亡き師匠、村松幸彦先生への恩返しだと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。