どうもどうも、けいです。

 

「高校では何をしていましたか?」という問いに対して、

「地域の魅力を発信する活動をしていました」と答える私。

…ウソじゃないんですが、事実ではあるんですが。

なんかウソを言ってる気分。

 

そんなことから始まったブログシリーズ第19弾。

本日は糸魚川駅です。

 

ではでは、どうぞよろしくお願いします。

 

19-1.糸魚川駅 概要

糸魚川駅は、新潟県糸魚川市にあるJR西日本・えちごトキめき鉄道の駅です。

日本海ひすいラインのほか、JR北陸新幹線大糸線が乗り入れています。

 

駅構造は在来線が2面4線です。

単式ホーム1面と島式ホーム1面を有しますが、

2、3番線の富山方は切り欠かれており、ここに4番線が設けられています。

1番線が日本海ひすいライン上り泊、富山方面、

3番線が日本海ひすいライン下り能生、名立、直江津方面です。

2番線は上下兼用ホームで、待避や折り返しに使用されます。

大糸線は4番線を主に使いますが、一部3番線から出発する列車もあります。

 

また、1番線と2番線の間には中線(中1番線)があるほか、

3番線のさらに山側(新幹線ホーム側)にホーム無しの待避線(中3番線)があります。

 

JR期は発車メロディーの設備がありました

えちごトキめき鉄道転換後もしばらくは車掌乗務列車で使用されましたが、

乗客から「どうして鳴る列車と鳴らない列車があるんだ」と言われてしまい、

これを機に使用停止になったともされています

(単純に放送装置更新もあると思います)。

設備自体はまだ残っているそうです。

 

四季で発車メロディーが入れ替わり、

いずれの曲も糸魚川市出身の相馬御風氏が作曲したものです。

曲目は以下の通りです。

  • 1月下旬~4月上旬:春よ来い
  • 4月上旬~7月下旬:ふるさと
  • 7月下旬~9月上旬:夏の雲
  • 9月上旬~1月下旬:カチューシャの唄

※「春よ来い」は松任谷由実さんのものとは別の曲で、

「ふるさと」も「兎追いし」や「朝焼け色の」などから始まるものとは別の曲です。

 

当初は「夏の雲」のみ採用していたようですが、徐々に曲が増え、

最終的にはこの4曲を使用していました。

うち「春よ来い」についてはアレンジを変え新幹線ホームに転用されているほか、

全曲とも糸魚川市の防災行政無線から流れる17時の時報でまだ聴くことができます

(アレンジも全く同じで、一部を切り取って発車メロディーにしていました)。

ちなみに筆者は所用で糸魚川市役所に電話したことがあるのですが、

保留音で「ふるさと」を使っていました

 

新幹線側は対向式2面2線です。

特にこれといって変わったものはありません。

番号は11、12番線で、5~10番線は欠番となっています

そんなにホームがある糸魚川駅はイヤだ

 

11番線が上り長野、高崎、東京方面で、

12番線が下り富山、金沢、福井、敦賀方面です。

 

通過線がないため、安全確保の目的で両ホームにホームドアが設置されています。

また、各ホームには待合室と喫煙室があります。

 

発車メロディーは「春よ来い」が採用されています。

さすが御風好きの糸魚川市と言うべきか、糸魚川市は発車メロディー選考の際に

「春よ来い」と「糸魚川小唄」をJRに提出しました(どちらも相馬御風作)。

JRはこのうち第一候補であった「春よ来い」が気に入ったらしく、

発車メロディーはこの曲になりました。

 

在来線ホームで流れていたものとはアレンジが違います

また、11番線と12番線の両方で流れているため、

上越妙高駅のような方向別でのバージョン違いもありません。

そして西のスピーカーは音質が悪いのでせっかくの曲が音割れしており…

 

えちごトキめき鉄道側には駅員キャラクターがおり、

奴奈川 翡翠(ぬながわ じぇいど)」の名前がつけられています。

みんなどこへ行った 見送られることも(ry

 

2023年10月以降はえちごトキめき鉄道とNGT48とのタイアップ企画

「推し駅プロジェクト」の対象駅となっており、

糸魚川駅は北村 優羽さんが推す駅となりました。

 

