しんいちのブログ

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さて、今回は冬季のプログラム計画についてのブログです。

杜の里SCでの陸上教室は、小学生を対象に、
冬季の活動場所は兼六中体育館で、現在35名程度でつかわせてもらっています。


バスケコート分(直線での距離が30mとれない)での練習ということで制限があります。
そういった活動場所でのプログラム計画を書きます。



1~3月の練習テーマは「機敏な動きができるようになる」ことです。

ここで言う機敏な動きとは、トップスピードの高さではなく、クイックネスと、アジリティを足したような意味です。


クイックネス(Quickness)“素早さ”は、静止状態からの速い反応と動作のこと。最初の数歩をいかに無駄なく、スムーズに加速するかです。具体的には野球の盗塁のような動作です。単純に、最初の1~3歩をできるだけ速く動くトレーニングだと言っても差し支えない。

アジリティ(Agility)“敏捷性”は、素早い方向転換や切り替えし、左右や後方への速い移動のことを指す。運動方向の転換を行うには、姿勢やバランスが重要になるため、それらを重視したメニューが多くなる。
(引用元:日本SAQ協会、「SAQトレーニング」、ベースボールマガジン社、2007年)


では「機敏な動き(クイックネス+アジリティ)ができるようになる」ためにはどうしたらいいでしょうか。

①反応力アップ(すぐに反応する)
②加速力アップ(一気に加速する)
③重心移動のコントロール精度アップ(様々な状況でも、①と②の効果をより発揮できるように身体をコントロールする、動きの多様性を持たせる)

この3つが重要だと考えました。
ただし、この3つは完全に区別しているわけではなく、一つ一つがつながりがあり、動きとしては共通している部分が多いです。
なので、プログラムを考える時や、子ども達の動きを評価する時の、一つのモノサシのようなものだと考えています。


では以下には3つの柱に従ってもう少し詳しく、具体化していきます。


①反応力アップ  ()内は練習例
 →神経系の活性化:音や視覚情報等の情報処理能力のこと(変形ダッシュ、猫とねずみ、ジャンケンダッシュ)
 →集中力の向上(上記のような練習を通して、集中する態度を自然と体験させ、自覚的に集中力を発揮できるように意識付けをする)
 

②加速力アップ
 →素早い重心移動(変形ダッシュ、ラダーにおける素早いジャンプ・ランニング・ステップ・ツイスト系、そのサイドやバック種目、方向指示ゲーム)
 →腕と脚などの身体の協調性(腕付スキップ、グーパー、変形ダッシュ、4つ足で這う動き、ラダーの様々なステップ系)

③重心移動のコントロール精度アップ
 →静的なバランス感覚(片足バランス)
 →動的な重心移動の際のバランスコントロール(サイド・バック系のラダー・切り返し走)


練習は上記のような内容になります。
しかし、並行して、そういった練習が十分にできるようになるための、土台となる体をつくる必要があります。
以下にはそうした、全種目共通となるような、体つくりとして、今後取り組んでいくテーマと内容を書いていきます。これらはアップの際に取り入れます。


①柔軟性の向上
 →股関節
 →太もも:ハムストリングス&大腿四頭筋
 →肩甲骨

②体幹の強化
 →腹筋
 →背筋


教室運営という意味では、子ども同士の関係をグルーピングによって強化し、スムーズな指導ができるように工夫していきます。


冬季のプログラム計画は以上です。


はじめに書いたように、物理的な制限があるなかでのプログラム計画でした。
書いている内にある事に気付きました。

それは、物理的な制限があることで、それを発想で乗り越えようと工夫が生まれる、ということです。

自分が尊敬する人に、為末大さんがいます。
彼の言葉を引用して締めくくりたいと思います。



―――――――――
 アスリートが一番忘れがちで、でも大切なのは限界の概念。
物事には限界があって、だから効率化を考えないといけない。
でもそれを考えるのはしんどいから、この限界を無視して考えたいという欲求に人はかられて、練習する時間がないなら休まなければいいという日本的根性論が出来上がる。

 人がクリエイティブになり、何が重要で何が重要でないかを考える状態は、死んで人生の時間にキャップがされた状態。
死を考えるから時間に限りがある事を意識し、時間に限りがあるから何に時間を費やすべきかを考え、何に時間を費やすべきかを考えると本当に自分にとって大切な事は何かを考える。

