どうもどうも、けいです。

 

「高校では何をしていましたか?」という問いに対して、

「地域の魅力を発信する活動をしていました」と答える私。

…ウソじゃないんですが、事実ではあるんですが。

なんかウソを言ってる気分。

 

そんなことから始まったブログシリーズ第3弾。

本日は高田駅です。

 

ではでは、どうぞよろしくお願いします。

 

3-1.高田駅 概要

高田駅は、新潟県上越市にあるえちごトキめき鉄道の駅です。

妙高はねうまラインのみが乗り入れる単独駅となっています。

 

駅構造は2面3線で、3番線の横には保線車両用の側線が2本存在します。

1番線が上り(上越妙高、新井、妙高高原方面)、

2番線が下り(春日山、直江津、柿崎、新潟方面)で、

3番線を発着する定期営業列車はありませんが一応毎日使ってます

(雪月花や回送列車、臨時列車などが使います)。

 

また、直江津駅と同じように2021年から「駅員キャラクター」がおり、

高城 華蓮(たかじょう かれん)」の名前がつけられてます。

この子もどこへ行った

 

2023年10月以降はえちごトキめき鉄道とNGT48とのタイアップ企画

「推し駅プロジェクト」の対象駅となっており、

高田駅は清司 麗菜さんが推す駅となりました。

 

3-2.高田駅 駅設備

高田駅は地上駅で、1番線が駅舎と直結しています。

改札は有人のものですが、JR期は自動改札機を使っていました。

維持費などの問題から経営分離時に撤去されています。

 

1番線と2、3番線はエレベーターつきの跨線橋で連絡しています。

以前は直江津方にある跨線橋を使っていましたが、

2010年に現在の跨線橋に切り替わりました(旧跨線橋は撤去されています)。

 

ホーム上に売店や自動販売機などは(2021年の段階では)存在しませんが、

改札外にあるNewDaysで物品の調達ができます。

営業時間は6:40~20:30です。

 

自動改札機は2台あり、それ以外に窓口もあります。

 

トイレですが、改札外と改札内にそれぞれ1ヶ所あります

改札内のものは1番線直江津方に、

改札外のものは駅を出て左手に進むと見つかります(観光案内所近く)

 

学生の利用が多い駅なので、

直江津駅と同じく学生専用の学習室があってもよさそうなものですが、

スペースの問題で厳しいのかありません。

 

3-3.高田駅 周辺と駅の歴史

同じ上越市内の直江津が飛鳥時代、春日山が室町時代前後から

歴史に現れるのに対して、高田は江戸時代とかなり遅めに出てきます。

尤も、春日山はともかく直江津の歴史が古すぎるだけなのだが…

 

ところで、春日山駅の記事でこう書きました。

堀氏は政治を取り仕切るのに不便とのことから春日山城を手放し、

直江津港近くにあった福島城に移ったため、

春日山城は廃城となりました。

ここで出てきた「福島城」。これが高田城の前に政治拠点が置かれていた城です。

堀氏は1598年に春日山城に入りますが、

春日山城から福島城に移ったのはその9年後の1607年です。

 

しかし、政治の実権を握っていた堀直政が死去すると、

跡継ぎをめぐって堀家内部で内紛が起こります

またか

 

最終的にかの徳川家康による裁断を受け、

堀氏は改易で福島城を追われることになります

この改易は、とある事情に家康が激怒したこともありますが、

家康は加賀の前田氏を抑えるために越後に信頼できる一族を置きたかったから、

とも言われています。

 

※とある事情…跡継ぎ争いに関わった堀直次が僧侶をぬっ殺していたこと。

というのも、堀家の家督を継いでいた堀忠俊が直次を支持していたのですが、

調べるとどうも直次が浄土宗と日蓮宗の僧侶を争わせ、

負けた方の僧侶をみなまで処していたようだということが発覚。

これに家康が激怒した…とされています。

なお、家督の忠俊は病弱で政務に携わることが困難だったため、

先ほど出てきた堀直政が執政となっていたそうです。

 

改易後にやってきたのが松平忠輝。

家康の六男で、領地は従来の川中島藩12万石+越後の新領63万石の

合計75万石でした。

 

忠輝は福島城築城7年後の1614年、福島城を廃して別の城へ移りました。

この城こそが高田城でした。

移転の理由としては、場所が場所だけに水害に悩まされたから

忠輝が波の音で眠れないとゴネたから、というものがありますが、

あくまで後者は俗説だということに注意してください。

都会から田舎に越してきた人がカエルの大合唱で眠れないようなものだろうか?