19-2.糸魚川駅 駅設備

糸魚川駅は在来線が橋上駅、新幹線が高架駅で、

1階に在来線ホーム、2階に新幹線・在来線改札、3階に新幹線ホームがあります。

 

在来線改札は有人改札で、自動改札機はありません。

窓口の営業時間は7:00~18:00で、これ以外の時間は駅員がいなくなりますが、

ワンマン列車は時間帯によらず全ドア開放が行われます

 

新幹線改札は有人改札と自動改札機が併存しており、

自動改札機3列分、有人改札1列分があります

自動改札機は改札外から見て右側1列が入場専用、左側1列が出場専用、

中央が双方への通り抜けに対応しています。

 

トイレの設備ですが、無論のこと各所にしっかり備え付けてあります

日本海口、アルプス口、在来線、新幹線改札内にそれぞれ1ヶ所

日本海口は階段を下りて向かって右手に、

アルプス口はエレベーター付近に、

在来線改札内は1番線への階段の横に、

新幹線改札内は改札真正面に、それぞれ設置してあります。

 

コンビニも駅ナカにあり、自由通路上、新幹線改札と在来線改札の間にあります。

営業時間は6:30~20:30です。

 

駅出口には北口と南口がありますが、

それぞれ「日本海口」「アルプス口」との愛称で呼ばれます。

新幹線開通以前に出口があったのは日本海口側のみで、

糸魚川市の市街地に出ることができます。

 

一方のアルプス口は旧駅舎時代にはありませんでしたが、

こちらには糸魚川市役所があり、住宅地も広がっていたことから、

かねてから南北連絡の利便性向上が求められていました。

新幹線開通に先立って2014年9月14日からアルプス口の供用が開始されました。

「糸魚川ジオステーション ジオパル」のほか、

後述するレンガ車庫のモニュメントが設置してあります。

 

駅から日本海までは400m程度しかなく、

これは日本海側の新幹線駅としては最も日本海に近いものになっています

このため、糸魚川駅構内ではしばしば「日本海に一番近い新幹線駅」という

売り文句も見られます。

 

当駅付近の津波避難場所も記しておきます。

糸魚川駅北部はわずかながら浸水想定があり

津波警報発出時に出歩いていると危険です

想定断層の位置から第1波到達まで10分ないと思われるので、

迅速な避難が必要です。

 

糸魚川駅は海抜5.2mではあるものの、津波避難ビルに指定されているため、

緊急時は津波警報を待たずここまで逃げてきてください

一応のため、他の避難場所も記しておきます。

・ホテルゑびや(4.0m、5階建て)

・糸魚川翠明苑(3.6m、8階建て)

・糸魚川みなみ翠明苑(3.8m、5階建て)

・市単独住宅奴奈川住宅(4.0m、4階建て)

・亀ヶ丘体育館(10.2m)

・糸魚川市民会館(10.0m、3階建て)

・糸魚川市役所(10.0m、7階建て)

※詳しい場所は糸魚川市のハザードマップをご覧ください(カッコ内は海抜高度)

 

19-3.糸魚川駅 周辺と駅の歴史

糸魚川市の歴史を辿るとかなり昔まで遡ることができます。

 

710年に『古事記』が完成しますが、

この書の中には大国主についての神話も掲載されています。

その中に「沼河比売」という女神が出てくるのです。

 

沼河比売はこの段の中で大国主と結婚しました。

大国主は「高志の国」の沼河というところに住む姫を妻にしようと考え、

求婚の歌を沼河比売に送りました。

沼河比売は返歌を詠み、翌日の夜に二人は結婚したといいます。

 

と、『古事記』はこれで終わっています。

ここで、文中に出てくる語句をいくつか解説します。

 

途中に出てきた「高志の国」、これは「越の国」とされています。

言うまでもなく新潟県を含む一帯の地域です

そして「沼河」というのは現在の糸魚川市周辺とされています。

もうお分かりでしょう。「沼河比売」というのは「奴奈川姫」のことです

 

糸魚川市の伝承では、

この後大国主と奴奈川姫は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」を産み、

建御名方神は姫川を上って諏訪へ至り、諏訪大社の祭神になったとされています

 

糸魚川市には奴奈川姫にかかわる神社などが多く、

文献にも奴奈川姫が糸魚川市周辺に住んでいたとするものが多いため、

いつしか奴奈川姫は糸魚川市を代表する神になりました。

 