 人生は短い、競技人生はもっと短い。
それは少し僕も悲しいのだけれど、でもだからこそ競技スポーツは創造的でドラマティックで魅力的なものになっているんだと思う。
矛盾するようだけど、私達の人生に限界があるからこそ、人の発想には限界がないんだと、僕は思う。
(引用元:為末大、走る哲学、pp141-142)

―――――――――


http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%B0%E3%82%8B%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%82%BA%E6%9C%AB-%E5%A4%A7/dp/4594066445
新年あけましておめでとうございます!
嶋山進一です、今年もよろしくお願いします。

さて、杜の里SCでの陸上教室の指導日誌です。


高学年の11&12月のテーマは、「地面からの反力をもらって走る」でした。

そのために実施したのが「膝で緩衝しない」「空気の入ったボールのように跳ぶ」ということを意識した、もも上げ等のドリルでした。

ラダー、ミニハなどを用いて、
歩く→ももを上げて歩く→リズムもも上げ(4拍、3拍、2拍、1拍)→もも上げからのダッシュ
というような動きを、系統的に行いました。


総括すると、動きの評価としては全体的に見て、それほど良くありませんでした。(一定程度できている子ももちろんいます)

というのも小学生の週1の教室にしては難易度の設定が高かったということでしょう。

この点は、指導者である自分たちの反省点です。

改めて、目の前の子ども達の動きをもっと見極めて、テーマ設定と目標設定を行わなければならないのだと思いました。


子ども達があまりできなかった理由として「柔軟性の問題」があります。

つまり、体が硬く膝がなかなか伸びてこない状況だったのです。
この練習をするスタート地点にまだ立っていなかったということです。
(逆に言うと、柔軟性がある子はフォームも綺麗にできていたので、練習効果が出ていた)

あまりにも硬いとダイナミックな走りにならず、歩幅が小さな走りになってしまいます。

見本としてのダイナミックな走りは、ハードル選手を想像してもらえばわかりやすいです。
彼らは股関節周辺のストレッチングを十分に行っているため、柔軟性が非常に高いです。

よって、今後の対応としては、ハムストリングス・股関節周辺のストレッチを増やして、練習ができる体をつくっていこうと考えています。


このように陸上教室では、指導計画立案→プログラム実施→動きの評価→修正、という流れをしっかりと行うように心がけています。


是非、興味ある方は一度体験しに来てください!


 私は「スポーツを通じて人々が幸せになれるような社会をつくる」ことを仕事にできたらと思っている。

 幼少期は体を動かすことが大好きで、中高と陸上部で一生懸命練習した。大学には教育学部保健体育学科に入学し、
3年生の頃から総合型クラブの活動に関わるようになった。それからは陸上の指導をメインにスポーツクラブの活動に関わり精を出している。大学入学時は教員を志望していたが、大学4年の頃には地域のクラブで働ければという想いが芽生えていた。

しかし、一方で、総合型クラブについて調べれば調べるほど、関われば関わるほどに、職業としての成立させることの困難性も同時に身に染みて実感してきた。その困難性は金銭的な面に集約され、具体的には「受益者負担」で「自主運営」を行うという制度に限界があるということである。その限界を超えて継続的に活動をするための手法がいくつか存在する。それらの手法と個人的な評価をしていく。


    「指定管理者制度」→現在最も有力な手法であり、大きなクラブになっているところは概ねこの制度を利用している。問題点は、指定管理者制度が更新されなかった場合、つまり、もし次年度の契約から「落ちた」時には、その施設から出ていかなければならないという点である。


    「ボランティアベースのクラブ」→ボランティアベースの意味は、お金をそれほど稼がなくてもよいということである。それはどんな人を指すかというと、時間的に余裕のある主婦、定年を迎え地域活動をしたいという人、不動産や株などによる不労収入や資産を持っている人、仕事が忙しくてもスポーツが好きなためプライベートな時間を割くサラリーマンや公務員などである。問題点は、いわゆる「ボランティアの限界」というもので、報酬がない(少ない)にも関わらず負担は大きい、そういった活動を継続できる人は多くないのである。スポーツ政策上、このタイプを「王道」「標準」モデルと設定し、スポーツプロモーションするのは、「邪道」「異常」だと判断せざるを得ない。しかし、このまま制度が変わらなければ今あるクラブの多くがこのタイプになるだろうと予測している。頑張ってクラブを盛り上げようとしているマネジャーや指導者の人たちは、長時間の勤務によって、「歯を食いしばって」スポーツ教室を運営している。しかも、報酬はそれほど大した額はもらわずに、休日返上で仕事をいている。その様子は日本で批判的に語られたスポーツ像と重なっているように見える。それは「とにかく頑張る」「気合と根性」というよくわからない精神論偏重のスポーツ観と共通性があるように思うということである。


