先週の金曜日

自分の中のLimitを越えてしまった


ほんの些細なことだった


ずっと、不安定な状態のままだったのもある

息子との口喧嘩の末

息子が言った

たった、一言が要因だった


彼は


『知んねーよ!』


そう言ったつもりだったらしい


だが、私の耳には


『ん』が聞こえなかった


発作的に薬を過量接種していた


自分の記憶は


自分がいなくなったとき


子供たちを頼める機関に連絡しようとし


呼び出し音が聞こえていたところで切れている


気が付いたときは


三日後


意識がハッキリしたのは

四日後だった。


そこは、救命センターだった


右隣に見舞い客がきていた


カーテン一枚で仕切られ


6つほどベットが並ぶ中


会話は丸聞こえ


『君は、頑張ったんだ。ゆっくり休もう。自分のことだけを考えて。僕もついているから』


同じように、終止符を打とうとした人だと思った。


暫くウトウトして

目醒めたら


左の一番奥のベットから主治医らしき人の声

『今回は、命を優先しました。こっちは膝から、こちらは太ももから。。』


ドラマなら泣き叫ぶシーンなのに


泣き声は聞こえなかった。


受け入れるしかないんだ


ふと、今から8年前の9月を思い出した。


『癌です。まだ、30代だから進行が早いと思う。早い方がいいよ。何軒か病院行って、自分が納得した最良の方法を見つけるのも良いと思う。』


長男がお腹にいた頃から見てもらっていた医者だった。


『先生。私、今手術しかなったら、あとどのくらい?』

『たぶん早くて半年。若いと進行が早いんだよ。』


『先生。助けてくれる?』

『僕で良ければ出来るだけのことはするよ』


そう、私もその時、泣かなかった



受け入れるしかなかったから


DVから逃げたのが6月

会社の健康診断で細胞異常があり
癌かもしれないので再検査と言われたのが7月

2ヶ月考えた

祖父以外癌でなくなった人は誰一人いない


筋腫なんだと。。


痩せていくばかりの私を周囲が後押しした


『何でもなければ、それでいいをだから』と

真っ白になって、話が上の空だったのは

7月の時だけ


9月の時は

速答していた


『お願いします。先生にお願いしたいです。信じてるから』

笑って答えていた。


あの時、生きたいと思った。


なのに、今の自分は。。。


いつから、Limit枠が狭くなったんだろう


もう一度


もう一度


やり直したいと思った

強かった自分を


救命センターで思い出すなんて


生きていることの


幸せ


生きていることの


歓び


あの時、たくさんの人や仲間に


助けてもらった命


もう一度、歩いていこう


Limit枠を広げて。。