オーストリアの皇女として生まれる。
母、マリアテレジアの策略で、
フランスのルイ16世と14歳で政略結婚させられる。

王妃となってからは、
ローザベルタンというデザイナーの服を好み、
フランスのファッションリーダーであった。

夫のルイが性的不能だったため夫婦仲は思わしくなかった。
しかし、治療の甲斐あり、二人の息子と一人の娘に恵まれる。
長男は若くして病気で亡くなってしまったため、
残された二人の子供へ最大限の愛情を注ぐ。

ただ、国税を湯水のように使っていたため、
徐々に国民から非難されるようになり、
首飾り事件などを経て
ついにはフランス革命に発展してしまう。

そして、ついにフランス革命が勃発。
アントワネット一家は、フェルゼンの引率の元、
庶民に化けて、フランス脱出を試みる。
その際、アントワネットは家庭教師に扮していた。
しかし、その脱出は失敗し、パリへ連れ戻され、
ついにはタンブルの塔に幽閉されてしまう。
ただ、タンブルでの待遇は悪くはなかった。

そして、ついに革命裁判で、有罪判定をされ、
アントワネットはギロチンにかけられるのであった。

遺体は一旦、集団墓地に埋葬されるが、
王政復古が到来すると、
集団墓地からごく一部のアントワネットの遺骸は発見され、
サン・ドニ大聖堂に埋葬される。