父について。 | しんのオフィシャル?ブログ

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ここは、兵庫県在住「しん」の日常を記す空間である。

子供の時、父はあまり家にいなくって

時たま沢山の洗濯物とともに帰ってきては

家でゴロゴロしていた。


時々NHKで父のチームの試合を放送していて

母に「パパが出るよ」と言われて一緒に見ても

当時、選手生活の晩年を迎えていた父は

ジャージを着たままベンチに座る後ろ姿か、アップしている姿しか映らなくて

出たとしても、すぐに交代。


翌日、小学校に行くと

「お前のお父さん、試合にほとんど出てねーじゃねーか」と

バカにされた。


学生時代、ずっと無名だった父がそのチームに入れたのは

寝る間を惜しんで身に付けた守備力だった。

当時は9人制が主流だったのでローテーションもなく

守備専門の父は背が低くてもレギュラーになれた。

攻撃が出来ない父は、目立とうと寝る間を惜しんで部屋の布団の上で

フライングレシーブの練習をしていた。

学生の時に父に付いたあだ名は「スッポン」

絶対にボールを落とさない、最後まで喰らいつく姿から

そういうあだ名がついたのだ。


守備力を買われて国体に出場したところ、

たまたま視察に来ていたチームの関係者の目にとまり

守備要員として実業団に入ったのだった。


でも、実業団は6人制

だから、父は「守備固め」要因として加入したので

ずっとコートに立つ事は出来なかった。


だけど父は、そんな自分の役目を誇りにしていた。

疲労骨折しても、靭帯を傷めても

決して「痛い」と言わず

テーピングでぐるぐる巻きにして

練習を休まなかった。


母と試合会場に行くと

全日本クラスの選手が交代要員の父に次々と挨拶してくれた。

僕はとても不思議だった。

全日本どころか、チームでも試合に出たり出なかったりなのに。


母と結婚したのは

父が「スッポン」のように食いついたからだ。

当時、違う人と付き合っていた母に猛アタックした父。


「試合を見に来てくれませんか」


母にそう言ってチケットを渡したものの

その試合には出られなかった。


「試合にさえ出られないじゃない。。。」


そう言った母に


「お願いです、もう一度でいいんで見に来てください」


頼み込む父をかわいそうに思ってもう一度行った母。


そこで途中出場した父の

観客席に飛び込んでまでもボールに喰らいつく姿に、心を打たれたのだと

生前言っていた。


父は、後輩に慕われていたので

引退してからもスタッフとしてチームに帯同していた

だから、引退してもなかなか家に帰ってこなかった。


父は相変わらず無名だ。

名前を入れて検索しても1つもヒットしないぐらい無名の選手だ。


だけど、僕にとって父は偉大な選手だった。

試合に殆ど出ていなくても

テレビに殆ど映らなくっても

父が歩んできた歴史は立派だと

僕は思う。



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