    「行政主導で形式上だけ存在するクラブ」→形式上だけ、書類上だけ存在していて、中身がないクラブや団体など必要ない。


    「民間のスポーツクラブがtotoの助成金を受け総合型クラブとして活動」→民間ベースであれば質がある程度担保されているし(競争の原理が働く)、サービス受給者にとっても供給者にとっても嬉しい制度だと言える。しかし、それなら総合型事業として実施しなくても、スポーツサービスを供給している民間企業に対して、事業委託をしたり、税制上の優遇をしたりすればよい。行政が民間企業を支援する手法として総合型クラブ事業を捉えるならば、恐らく他により効用の高い手法があるだろう。

 

スポーツ政策を評価するという立場から、特に総合型クラブの金銭的な点に注目し、総合型クラブを類別し、その経営上の課題を私見であるが簡単に整理した。
 
 果たして、総合型クラブは経営体モデルとして確立するのだろうか、行政がパトロンになって支援を受けることでしか継続しないのか、こういった二元論ではなく、第
3の道があるのだろうか。

 第
3の道としての流れは「認定NPO制度」が挙げられる。認定NPO制度は「寄付金」が税控除されるため、NPO業界では期待されているが、制度自体始まったばかりで、認定NPOの数自体も少なく、そういった第3の道が確立する日はまだまだ遠そうである。



2.日本人にとってのスポーツ、ドイツ人にとってのスポーツ(関係の在り方)

日本人がスポーツ (スポーツ的な運動遊びなども含め)をするのは、幼稚園や保育園での運動遊び、小中高等学校での正課体育や部活、民間のスポーツクラブやフィットネスクラ ブ、公園や体育館などの空間で自主的に行うスポーツ…などがある。この中でも「体育」と「部活」はその実施時間と実施人数からしても、日本人にとってのス ポーツ(スポーツとの付き合い方、関係の在り方)を大きく規定している。
 
 一 例を挙げると、日本人は体育によって「能力の高い者と低い者が共にプレイを楽しむことなどありえない(大貫)」という学習をしてしまっている人が少なくな い。私の身近な例では、運動能力が低い(と自分で思い込んでいる)人がスポーツサークルに入ろうとする際に「あんまり運動できないんですけど大丈夫です か?」と恐る恐る聞く人が多い。そう質問するのは体育の授業で「運動能力」によって自らの身体が低く評価されてきたからであろう。また、日本ではスポーツ は勝利至上主義に偏重してきたため、そのまま大人になっても勝つことを目標としているスポーツ愛好家の中には、スポーツが苦手な人に対して排他的に接して しまうことがある。
 
  一方、ドイツではおじいさんも小さな子どもも一緒にホッケーをしていた。傍にはお酒を飲みながらプレイを見つつ談笑している人たちがいた。これが、今回の ドイツ視察において最も大きなカルチャーショックを感じたシーンである。きっとドイツではなんてことない光景だろうが(いや、だからこそ)、実際に自己充足的にスポーツをみんなで親しんでいる場面を目の当りにすると「あ~こりゃすげえ…日本では見たことないなあ」と驚いていた自分がいた。ドイツの人々の、 スポーツとの関係性が日本のそれとは異質なものだった。

 これはまったくの私の主観であり正誤の判断は保留にして書くが、どうも日本の生涯スポーツというものの位置づけは、「楽しいからやる」というポジティブなものというより「楽しければいい」というどこかポジティブになりきれていないようなニュアンスを帯びている気がする。
 それは、どこか諦めに似た感情を伴い、競技スポーツとは質的に異な るがどことなく劣ったもの、生涯スポーツはその程度のもの、そうした認識にしかなりえていないのではないか。(ただし、柔道や剣道などの武道は生涯スポーツ?として確立しているようにも感じる。)

 逆に言えば、競技スポーツの魅力は十分に人々に伝わっているかのように思える。日本のスポーツはどうにも、競技スポーツに収束さ れがちな傾向にある。最近はヨガやマラソン、ニュースポーツなどの、競技スポーツとはニュアンスの異なるスポーツが浸透し始めているが、どうもそれは「大 人」という年代限定の現象だ。
 子どものスポーツは、発育発達という年代的特徴も相まって、競技スポーツと結びつきやすい性質のものが多数派だろう。それは 運動を「できる」「上手くなる」ようにすることが目的である。ドイツでは年齢の違う人たちが、ごちゃまぜになってスポーツを楽しんでいる。あえて言うと楽 しむことが目的(自己目的的な活動)である。この分岐点のどちらに進むかが、日本のこれからのスポーツが従前と同じになるか、新たな文化として変質するか を決めると思う。

