《家庭におけるモラルハラスメント》

タイプ別

レクター博士型

冷酷に相手を追い詰める。
すべて、計算されていて
被害者が嫌がると思われることを意図的に行い続ける、被害者が泣いたり、傷つく姿を見てほくそ笑んでいる。

まさか、この人がと思われることが多く、それも計算している。


Gさんの場合

彼女は、多くを語りませんでした。
と言うよりも、聞いても、あまりにも残酷すぎて、ドラマの話を聞いているかのようで
また、余程でなければ誰かに話せる内容ではなかったからだと思います。

彼女は加害者の出世のためだけの道具でしかなく、それをさせるために、彼女を追い詰めていきました。

その結果、彼女は、自分自身を許すことができず。
この世の中と別れる決意をしました。


私が、まだ若すぎたこともあり、当時はモラルハラスメントという言葉すらまだ生まれておらず、そこまでの知識も理解もなく
話を聞いてあげることしかできず
彼女を救うことができませんでした。

本来は、ある程度詳しい事例をどうにかして、ここへあげたいと思っていたのですが
亡くなった彼女を思うと、詳しくは、書くことができませんでした。




~モラハラの被害にあい、自分を卑下し、不安や恐怖にさらされている人たちへ~



窮屈な場所に窮屈にすわっていると、血の巡りも悪くなって脚もしびれる。身体が固くなって自由な動作がとれないのである。不作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。
どんな場合でも、窮屈はいけない。身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない。心の働きが鈍くなって、良い知恵が出てこないのである。
ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。時と場合に応じて自在に変えねばならなぬ。
心が窮屈ではこの自由自在を失う。だからいつまでも一つに執して、我と我が身をしばってしまう。身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずはない。
万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。今日は、もはや昨日の姿ではない。だから我々も、今日の新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。
お互いに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えてゆきたいものである。


----「道をひらく」より----