 

しかしわずか2年後の1616年、松平忠輝は改易および伊勢朝熊に配流されます

(改易の理由は諸説あります)。

以降酒井家、越前松平家が入りますが安定せず、

1681年から高田は幕府直轄領となりました。

それに加え、越前松平家が起こしたお家騒動がこじれ、

最終的に改易となった一件で、

高田は懲罰的な転封先」とのイメージを持たれることになります。

言うまでもないですがマイナスイメージです。

 

幕府直轄時代は1年の当番という形で他所の大名が政治を務めますが、

当然のごとく責任ある政治が行われるわけもなく、

高田は荒廃して治安がとんでもなく悪化することになりますなんてことを…

高田の町民はこれを受けて諸組織を組み、治安向上を図ったようです。

 

以降、稲葉家、戸田家、久松松平家、榊原家が入れ替わり、幕末を迎えます。

戊辰戦争では当初態度を曖昧にしていましたが、

官軍が迫ると幕府軍を隣接地から追放して新政府側につきます。

こうして、長岡、会津討伐の先鋒となりました。

その長岡藩はガトリング砲をぶっ放して新政府軍に抵抗したという…

 

明治維新後、高田藩は流転の末に新潟県の一部を成すこととなります。

そして高田には大日本帝国陸軍第13師団が配置されました

(余談の域を出ませんが、1910年から辛亥革命勃発まで、

かの有名な蔣介石がこの師団に所属していたこともあります)。

この第13師団は軍縮期の1925年に一度廃止されました

(37年に戦争勃発で再編成されます)。

 

1886年には新潟県初の鉄道となる直江津~関山間が開通しますが、

高田にも中間の停車場が置かれます。

また、一帯は「高田市」という独立した市町村でしたが、

1971年に直江津市と合併し、上越市が発足した際に廃止となっています。

 

高田出身の著名人も多く、小川未明(本名:小川健作、小説家・児童文学作家で

「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」とも呼ばれる)、

川端誠(絵本作家、落語絵本シリーズ『まんじゅうこわい』など)が代表的です。

 

蛇足ですが、高田周辺では5度の地震記録があり

(1502年、1614年、1666年、1751年、1847年、うち1614年は詳細不明で

1847年は善光寺地震の誘発地震)、

特に1751年の地震はマグニチュード7.0~7.4と推定されています。

震源は高田平野西縁断層帯とされ、死者は1100~2000人程度、

名立では大規模な土砂崩れが起きています(これは名立駅の記事で書きます)。

上越地域も地震と無縁の地域でないことがよく分かります。

 

3-4.高田駅周辺の施設・名所

・雁木通り

高田駅周辺でよく見られるもので、簡単に言えば屋根付き歩道です。

高田は世界的な豪雪地域とされ(1945年に377cm積雪の記録)、

その豪雪から歩道の往来性を守るために考案されました。

 

発祥地は津川(新潟県阿賀町、「雁木発祥の地」の碑がある)とされ、

新潟県内で広く見られる施設です。

また、新潟県以外にも採用例が見られ、1966年から1985年にかけての調査では、

青森、岩手、秋田、福島、長野、鳥取の各県で存在が確認されました。

 

上越地域内でも直江津や糸魚川で見られますが、

高田の雁木は現在でも総延長13kmを残しており、全国最長とされています。

 

しかしながら、現代では特に車との相性が悪いとされ、

各地で撤去される事例が相次いでいます。

上越市は雁木の保存を目指し、マスタープランや支援制度の設定などを進めており、

マスタープランでは雁木通りが残る街の周囲に都市機能を一部移転し、

公共交通や公共駐車場の利用で歩行者に優しい街づくりを目指しています。

が、このせいで高田中心部への車でのアクセスが悪くなり、

駐車場がない、高いと嘆いたり、そこから路上駐車が増加したり、

しまいには商店街自体に行きづらいせいで

商店街の利用が遠のいたりしているのではないかという指摘もあります

 

特に苦労せずとも高田駅周辺で見ることができます。

また、大きな道の歩道にかかっている屋根は雁木をモチーフにしたものです。

 

・高田世界館

日本最古級とされる映画館で、なんと現役です。

2011年には国の登録有形文化財に指定されています。

 

レトロな建築様相を残しており、古今東西ありとあらゆる映画を上映してきました。

現役ですので、今でも時々映画を上映しているようです。

銚子電鉄の『電車を止めるな! 〜のろいの6.4km〜も上映されたようです

 

高田駅から徒歩10分で、最寄りバス停は「本町六丁目」です。

 

・高田まちかど交流館(旧第四銀行高田支店)

