三陸・津軽ツーリング その2 | 旅々バイク

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3年半ぶりにバイク復活(XSR900GP)。
アウトランダーでPHEVライフも満喫。
愛犬ムギ(コーギー♀9才)と暮らし、ベイスターズを応援。
旅好きで国内47都道府県宿泊&海外19か国訪問。
2020年にCMLと診断されましたが、元気に過ごしています。

前回(その1)

松島から気仙沼まで、三陸海岸沿いを北上した翌日の話。

この日も国道45号線を北上して行く。


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【 朝5時前にホテルを出発 】


ホテル周辺は高台にあったので昨夜は気付かなかったのだけれど、

港の方へ行ってみたら、津波の被害が顕著にあった。


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【 津波の来た高さが表示されてる 】


港のところもそうだったけれど、

本当にひどかったのはその先にあった。


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【 見渡す限り何もない 】


被災直後は流された家やガレキで埋め尽くされていたのだろうけれど、

それが今は全部片づけられてひたすら平らな地面が広がってるだけだった。

片づけるだけでも相当な労力だったはずだ。

さらにここから元の町まで復興させるなんてこと出来るのだろうか?

そんなことできるのかな…。

いろいろ意見はあるだろうけれど、僕がこの風景を見て思ったことは率直にそうだった。


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隣の陸前高田へ入る。

町の入り口の気仙大橋を渡ったところで目の前に広がった景色が信じられないものだった。

橋は高い位置にあって見晴らしが良いのだけれど、

そこから見えるところ全てのところ、

元々町があっただろう場所、

そこが津波にさらわれていた。


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【 気仙大橋の上から山側を撮ったところ 】


石巻も女川も気仙沼も、みんなひどい被害だったけれど、

ここ陸前高田は特にひどく見えた。


行ってみて分かったのだけれど、

他の町には高台部分がそれなりにあって、当然そこには津波が来なかったので壊されずに残っているが、

陸前高田の町は、高台部分が見当たらなかった。

だから町の全てが津波に飲み込まれていた。

しかも海側にむかって扇形に広がった形をしているので、

津波のエネルギーを真正面から受けているのが分かる。

さらに、目の前の広田湾もまた、太平洋側に向かって広がっている形をしていた。


ここに津波が来たら逃げるところなんてなかったんじゃないか…。


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【 何もなかったけれど、ガレキだけは未だにうず高く積まれている 】


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【 再生が断念されてしまった一本松 】


陸前高田のあとは、無料開放されている三陸自動車道を通って釜石へ。


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【 釜石の津波避難場所の高台から 】


続いて大槌町。


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【 地震のおきた2時46分+3分(電気が止まるまで)の2時49分をさしたままの時計 】


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【 山側に全て倒されている欄干 】


その後は宮古、小本まで北上して津波の爪痕を見て行ったのだけれど、

実際に自分が行って見るのと、

テレビ等のマスコミから得るものとのギャップの大きさに驚いた。


ただバイクで通り過ぎただけだし、

具体的な中身を見ていないし、

実際に自分が何して来たわけでもないけれど、

今回の大津波で、それぞれの町がどのくらいの規模の被害を受けたのかは分かった。


いや、行く前から知識としては分かっていたし、

海沿いの町全てに津波が押し寄せてきたっていうのも当然のことで、

それも分かっていたつもりだったけれど、

ずーっと海岸沿いを走ってみて、

人々が生活の営みをしていたところがことごとく津波の被害を受けているのをみて、

自分がこれまで何をしてきたのかとか、

これから何ができるのかとか、

そうしたことが頭の中をグルグル回るのだけれど、

あんまりにも大きな被害過ぎてよく分からなくなってしまった。

言い方が適当ではないかもしれないけれど、

「途方に暮れてしまった」

というのが正解だった。


ガレキ等がほぼ片づけられている状態を見てそう思ったのだから、

津波で何もかもが流されて、町としての機能がゼロの状態で、

実際に被災した人、

震災直後に被災地に入って救援活動をした人、

そういう人たちが大勢いて、

その一人一人の方たちが当時どんな気持ちで頑張ったのかと思うと、

心がチクチクと痛んだ。


当たり前のことだけれど、そんな当たり前のことを強烈に感じてきた。

ただそれだけで、自分の中で結論なんて出なかったけれど、行って良かった。

そう思えた三陸ツーリングでした。



次回(その3)は通常のツーレポに戻ります。