 あるクラブマネジャーは、「1人の人が、人生でスポーツをするトータルの時間を日本とドイツとで比較したら圧倒的に差がつく。日本は部活をすると言っても、休み期間を除けば実質4年半くらい。ドイツの人は子どもの時 から大人になっても年をとってもずっとスポーツをしている。」と言った。
 従来のように年齢によって横に区切るのではなく、これからは、一生というスパンで捉え、その人のスポーツとの関係を量的・質的により豊かになるようにしてい くことが重要だな、という感想を持った。
 具体的にどのようにアクションしていくか、それを考え実行していくことが私の仕事である。


長文読んでいただいて本当にありがとうございました。

感想・私見です。

1.ハード面の整備(スポーツ施設建設)から見る、クラブと行政の関係

施設が大変充実している。体育館、サッカーコート、テニスコートなど、運動施設が数的にも広さ的にも日本人の感覚からすると十分すぎるほどある。また、セキュリティーも会員カードを使わなければ入れないなどしっかりしている。
 そうしたハード面の施設整備は、国や地方自治体の支援によるところが大きい。今回の話では国から借金を○○○億円(伏せときます)しているという話があったが、無利子だいうことはとても大きな支援になっている。しかも、返済のスパンが3050年などの長期的なものであるため、借りやすく返しやすい状態となっている。もし貸出先が民間の銀行だけであれば金利が発生するため(約9%)、これほどまでに施設への投資はなされなかっただろう。そうした行政からの金銭的な支援のおかげで、ドイツの施設整備は進んできたと言える。

                                
  

 

  
  

日本

  
  

ドイツ

  
  

いつ、どこに、どんな、施設を建設するか?(意思決定)

  
  

 国や地方自治体が決める。公共の福祉、公益性の実現のために、(一定の範囲 内に一定の数量の)スポーツ施設が建設される。意思決定について、主体的に市民が関わることは現時点ではほぼない。「普通」の主婦やサラリーマンが政策決 定の会議に出るなど考えられない。行政によって統制されている状況。
  
メリット:どこに住んでいても「ある程度」均質なスポーツサービスの供給が期待できる。誰もがスポーツに対するアクセスが可能となる。
  
デ メリット:スポーツ(施設)は「上から与えられるもの」という意識が生まれ、なんとなくお仕着せなニュアンスを帯びてしまう。また、縦割り行政の日本で は、体育館の中にバーやレストランなどはあり得るはずがなく、体育館にはスポーツをするためだけに人が集まればそれでいいということになる。

  
  

 クラブが決める。ほとんどのドイツ人がクラブに入会し自分の住んでいる地域 にクラブがある状況だということから、一定の人口規模がある地域には必ずクラブができ、スポーツ施設が同時に建設されるものと推測する。辺りを見れば芝生 の空き地がそこら中にあるため、多少の手入れですぐにサッカーコートになるという恵まれた土地柄も影響しているだろう。
  
メリット:クラブはみんなでつくるもの、であるため施設建設がきっかけで「自分達で(ハード面もソフト面も含め)作るもの=我々意識」が生まれる。そのことが地域コミュニティ形成に重要な役割を果たしている。
  
デメリット:普通に考えると、クラブができる地域とできない地域との格差が生じるという議論になるはずで多分そうした地域はある。

  
  

施設建設にかかる費用の負担を誰がするか?(費用負担)

  
  

 国や地方自治体の税金でもって全額費用負担がなされる。建設費用の最終的な責任者は国や地方自治体などの行政機関であるため、収益を上げることが目的とはならず、公共の福祉、公益性の実現が目的となる。
  
メリット:誰もが低価格でのスポーツサービスを需要することが可能。
  
デ メリット:実際は国民・市民の負担であるのに、費用負担をしている感覚を持ちにくいため、「我々(のクラブ)意識」が持てずに、スポーツをするためだけの 空間としてしか機能を果たしていない。スポーツ愛好者内での付き合いはあるが、そうでない人とは距離がある。我々のクラブを育てよう!という市民意識は醸 成されないし、地域コミュニティの形成についてそれほど役に立っているわけではないのが現状。
  
