変わって行くとは、
変わらない現実を受け入れるとこから始まってくんだよ。
シンちゃんに100回は言われたであろうこと
今のわたくしの解釈も交えて
↓↓↓
●本物の豊かな人生ってさ
先ずは
不充分な
変わらない日常への解釈が
変わってくるんだよ。
条件付きの豊かさから、
条件なしでも
豊かさを感じるようになる事なんだよ。
お金が入れば豊かさを実感するのは
確かにそうだよ。
その解釈は間違いではないよ。
でもさ
それ一辺倒の解釈になると
お金の入りが悪くなれば
豊かではないと言うことになっちゃうんだけど
本当にそうなのか?
豊かでは無い=不足なら
豊かでは無い、という状態が
有るんだと受け入れると
それはもう不足では無く
有るんじゃね?
「無い」が有るんだから
存在してるんだから
もう「無い」ではなくない?
って事。
「お金が無い」っていう金欠状態が
「有る」んだから
「無い」で完結してるのは幻想なんだよ。
頭の中での「無い」を受け入れれば入れるほど
いろんな種類の
「無い」が「有る」って解釈に変わるんだよ。
実は「無い」も「有る」んだから
それってやっぱり
全部あるんだよ。
有る=豊かさなんじゃね?
人の脳は特殊でさ
「お金が無い」の「お金」の部分の主語を
認識しにくいのよ。
その代わり「無い」の部分を
重要な情報として認識しやすいのよ。
他も一緒、◯◯が無い、の
◯◯の部分はあまり認識せずに
「無い」って方ばかり見ちゃうの。
だから「無い」っていう現象が「有る」んだって
認識をひっくり返せばいいのよ。
そしたら「有る」という現象が
加速して増えていくのよ。
わたしという「豊かさ」が「豊かでは無い」体験を
してみたかった。
知りたかった。
ただそれだけ、
それを行うために
人生というロールプレイングゲームは
たくさんの「無い」を
頭の中で作り出したのよ。
目の前の「無い」を一つずつ
コツコツ「有る」んだって
「無い」の存在を
受け入れていく先に
お金や物質的なものの「有る」
を体験してくようになるんだよ。
ですって。
わたくし的には
「無い」が「有る」んだ、
という視座は
シーソーの真ん中のように思います。
「有る」と「無い」
「豊か」と「不足」
「成功」と「失敗」
って右へ左へ何度も傾いて
思考って超〜忙しい。
でも
真ん中から見ると
どっちも有るよね~
っていう感覚。
「有る」と「無い」という左右の極を
右往左往しない真ん中は
一番安全で安心な位置だと思います。
ミスチルも言ってますしね笑
🎵シーソーゲーム 世界中の誰もが
シーソーゲーム 業の深い生命体
シーソーゲーム 過ちを繰り返す人生ゲーム
シーソーゲーム
まさに
いわばエゴとエゴの
シーソーゲーム。
