最近、ある哲学者のインタビュー記事を読みました。
そこに書かれていたのは、
人は先に価値観があって言葉を使っているのではない、
という考え方でした。
私たちはつい、
「自分にはちゃんとした考えがあって、それを言葉にしている」
と思いがちです。
けれど実際には、その逆で、
日常的に使っている言葉が、判断の仕方や価値観そのものを形づくっている。
人間は「受容した語彙でできている存在」だ、
という話でした。
言われてみれば、思い当たることがたくさんあります。
「どうせ無理」
「前もダメだった」
「それは面倒だ」
こうした言葉を使い続けていると、
いつの間にか、挑戦しない判断が“当たり前”になっていきます。
記事の中で印象に残ったのは、
「本当は何を言いたかったのか、を問うことにはあまり意味がない」
という一節でした。
大切なのは、その言葉を使ったことで、
結果的に何を言ってしまったことになっているのか
という視点なのだそうです。
たとえば、軽い冗談のつもりで発した一言が、
「ここでは、そういう扱いが普通なんだ」
という空気をつくってしまうことがある。
個人の意図とは関係なく、言葉は積み重なり、
やがて組織の“当たり前”になります。
そう考えると、雑な言葉が日常に溶け込んだ組織が、
どんな判断をして、
どんな人が残り、
どんな未来に向かうのか。
ある程度、想像がついてしまう気がします。
逆に言えば、
言葉が変われば、人も組織も変わる可能性がある、
ということでもあります。
頑張って倫理観を「高めよう」としたり、
理念を「覚える」ことも大切ですが、
今この職場で、
どんな言葉が自然に使われているのか。
そこに目を向けることのほうが、
現実的には大切なのかもしれません。
私たちは、どんな言葉を使い続けたい組織なのか。
その言葉の先に、どんな未来が立ち上がってくるのか。
当たり前すぎて、
見落としていた視点だったことに、
改めて気づかされました。

