《家庭におけるモラルハラスメント》


まだ、高校生だったころ、子供たちのサークルに入っていたときのこと

そのサークルは、キャンプなどのアウトドアが中心の活動グループだった。


小学生新規加入者向けに夏の日帰りミニキャンプに向けて、説明会を行った日

それは、新規加入者の初顔合わせでもあった。


会議用テーブルを各班毎にして、全部で8班ぐらいだったか。

その中に、彼はいた。

会議用テーブルの上に脚を靴のままあげて、座っていた。

度がすぎた、子どものおふざけと思い。

ある指導者が
「脚をおろしなさい」
と言った。

ところが、その子は
「うっせーなー!何がいけねーんだよ!文句あんのかよ!」

街中で、キャンプと同じことができることを楽しみに集まっていたので、他の班ではワイワイと楽しそうに会話をしていたのに


その場は、一瞬にしてしーんとなってしまった。


大人も大学生や高校生や中学生の指導者たちも彼のその言動を見て、問題児だと決め付けた。



問題児のいる班など、誰も担当したくない。

誰だって、指導する相手は素直なほうがいい。

「私には無理です。」
「俺にも無理ですよ」
指導者たちの問題児がいる班の擦り付けあいがはじまった。

「いいよ。私が付くから」
「さすが先輩。」
「先輩しかできませんよ」「Tなら、大丈夫だなぁw」
指導者たちは
自分が担当を逃れられたことを喜んで
口々に調子のいいことを言った。


同じホール内で、しかも2メートルあるかないかの距離で
彼や同じ班の子たちにその会話が聞こえないわけがない。

班の他の子供たちは
「すみません。良かったです。」
と、申し訳なさそうに言い。
彼は
「何、いい子ぶってんだよ。いいことをしてる気分なんだろ。嫌ならお前も来なくていいよ。いらねーし」
その言葉を聞いたとたん、班の他の子や他の指導者が
彼に一斉攻撃をした。

「お前が悪いんじゃないか」
「Kくんが脚なんかつくえにあげなきゃよかったんじゃない」
「お前、学校でも友達いないだろ」
「学校でもこんななんです。先生も問題児だっていわれてました。」

それこそ、今関係ない話まで、でてきた。

あまりにも酷くなってきたので
私も、イラッとして

「はいっ。いい加減にしなさい。ここへは参加したくて来たんでしょ」
と、一括した。


「誰も来たくて来てるわけじゃねーよ」
彼が答えた。

「じゃあ、帰れよ」
他の指導者が言った。

「うるさいっ。黙ってて。じゃあ、何故参加したの?」

「親が行けって言ったからだよ。ここにいる奴の殆どがそーじゃねーの?こんなつまんねーの来たくてなんて誰も来てねーよ。」

そこで、全員に聞いてみた
「この企画に親に言われて参加した人、手をあげてくれるかなぁ」

半数ほどいた

彼は笑って
「ほらな(笑)。みんな帰っちゃっていいのかなぁ(笑)」

指導者たちや企画者たちを脅すようなことを言い始めた。

めんどくさいけど、ここでは一括しなければ、他の班にも指導者をなめてかかる子がでてきかねない。

当日は、屶も使えば、火も使う。
指導者たちの管理下でやらなければならないため
指導者たちの指示に従わなければ、事故や怪我人も出かねない。

「ふざけんな!帰りたきゃかえれ!。親が申し込もうがなんだろうが、ここに今いるのは自分の意思だろ。
来たくなきゃ、ここへ来る前にさぼることもできたし、行きたくないって言うこともできたろ!
なんでも人のせいにすんじゃねー!」

彼は、ムッとはしたが、そのあとは何も言わなかった。

「はい!時間ないから、さっさと各班で班長、副班長と係を決める!」



班内での係り決めの時、
女の子が班長に立候補した。
彼はそこでも毒づいた。
「お前なんでもでしゃばってやりたがんのなぁ(笑)」
もちろん、女の子は泣きそうになった。

「じゃあ、お前がやれば、やってみればいいじゃん。」と私が言うと
「俺には無理」
「何で無理だと思うのかなぁ?」
「だって、誰も俺の言うことなんか聞くわけないし」
「やってみなきゃわかんないじゃん。」
「じゃあ、俺、かまど係やりたい。」
「みんなは?Kがかまど係でいい?班長他にやりたい子は?」

一番、大変そうだった班が、一番最初に決まった。

当日も彼が一番動いてくれて、班長のこともサポートし
説明会のときとは、まったくの別人のように
リーダーシップを発揮した。

「K!」
「なんですか?先輩」
「お前、やればやるんじゃん。リーダーとして信頼できるんだから、あんな態度やめろよ!」

彼は恥ずかしがりながら
「もうしないですよ(笑)」

ここまで読んで、どこが家庭のモラハラと関係があるんだ?

と思われている方も多いと思います。

実は、彼は家庭でモラハラを受けていたのです。


初日の説明会の日、ある指導者が
「みなさん。本当にすみませんでした。」
と言い出し、みんなその時、初めて彼女の弟だったことを知りました。

彼女もどうしようもない弟だと、言っていました。

解散後、一部の役員指導者たちとお茶で反省会していたとき

姉とずっと比較して育てられていたことをしりました。

「お姉ちゃんは、できるのに。(できたのに)」

反発するようになってからは、
「お姉ちゃんと違ってお前はくずだ」とまで
両親から姉から、毎日のように言われていたそうです。

学校でも、教師に姉と比較され

彼が自分のことを認めてもらえないからと
学校でも反発する。

すると、学校から家に連絡がある。

また、家で
「お前はどうしようもないやつだ」
と、罵られる。

完全に家庭でのモラハラのスパイラルに填まってしまっていた状況だったようです。



ミニキャンプ当日
彼が横に来て
「ありがとうございました。」
と嬉しそうに言った言葉が今でも忘れられません。

そのあとの、会話も。。
「先輩。俺さぁ、両親にもお姉ちゃんといつも比べられて、学校でも先生にくらべられてさぁ」

「お姉ちゃんはお姉ちゃんだろ。お前はちゃんといいところあるじゃん。今日だって、うちの班は、お前がしっかりしてたから、みんなにも指示できてたんだし、指導者の中で一番楽させてもらったよ(笑)
鼻も高かったしなぁ(笑)
全部完璧だったじゃん」
「でも、いつもは、学校で、俺のこと恐がって従うんだ」
「今日は違ったろ?(笑)」
「うん。先輩が俺のこと、ちゃんと認めてくれたから、頑張ったんだぜ」

「バーカ(笑)。お前は、ちゃんとやれば凄いんだぞ。
怒鳴ったり暴れたりしなくたって、みんな言うこと聞いてくれたろ?(笑)
それが、お前の才能だ。いいリーダーになれるよ。必ず(笑)」


彼は、誰かに自分の存在を認めてほしかったから
不良ぽい行動をしていただけなのです。


しかし、その翌年、彼は来ませんでした。
中学生の彼を見かけたとき
彼から挨拶されましたが、誰だかわかりませんでした。

彼は、長らんにボンタン。とさか頭と、しっかり当時の不良の格好をしていました。

結局、両親に気がついてもらわなければ
彼の出していた信号は、消せないんです。

でも、恐そうな不良の格好をして
挨拶する彼は、普通の子供でした。


彼が自分のことを認めてほしいばかりに
当時、他の子供たちにしていた嫌がらせは
そのあとは、恐い不良になっても、一切しなくなったそうです。


彼の心の傷は
両親でなければ、いやせない傷なんです。


今ごろ、どーしているんだか
結婚して、モラオになっていないことを
祈るばかりです。