あんまり、『日本共産党』のことを絡めると、ますますカウンターが伸びないのですが…(笑)。

以前も触れましたが1月中旬、『第28回日本共産党党大会』がありました。
党大会初日、野党各党各会派からの挨拶がありました。
山本太郎でおなじみ『れいわ新選組』からは、ありませんでしたが、それはそれとして…。

立憲民主党からは国会対策委員長の安住淳が登壇して挨拶しました。


動画だとこちらです。
30:00ぐらいからご覧ください。


観れば分かりますが、挨拶の中で個人的に大事な部分を抜粋します。

山宣こと山本宣治は治安維持法の改正に反対し、1929年に開催された帝国議会での反対演説を準備していた折、右翼の男に刺殺されました。

 山本宣治は1928年の第1回衆議院普通選挙で京都2区から初当選しました。

 昭和初期の日本は軍国主義に進み、言論は弾圧され自由は許されず、多くの人々が貧困にあえぎました。山本宣治は、社会の片隅に追われた人々のために命を燃やし、政治家としての人生を全うしたのです。

 「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋(さび)しくない。背後には大衆が支持してゐるから」。この山本宣治の言葉は大山郁夫先生が書き残しました。そして今、日本共産党の国会控室に掲げられております。この書の写しが、穀田国対委員長を経由して私の議員会館にも飾ってあります。(以下略)


私は、久々に政治家の演説で鳥肌たちました。

私のようなものが、そうなのですから、これを聞いた全国の党員の方々は、そんなレベルではないでしょう。

山宣の話を、この人から聞くとは!


ご存知ですかね、山本宣治(1889~1929)。

どういう人物か、この演説で語られていますが、生物学者でもあった、京都を中心に様々な弾圧に屈せず、小作争議や労働運動、社会主義活動に身を挺した人物です。


関西、とりわけ国内で最も共産党の強い京都では、

左巻きの英雄です。

…それを、こういう形で他党の議員が、自発的に話すのです。

鳥肌が立たない訳がない!


ところが!

この数日後、同じ安住淳の名が、メディアに並びます。

以下は『産経新聞』2020年2月4日の記事です。


立憲民主党の安住淳国対委員長らが4日、衆院予算委員会の質疑内容などを伝えた同日付の新聞各紙のコピーに「すばらしい!」「くず0点」「ギリギリセーフ」といった論評を書き添え、国会内の同党などの衆院会派控室のドアに張り出した。「政府に注文 自民存在感」との見出しの産経新聞の記事は各紙よりも下方に掲示され、「論外」と書かれた。

昼前に張り出されたコピーは約30~40分で撤去され、安住氏は記者団に「調子に乗って冗談のつもりで感情の思うままに書いてしまった。伝え方が悪かった。反省している」と謝罪した。「くず」とした記事が自民党議員の質疑中心だったことに立腹し「思わずペンを走らせてしまった」と説明。「笑い話でやって、記者さんも大笑いしていた。気に障ったとすれば申し訳ない」と釈明した。コピーでは、「桜を見る会」に関する安倍晋三首相の答弁を「ほころび」と評した紙面に花丸マークが付いた。一方、自民党議員を大きく取り上げた記事には「×」「出入り禁止」などと書かれた。
元NHK記者の安住氏は、特定の報道機関に取材規制とも受け取れる論評を加えたことについて「そんな大げさな話ではない。介入しようとは全然思っていない」と否定し、取材規制はしない考えを示した。政府・与党が同様の行為に及んだ場合の対応を聞かれると「人徳の問題だ。私に人徳がなかった。深く反省している」と答えた。
また、枝野幸男代表から4日の党役員会で「報道機関にいたのだから、理性的に対応してほしい」と注意を受けたことも明らかにした。
具体的にはこんな感じです。
言い訳のしようがありません。

…まあ、私もしょうもない左巻きとして、産経新聞は『論外の新聞』とは思います。気持ちは分かりますが。


しかし国会議員、しかも野党とは言えベテランの幹部議員がこれをやるのは、それこそ『論外』と言われても致し方ないです。

まして、元はNHKの記者ならば、国会議員に言われて嫌なこと、違和感のあることの見極めぐらいできるはずで、ただでさえ野党の支持率が高まらない中で、こんなことをしでかすのは『バカ』としか言い様がありません。しかもそれを張り出すとか…もう!


…と同時に思うのは、私も含めた左巻きの安易さです。あの『山宣』演説の感動は何だったのか、あの感動を返せ!の心境です。何しろ『バカ』の演説に感動したのですから。


私はどんな団体や組織にも属していませんが、この根底には、ある種の閉鎖的な組織にありがちな心理がはたらいているようにも思えます。

つまり、外の人間になかなか理解されない中で、たまに「君たちの団体組織のことこんなに知ってるぜ」という人が出てくると、『理解者』『味方』の感を強くし、親近感が湧くのではないかと。


思えば私も、創価学会の知人と知り合ったのは、その知人が『聖教新聞』を読んでいるのに出くわし、安易に私が「おー、聖教新聞読んでるのか、創価学会だろ?確か創価学会は池田大作さんが名誉会長で…」と調子に乗って、持ってる知識をぶつけるべく声をかけたのがきっかけでした。

お陰で、何年経っても尚、向こうは『創価学会』の良き理解者と思い込んでいるようなところがあり、投票依頼以上のことを、こちらに要求するときがあります。

陰では『創価学会』の批判をしているのですがね(笑)。


いずれにしても…。

今思えば「俺、共産党のこと知ってるぜ」という感じで近づき、こちらは『理解者だ!』と思い込んだら、その人物はただの空疎な奴だった…というのが、この度の顛末と言えるでしょう。


そして思うのです。

結局、前にも書きましたがこういうことなんですよ。

要は、『日本共産党』というのは、見たこともないお手本もない科学的社会主義の国家という、『極楽浄土』に向かって突っ走る、社会主義教日本共産党宗派にすぎないのですよ。

そして純真無垢に見たこともない『日本共産党』の理想郷を信じて生きている彼ら彼女らが、末端の『日本共産党』党員ではないかと思うのです。

そりゃあ、外部から理解者ぶった人が現れると、

瞬間的に騙されますって(笑)

それが安住淳でも(笑)。

ネットで共産党の方のブログ見てくださいよ、党大会初日の後の高揚感がすごいですよ、みんな『安住淳』って書いて絶賛してます。トホホとしか言い様がないショボーン


ところで…。

一方で党員でもない私が同じように、安住淳の演説に騙されたのはなぜなのかですが、答えは簡単です。

私がしょうもない左巻きだからです。

それだけです!