また、糸魚川市の古代はヒスイで栄えていたことも特筆すべきことです。

日本全国に古代の遺跡は数々見つかっていますが、

掘り返すとたまにヒスイの製品が出てきます。

 

このヒスイは北海道から沖縄、果ては朝鮮半島からも出土しているのですが、

調べてみるとおおかた糸魚川産であるだろうと推定されているのです

また、当の糸魚川の遺跡を掘り返してみると、

不完全なヒスイの装飾品が見つかっていることも分かっています

 

このことから、古代の糸魚川はヒスイ産業で栄えていたと考えられています。

 

そもそもヒスイ自体は日本国内にもわずかながら産地があるのですが、

糸魚川のヒスイは地学的調査から世界最古のもの(5億年以上前)だとされ、

透明度が高く装飾品にもってこいの質だったのです

だからこそ糸魚川のヒスイが重宝されました。

 

奈良時代以降はヒスイ文化が衰退し、

糸魚川のヒスイもひっそりと忘れ去られていきました。

 

時代は下り昭和期。

考古学の進展で日本各地の遺跡が掘り起こされ、様々なものを発掘しますが、

ヒスイもゴロゴロ出てきます。

しかし、考古学者たちはこのヒスイがどこから来たのか分かりませんでした

糸魚川のヒスイはさっぱり忘れ去られた後であり、

日本国内にヒスイの産地はないとされていたのです。

 

同時期、糸魚川が誇る偉人たる相馬御風氏は、

小滝川でヒスイが採れることを知っていたとされています

御風は考古学にも造詣が深く、

日本にヒスイの産地がないという説が定説となっていたことも、

同時に知っていたはずなのです。

御風がどうしてヒスイについて沈黙を重ねたのかは分かっていません。

 

しかし、御風は一つだけ種を蒔いていました。

知人に「奴奈川姫がヒスイの装飾品をつけていた」ことを話し、

糸魚川でヒスイが採集できることを示唆したのです

 

知人は小滝(現:大糸線小滝駅周辺)の親戚にあたり、

親戚の方が小滝を探したところ、緑色の石を発見しました。

この石は東北大学にて鑑定が行われ、1939年にヒスイと断定

糸魚川でヒスイが採れることが再び文明上で明るみに出たのです。

 

こうしてヒスイの町となった糸魚川市は、

現在に至るまでヒスイを通した宣伝を続けています。

2016年、日本鉱物科学会によってヒスイは日本の国石となりました

また、糸魚川駅構内にも至るところにヒスイ原石が置いてあります。

 

そんな糸魚川だからこその意地があるようです。

ヒスイには2種類、

硬玉(jadeite / ジェダイト)軟玉(nephrite / ネフライト)があるのですが、

古代の日本はこの2つを区別し、硬玉をヒスイとしていました

 

しかし、欧米はこの2つを区別しません。

糸魚川のヒスイ文化が失われた後に

日本は欧米科学に倣ったために、現代日本でも混同されるようになりました。

 

糸魚川市はこれをよしとしておらず、

フォッサマグナミュージアムなどでは限られたもののみ

「ヒスイ」と呼ぶように決めているようです

 

別の話に変えましょう。

糸魚川の町は江戸時代に北陸道と千国街道の合流地点となり、

宿場町として栄えました。

北陸道は滋賀県の彦根~米原から中山道と分岐し、

日本海側を通って越後へ至った道のことです。ちょうど国道8号線に近いです。

 

千国街道は現在の大糸線や国道147~148号線と並行していた道で、

糸魚川と松本を結ぶ「塩の道」として重宝されました。

 

明治維新後、1912年に直江津から線路(信越本線支線)がやってきます

遅れて1913年には青海側からも北陸本線が乗り入れ糸魚川で接続、

先行開業していた糸魚川~直江津間を北陸本線に編入し、
米原~直江津間が北陸本線になりました。

糸魚川は北陸本線全通の地だったのです。

 

やがて千国街道に沿って糸魚川と松本を結ぶ鉄道路線の計画も浮上。

1916年には信濃大町~松本間で信濃鉄道の路線が全通し、

これを活用する形で糸魚川方面への鉄路を延伸しようとなります

(言うまでもないですが、この信濃鉄道は現在のしなの鉄道とは関係ありません)。

 