 また、行政の予算が不十分な場合に(現在は、スポーツなどと関係ない医療費や社会保障費等の増大によって!)、スポーツサービスの量的、質的低下が生じるという問題がある。これはスポーツに限らず音楽や芸術分野等の文化活動全般においても同様である。

  
  

 国や地方自治体から一部助成金が出るが、基本的にはクラブ運営の収益から建設費用を支払う。施設建設時には国や地方自治体から借金をすることができるが(無利子で)、いずれにせよクラブ運営の収益金によって借金は返済しなければいけないので、上手にクラブ運営が行われるようになる。また借金返済の最終的な責任は個人(理事長等)が負っていることも特筆すべき点であろう。
  
メリット:クラブの意思決定の総会に参加し議論をして決定権を行使し、仕事の一部もボランティアで負担していることなどから「我々意識」が醸成され、受け継がれていく。また、かけたコスト(建設費用)以上の収益を上げなければ成立しないため(市場原理)、施設の使用率やサービス向上が期待される。
  
デメリット:誰もが低価格でのスポーツサービスを受けられるかといえば、そうでないとこも出てきそうである。

  
  

施設の維持管理、プログラムの提供等は誰がするのか?(ソフト面の充実)

  
  

 施設の維持管理は、①指定管理者制度が始まる前には自治体、自治体出資法人、公共的団体によって管理され、②制度施行後(2003年スタート、地方自治体の約8割が制度導入を行った)は「法人その他団体」への委託が広がっている。自治体非出資の民間企業は約8%、NPO法人は約2%と、自治体出資団体の約43%と比べ差が大きい。(「指定管理者制度の現状と今後の課題」より、財団法人地方自治総合研究所 全国地方自治研究センター・研究所 共同研究、2008年)
  
※指定管理者制度は、「多様化する住民ニーズにより効果的、効率的に対応するため、公の施設の管理に民間の能力を活用しつつ、住民サービスの向上を図るとともに、経費の節減等を図ること」を目的として、2003年の地方自治法改正により、創設された制度
  
 プログラムの提供は指定管理者に「丸投げ」に近い状況となっている。つまり管理者は、施設(市営の体育館などをイメージ)の貸し出しのみを行い、特にプログラムの提供はしない、というのが一般的な運営方法である。
  
メリット:指定管理者への委託によって住民の多様なニーズに応えられる。自治体としては従前より経費を抑えられ、他の団体からすれば貴重な収益源となる。
  
デメリット:管理費を抑えるために、雇用が正規労働者から非正規労働者に移行して、さらにサービスの質低下が生じるケースも存在する。いわば「安かろう悪かろう」となってしまう。

  
  

 施設の維持管理、およびプログラムの提供(施設貸し出しや教室展開)等はクラブが行っている。
  
メリット:その地域やクラブ独自の魅力あるプログラムの提供がなされる。それは、市民とクラブは選択/非選択の関係であるため面白くなければクラブとして成立しないという、市場原 理にさらされているため。しかし、注目すべき点としては、サービス需要者と供給者という区切られた関係ではなく、各教室毎に責任者を出して運営方針を話し 合ったり、クラブの方針を決める総会の議決権を持っていて互いに議論を尽くしたりと、クラブは「一緒に作っていくもの」という仕組みである。その仕組み は、ドイツ人にとってスポーツが「皆が人生を楽しむ、共通の文化活動」であり、そうした意識が根付いているからこその仕組みなのだと考える。
  
デメリット:スポーツをするための経費負担が比較的に重くなる可能性がある。また、スポーツサービスの良いところと悪いところの地域格差が大きいであろうと推測する。

  

ドイツの施設建設 の意思決定はクラブにあることについて。

デメリットは、「普通に考えると、クラブができる地域とできない地域との格差が生じるという議論になるはずで多分 そうした地域はある。」と記述したが、ドイツでは誰もがスポーツクラブに入るのが当前だと言っており、どうやら格差問題は生じていないようだ。少なくとも スポーツは自分たちが作るものであるため、スポーツサービスが提供されないことや縮小するということで不満は生じえない。それは、行政が「しない」ことで、住民が自ら「する」状況になっているからだ。あくまで主体者は地域住民であり、行政は必要があれば支援するという姿勢になっている。この在り方こそが行政とクラブの、広く捉えれば、行政とNPOの、望ましい姿と言えよう。