5月13日の夕方に、大きな発作を引き起こしてしまいました(;^_^A

驚いたいことに、一時は、心肺停止状態にまで、陥ったそうですΣ( ̄□ ̄;)

昨年の秋頃から、狭心症に似た症状があり、今年の初めまでに、いろいろな検査をしたのですが

原因不明。

ある医師は、精神的なものからだと。。。

精神的な発作は、命までは奪わないと思っていましたが

そーでもないんですね。


でも、なんで戻って来ちゃうんでしょうね。

精神だけ、奈落の底に落とさないで、一息にいってくれ!
と、思ってしまうのですが

不謹慎ですが、このまま、ピリオドをうてたら、どれだけ楽か(^.^)b


マインドが、下がりまくっています(;^_^A


ふと、マインドの低下に伴って、8年ほど前の癌の摘出の時のことを思い出しました。


同室だった4人中、2人の方は違ってましたが、私ともう一人の方は、癌。
もう一人は、3度目、再発、転移を繰り返していていました。

他の2人が退院した後、癌になった人は、大抵その時期に、精神的負担があるらしいと言う話題になり


私は、私と子供たちへのモラオやモラ両親の問題で離婚するために、大変だったことを話すと
彼女は、身内の方が他界し、親戚の問題などで、精神的にもいろいろと重なっていた後の発病だったことを話してくれました。

お互いの下の子供が当時、幼稚園児だったこともあり

何のための、試練なのか。。

眠れない夜は、いつも話をしていました。


彼女は、いつも

『こんなところで、終わらせたくない。』

『子供の成長が見たい』

と、泣きながら話していました。

退院後も連絡を取り合っていましたが
突然、彼女からの連絡が途絶え

翌月の定期検診の際に、彼女が他界したことを知りました。


幼稚園のお子さんを残して、どれだけ無念だったか。。。


彼女との話の中で、
私たちが、当初初期で癌を発見することができ、今生きていられることには、きっと、何か理由がある。

生きなさいと言う何かがある。

子供のためとかじゃなくて
(子供のためなら、子供を残して逝かなければならない人がいるわけがないからと、私たちは考えました。)


助からなかった人たちの、無念な気持ちを考えれば

私たちは、きっとしなければ、生きなければならない意味がある

その人たちの分まで、今は辛くても頑張らなければならない。

そう、励まし合ったことが思い出されます。



今、こうしているのは何故か


辛いこと、悲しいことが続くと
精神的に疲れてしまって、忘れてしまうことの方が多いですが


今は、
NPO法人設立のためと信じて

新法案の制定のためと信じて

やっていこうと思っています。


生命をなくしてしまうような、様々な病気と戦いながらも、新法案を成立させるために、頑張ってる人も、たくさんいるのですから


モラハラの被害者も、精神的に追い込まれ、自ら生命の火を消してしまったり、

精神的な発作により生命の火が消えてしまう可能性も、0%ならば、その問題も含めて


そこへ、被害者を追い込んだ加害者は、犯罪者として、
自己がおこした行為の重大さの責任は、とらなければならないと思います。


厳しいことを言うようですが


加害者に加担した者は、他の犯罪同様に、裁かれるべきだし


また、加害者に有利な嘘の証言をしたり、
知っていたのに知らないと証言した者は、
偽証に問われるとまでしなければ、最終的な問題の解決にもなりません。


自分を守るためにした言動も犯罪なのか?

私も何度も考えました。


ですが、『次は、自分かもしれない。』
それは、モラハラのその行為を知っていたから、とる行為なのですから。

モラハラの行為があったことを伝えれば、その人も被害者となり、保護される立場であることも、含ませなければなりません。


また、加害者が被害者を装って、更に被害者を追い詰める法の対応にさせるわけにもいきません。



本来、法律は、道徳面の人の良心を、ある程度、信頼してつくるものであるように、言われていますが、今の世の中に、人としてのモラルを守っている人が、どれだけいるでしょうか。


正しいことを正しいと言え

間違ったことを間違っていると言える社会であって欲しいと思います。


人を傷つけることは、

肉体的なものも
精神的なものも

かわるものではないのですから。