職場で仕事をしていると、思い通りにいかないことがあります。

 

忙しいときに限って予定外のことが起きる。
一生懸命やっているつもりなのに注意を受ける。
何気ない一言を、自分が軽く見られたように感じる。

 

そうした瞬間に、つい感情が動いてしまうことがあります。

 

私自身も、決して人のことを偉そうに言える立場ではありません。
あとから考えれば、もう少し違う言い方があったのではないか、あそこで一呼吸置けなかったのか、と思うことがあります。

 

ただ、感情的になったことで本当に良い結果になった、ということはあまり多くないように思います。

 

その場では自分の正しさを伝えたつもりでも、相手には怒られた記憶だけが残る。
 

問題を解決しようとしたはずなのに、関係にシコリが残る。
 

一度振り上げた拳は、下ろす場所を失ってしまう。

 

これは意志が弱いという話だけではないようです。

 

心理学や脳科学の分野では、強い怒りや不安を感じたとき、人間の脳は冷静な判断よりも、防衛反応を優先しやすくなると言われています。いわゆる「戦うか、逃げるか」という反応です。

 

強い感情の場面では、合理的に考える力が一時的に働きにくくなることがあるとされています。 

 

つまり、怒っているときの自分は、普段の自分よりも視野が狭くなっている可能性がある。

このことを知っているだけでも、少し見え方が変わる気がします。

 

 

 

「自分は正しいことを言っている」と思っているときほど、実は相手の事情が見えていないかもしれない。

 

「なぜ分からないんだ」と思っているときほど、自分の伝え方が相手に届いていないかもしれない。

 

 

 

人は理屈だけでは動かず、感情で動く面があります。正論であっても、伝え方によっては相手の心を閉じさせてしまう。

逆に、相手の立場を少し想像した言葉は、同じ内容でも受け止められ方が変わります。

 

 

 

職場のトラブルの多くは、どちらか一方だけが完全に悪いというより、「自分の正しさ」と「相手の正しさ」がぶつかっていることが多いのだと思います。

 

忙しい人には忙しい人の事情がある。
注意した人には注意した理由がある。
受け取った人には受け取った人の傷つき方がある。

 

そこを見ずに、感情だけでぶつかると、解決したい問題の前に、人間関係の問題が増えてしまいます。

 

 

もちろん、感情をなくすことはできません。
怒りを感じない人間になる必要もないと思います。

 

大切なのは、怒りを感じた瞬間に、そのまま言葉や態度に出すのではなく、「今、自分は少し感情に引っ張られているな」と気づけることではないでしょうか。

 

 

一呼吸置く。
少し水を飲む。
その場で結論を出さない。

 

 

相手を責める前に、何を解決したいのかに戻る。

 

それだけで、職場の空気はずいぶん変わる気がします。

 

 

 

 

感情的な言葉は、一瞬で出ます。
しかし、そのあとに残るものは、思った以上に長く続きます。

 

 

逆に、感情が動いた場面で踏みとどまれた言葉も、相手の中に残ります。
 

「この人は感情で押してこない」
「ちゃんと向き合おうとしてくれている」
 

そうした小さな安心感が、信頼をつくっていくのだと思います。

 

 

 

「共創共栄」という言葉は、きれいな理念として掲げるだけでは形になりません。

 

忙しいとき。
余裕がないとき。
自分の正しさを主張したくなったとき。

 

その瞬間に、少しだけ相手の背景を想像できるか。
感情ではなく、目的に戻れるか。
 

そこに、職場文化の本当の姿が表れるのだと思います。

 

 

 

怒らないことが強さではなく、
怒りに飲まれないことが強さなのかもしれません。

 

 

私自身も、まだまだです。

 

だからこそ、皆さんと一緒に、感情をぶつけ合う職場ではなく、感情を理解し合える職場をつくっていきたいと思います。