糸魚川~信濃大町間の路線は、大町と糸魚川からとって「大糸線」とされました。

糸魚川口では1934年に初めての区間が開通。この時はまだ根知までの営業でした。

路線名も「大糸北線」とされています。

 

1935年には根知~小滝間が開通しますが、

以降は戦争などもあってか延伸がストップ。

大糸線が全通したのは1957年で、小滝~中土間が最後に残りました。

 

1965年には北陸本線の当駅から富山駅までの間が電化され、

69年には電化区間が直江津まで延びて全線電化。

現代では新幹線も通過する駅となり、交通の要衝としての地位はいまだ健在です

直江津「」

 

余談ですが、北陸新幹線の計画段階では

糸魚川~魚津間がスーパー特急方式での建設とされたこともあります

ほくほく線の高速化、および高岡~金沢間のスーパー特急方式と併せ、

当面は狭軌での措置とされました。

これは北陸地方が首都圏だけではなく、

大阪、名古屋、新潟との繋がりも強かったからとされています。

 

新線は糸魚川駅西方4km地点付近に「西糸魚川信号場」を設けて分岐する案で、

この位置は現在ひすいラインが姫川を渡った先で

もう一度北陸新幹線と接近する位置あたりになります。

 

結局全線フル規格に計画変更されたため、この案は成らずじまいでした。

そして加越トンネルが放棄される結果となったのであった…

 

この章ではもう一つ取り上げておくべきことがあります。

2016年の火災です。

 

2016年12月22日、年の瀬迫る糸魚川市内で1件の火災が発生しました。

発火原因は「コンロの消し忘れ」。

そんな小さなミスが、取り返しのつかない事態へ発展します

 

22日10時20分ごろ、とある中華料理店から出火。

初期消火に失敗し、119番通報を受けて出動した消防により消火活動が始まります。

当初は糸魚川市消防本部の12隊が出動しましたが、

消防が到着した頃には延焼が始まっていました

 

必死の消火活動が行われましたが、延焼を食い止められず。

12時08分、隣接する上越地域消防本部と新川地域消防本部へ応援要請がされます。

12分後、延焼が止まらず危険だとして本町と大町1丁目に避難勧告が出されました。

 

2時間近くも消火活動が続けられたため、消火用の水が枯渇します

12時47分、糸魚川地区生コン組合に水の搬送要請および

国土交通省北陸地方整備局へ排水ポンプ車等の支援要請が飛ばされました。

13時には糸魚川市が「糸魚川市駅北大火災害対策本部」を、

新潟県が「新潟県災害対策本部」を立ち上げるまでに至ってしまいます。

 

しかしなおも火勢は衰えず、10分後に新潟県広域消防応援要請が出される事態に。

ついには13時59分、新潟県が自衛隊へ災害派遣要請を出しました

15時45分には北アルプス地域消防本部へも応援要請がされ、

周辺地域も巻き込んだ総力戦となりました

 

16時30分には大町2丁目へ避難勧告も出されるなど、なおも拡大し続ける延焼範囲。

懸命な消火活動が行われ、20時50分に鎮圧、翌23日16時30分に鎮火するまで、

ずっと燃え続けていたのでした。

 

死者は幸い出なかったものの、被害を受けた建物は147棟

消防車は235台、人員は1,887人を費やすことになりました。

新潟県はこの火災に災害救助法を適用しており、

被災者生活再建支援法も火災では初めて適用されることになります。

 

焼失した建物には由緒正しい店も含まれていました。

えちごトキめきリゾート「雪月花」に料理を提供していた「鶴来屋」、

この火災でほとんどの酒蔵が焼失した「加賀の井」などが代表的です。

 

この規模の大規模火災は国内でもまれで、

地震や津波などで発生する二次災害としての火災を除くと、

家屋を巻き込んだものとしては1976年の酒田大火(山形県)以来のものでした

公式には「糸魚川市大規模火災」とされましたが、

糸魚川市は独自に「糸魚川市駅北大火」と、「大火」の言葉を使っています。

※国は建物焼損床面積が1万坪(33,000㎡)以下であることから「大火」とはしていません。

 

被害総額は糸魚川市消防本部の集計で10億7724万6000円とされ、

文化的価値も含めると30億円はくだらないだろうとされています

 

なぜこれほどまでに被害が拡大したのでしょうか?

