高校2年生の時だった。

「バンドやらない?」
クラスの友達に声をかけられた。
ギターを弾いてみないか?と。
青春時代真っ盛りの僕は、
そうすることが疑う事もない当たり前のことのように
「うん」
と頷き、楽器屋に走った。

その時やっていたのはBOOWYのコピーバンド。
ミュージシャンを目指したいと思っていたわけじゃなく、
ただ、バンドというものに憧れていただけの17歳。
自分で曲なんて書けるわけもなく、
ただただBOOWYの曲とXの曲を練習した。
とてつもなく下手くそだったけど、ライブもやった。
友達が遊びに来てくれて、めちゃくちゃ盛り上がってくれた。
そりゃそうだ。
みんなの大好きなBOOWYの曲だもの。
バンド名は「Manifique」
フランス語かなんかで「美しいもの」とかいう意味だっけ?
寒すぎます。

高校卒業と同時に、
遊びでやっていたバンドはあっさりと解散。
ダラダラした大学生活が始まった。

しかしこの大学生活でも、
BOOWYという存在が自分の中から消える事はなかった。
ちょうど始まったカラオケBOXブーム。
ホント、ゲームセンターにBOXが置いてあった。
それからカラオケルームが増えた。
大学生たちはこぞって飲んで歌った。
自分もたぶんにもれず飲んで歌った。
尾崎、布袋、COMPLEX、少年隊、BOOWY

「1994Label of Complex」というBOOWYの曲があった。
これは1994年にBOOWYが再結成される事を示唆していると
友達の間で噂になり興奮した。
バイト先のレンタルビデオ屋でBOOWYを流して
仕事中にも関わらず歌った。

しかしBOOWYは再結成される事なく僕は大人になった。
時代はカセットからCDへ、そしてMD、さらにiPodと流れた。
常にBOOWYは欠かさなかった。

そして、2011年。
3・11の未曾有の大震災。
日本中がパニックに陥った。

世界中の人が考えた。
どうすれば東北を、日本を救えるのだろう?
どうすれば笑顔を元気を取り戻せるだろう。
僕は芝居をやることしか出来ない。
それとちょっとだけ荷物を運んだ。

そして・・・
氷室京介は全曲BOOWYのチャリティライブをやることに決めた。
ただし、早い者勝ちではなく、抽選販売。
選ばれた人しか観に行くことの出来ないライブ。
当然のごとく、紙のチケットはプラチナへと変わった。
ファンクラブで先行発売されたチケットや、
当選発表された時、
転売屋によって市場は荒らされ、
オークションでは1枚30000円近い額になった。
自分も落選し涙していたら、
「チケット、お前の分も取れたよ!」
と連絡をくれたのは、高校時代のバンドのメンバーだった。

2011/6/11
僕はBOOWYになってきます。
東京ドームという広い空間で
55000分の1人に。


そしてベイスターズが5連勝した。
そんな幸せな5月11日でした。