当時、日本海側では発達した低気圧が東へ進行しており、

ここへ向かって南から暖かい空気が流入していました。

 

糸魚川市は地形の関係で南風が強くなる傾向にあり、

蓮華おろし」などと呼ばれ警戒するよう戒められてきました。

12月22日も最大風速13.9m/s

最大瞬間風速27.2m/sという強風を観測しています。

 

この強風によって火の粉が拡散し離れた家屋に引火、

あらぬところでも火の手が上がる事態となりました

 

都市構造にも問題がありました

糸魚川市は昭和以降(2016年を除いて)3度の大火に襲われており、

今回焼け落ちた地域は昭和7年の大火で再建された場所でした。

 

しかし、再建されたとはいえ延焼しやすい構造のままで、

木造住宅が所狭しと立ち並ぶ街並みがなお続いていたのです

また、地域内には延焼を食い止める役割の公園や広場がほとんどありませんでした

 

糸魚川市は大火を二度と起こさないため、

都市構造を抜本的に見直した再開発を行いました。

防火水槽の増設や高耐火性の建造物以外の建設を認めない条例の施行、

そして中心部の活力を維持する都市構造の策定などを進めています。

 

ただし、住民は必ずしも戻ってくるわけではなく、

2020年現在では被災した108世帯のうち地域内に戻ってきたのは6割ほど。

また、被災した56事業所のうち、被災地へ戻って営業を再開したのは

2019年までに22件と、空洞化が問題となっています。

 

2020年4月、駅の北側に「キターレ」がオープンし、

大火の伝承と復興拠点としての役割が期待されています。

 

糸魚川市の火災は日本全国に衝撃をもって受け止められ、

わが町では同じことを起こさないようにと教訓とされています。

名古屋市は「忘れていませんか?糸魚川市で起こった大規模火災!」という名で

公式のページを作成しており、

「糸魚川市大規模火災」がいかほどに起こるべきではなかった火災であるかを

物語っています。

 

出火原因は単なる個人のミスでした

それが町を焼け野原にしてしまったのです

 

皆さんも火の取り扱いには十分ご注意を。

糸魚川市のようにはならないでください…

 

がんばろう、糸魚川。

 

19-4.糸魚川駅周辺の施設・名所

・糸魚川ジオステーション ジオパル

糸魚川駅アルプス口にある複合型交流施設で、

主に地理・鉄道関連のジャンルを取り扱っています。

 

糸魚川市が施設を管理しており、

市域全体が指定された「糸魚川ジオパーク」の魅力を発信しているほか、

実際の鉄道車両に触れたり、鉄道模型で遊んだりすることもできます。

 

なぜ鉄道が?

実は糸魚川は13年前に全国から大きな注目を集めていました。

それこそが市内を走る大糸線で運用されていたキハ52でした。

 

キハ52は老朽化が進行し、大糸線がJRでは最後に残された運用区間でした

2010年にキハ120への置き換えが決まると、

最後まで運用されていた3両は華々しく引退。

各々が第2の道を歩むこととなりました。

 

ジオパルに展示されているのはキハ52の156号車で、

ジオパルのオープンを前に2014年に搬入されました。

車内は待合室として開放されています。

 

また、レンガ車庫も特筆すべきものです。

糸魚川駅構内に設けられていた「糸魚川駅機関車庫1号」は

1912年に糸魚川駅が開業した頃から使われていましたが、

北陸新幹線工事で邪魔になったため撤去されることになります

 

糸魚川市は保存の方向で話を進めました。

結果として一部を切り取ってジオパルに保存、残りは解体となりましたが、

その際に出たレンガは市内各所で再利用されたり、ファンに売られたりしました

 

また、付近に工場を構えていた東洋活性白土という会社に伸びていた専用線では、

「くろひめ号」という日本最後の実用蒸気機関車がいました

これも入口前に展示されています。

 

中にはかつての豪華寝台列車

トワイライトエクスプレス」のモックアップもありますが、

糸魚川市を「トワイライトエクスプレス」が通過する時刻はちょうど夕暮れ。

「トワイライト」にちなんで展示されることになりました。

 

とにかく糸魚川市は鉄道がお好きなようです。

ファンの方、時間を潰す際にはいかがでしょうか。

 

アルプス口の階段を下りた場所に入口があります。

 

・糸魚川C12SLパーク

糸魚川小学校に隣接している施設で、C12の88号機が保存されています。

やっぱり糸魚川市は鉄道が好きなようです

 

C12というのは国鉄が開発した蒸気機関車で、

重量制限が厳しくかけられている簡易線規格の路線に用いられました。

タンク式機関車で短距離運用しかできませんが、

長距離用はこいつにテンダーをつけたC56がおり、

こちらと併せて使われたようです。

 

88号機は一貫して糸魚川区に配置され続けていました

1972年に廃車となりますが、73年に保存されました。

 

もとは糸魚川小学校にあったようですが、

北陸新幹線開通に伴う再開発でこちらに移ってきました。

移ったと言っても隣ですが…

 

C12は腕木式信号機とともに保存されており、

日本海ひすいラインの車内からも一瞬だけ見ることができます。

 

糸魚川駅アルプス口から徒歩3分です。

 

・天津神社・奴奈川神社

12代景行天皇の頃に創立されたとされる由緒正しい神社で、

多くの指定文化財を持ちます。

天津神社境内に奴奈川神社を併設します。

 

この神社の祭りはなんとも独特で、

五穀豊穣を願って神輿と神輿が競合するのです。

「競合する」とは分かりやすく言うと「ぶつかり合う」こと

そう、神輿がハデに衝突するのです。これが「糸魚川けんか祭り」です。

 

神輿の後は舞楽が行われ、境内の雰囲気は一転しますが、

この舞楽も国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

また、かつて神道が国教だった際には、天津神社は県社に指定されていました。

 

付近には糸魚川市役所があります。

 

糸魚川駅アルプス口から徒歩12分です。

 

・フォッサマグナミュージアム

糸魚川駅南方にある博物館で、

フォッサマグナや鉱物などに関する展示を行っています。

 

糸魚川市は糸魚川静岡構造線上にあるため、多彩な地質構造や鉱物がみられます。

地学好きな方にはたまらない場所でしょう。

 

なお、たまに盛大に勘違いされることがありますが、

「糸魚川静岡構造線 = フォッサマグナ」ではありません

糸魚川静岡構造線とはフォッサマグナの西縁部を指す言葉で、

フォッサマグナは日本中部を縦断する地質学的な地帯を言います。

筆者の中学校時代の社会科教員は、同じことを問うた筆者に

フォッサマグナがリンゴとすると、糸静線はリンゴの皮」と比喩しました。

 

フォッサマグナ東縁部もあるはずなのですが、東縁は諸説あり定まっていません。

 

糸魚川駅アルプス口から徒歩51分で、

最寄りバス停は「フォッサマグナミュージアム」です。

 

・糸魚川市駅北広場 キターレ

糸魚川駅北にある公共施設で、2020年4月にオープンしました。

 

2016年12月の火災で悉くを失った糸魚川駅北部。

カタイ絆でよみがえる笑顔の街道糸魚川」を合言葉として復興が進み、

火災から3年以上が経ってオープンした施設です。

 

ダイニングやホールなどの交流施設のほか、火災の資料も展示してあります。

また、災害発生時の避難場所へ転用することも可能で、

糸魚川大火の教訓を活かした施設となっています。

 

糸魚川駅日本海口から徒歩5分です。

 

・姫川港

糸魚川駅北西、姫川河口付近にある港湾で、

セメント工業とともに発展してきました。

 

糸魚川は良質な石灰石が採掘できるため、

近代はこれを活用したセメント業が盛んに行われています。

これら原料や製品の輸送に役に立っていると思われます。

 

現在旅客船の設定はありませんが、

かつては飯田港(石川県珠洲市)との間にカーフェリーがありました

ただし、1年ほどの設定で1983年に廃止となっています。

長野県の飯田とは関係ありません…そもそも飯田市は内陸地帯で港は無い

 

糸魚川駅日本海口から徒歩35分で、最寄りバス停は「姫川港入口」です。

だが特段用事とかはないだろう…

 

 

 

 

 

以上、糸魚川駅の紹介でした。次は青海駅です。あと3駅だ…