1931年に百三十九銀行本店として建設されました。

当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の建物です。

2019年には上越市文化財に指定されました。

 

現在は銀行としての機能はなく、イベントなどを行う多目的施設になっています。

イベントがない日は無料で見学もできます。

 

高田駅から徒歩15分で、最寄りバス停は「本町三丁目」です。

 

・旧師団長官舎

1910年に、旧陸軍第13師団3代目師団長である

長岡外史中将の邸宅として建てられました。

1993年に現在地に移転・復元されましたが、その敷地は旧高田市長公舎跡地、

そして2代目師団長の住居跡です。

 

旧師団長官舎が現存しているのは愛知県豊橋市(第15師団)、

青森県弘前市(第8師団)とここ高田の3ヶ所しかなく、非常に貴重です。

 

上述したように、1925年には第13師団は解体されましたが、

建物は旅団長官舎、アメリカ陸軍上層部の施設、米陸軍顧問団の施設、

陸上自衛隊高田駐屯地の幹部宿舎として、1991年まで使われていました。

 

和洋折衷の美しい建物で、レストランとしても利用されています。

 

高田駅から徒歩20分で、最寄りバス停は「大手町」です。

 

・高田城址公園

高田城の周囲を公園として整備したもので、

地元では「高田公園」の名で通っています。

2020年までは正式名称も「高田公園」でした。

 

明治維新で廃城となった高田城ですが、

明治時代に第13師団の入城を祝って敷地内にが、

高田藩の財政再建を願ってお堀にが、

それぞれ植えられました(時系列的にはの方が先です)。

 

は2200本が植えられましたが、現在は約4000本に増えており

毎年観桜会が開かれます。

観桜会ではぼんぼりが3000個設置され、桜を照らします。

高田城も同時にライトアップされ、その幻想的な光景は多くの人を惹きつけます。

また、日本三大夜桜の一つにも数えられ、

県内外から多くの人が訪れる全国的な観光名所となっています

 

2019年度は120万5千人の入り込みがあったとされ、

2020年からは例のアレで入場者数が大きく落ち込みましたが、

2023年度は41万人が訪れるなど、賑わいぶりは健在です。

 

また、忘れてはならないのがお堀ので、

こちらも夏には観桜会よろしく「観蓮会」が開かれます。

蓮の花は午前中しか開いておらず、午後になると閉じてしまうのが厳しいですが、

ピーク時は一面に広がる蓮の花を見ることができます。

2023年の入り込みは8万5000人ほどだったようです。

 

高田市民はこの蓮を「東洋一」と語り継いでおり、

東京大学教授が1953年に「蓮池の規模の大きいことは世界でもまれで、

特に紅白入り交じっているのは珍しい」と激賞したことからの「東洋一」だとか。

「世界一」と言わなかった理由が不思議ですが…

確かに「我が高田の蓮の花は世界一ィィィ!」の文句で宣伝されても困るが

 

また、高田城の三重櫓も復元されています。

本丸は残ってないですが

他にも高田図書館や陸上競技場なども敷地内に建設されており、

市民の憩いの場としても機能しています。

2018年春には遊具広場に「ふわふわドーム」が新設されました。

ちなみに上越市のHP上にある「ご利用上の注意事項」10項目には

「アクロバットや危険な行為はしないでください。」とあります…何があったんだ

 

高田城のさらなる復元についての動きも見られ、

特に表御殿は江戸城、大阪城に次いで全国3番目に大きかったという理由から、

本丸御殿(と枡形御門)の復元の要望が2022年に市長にされました。

また、高田城には石垣がないという珍しい特徴もあることから、

十分なアピール材料となりうるとの声も出ています。

やっぱり本丸ないの気にしてるんですね…

 

敷地は広いので行く場所にもよりますが、

高田城三重櫓であれば高田駅から徒歩24分かかります。

最寄りバス停は「高田城址公園」です。

 

・陸上自衛隊高田駐屯地

旧陸軍第13師団の駐屯に伴って開設され、現在は陸自が使っています。

駐屯地指令は第5施設群長となっているようです。

 

施設内には各種必要施設の他、郷土資料館もあるようです。

旧陸軍時代に建設された木造の隊舎もあり、

新入隊員教育隊が使ってきたようなのですが、

2013年に撤去されたようです。

 

例年春に一般開放を行っており、その際は我々も入ることができます。

高田城址公園の観桜会と重なることもあります。

それ以外で入ったら処されそうです…

 

高田駅から徒歩33分ですが、

一般公開日以外は外から眺める以外で訪れることはないでしょう…

 

・高田の高等学校群

高田駅の利用を支えているのが、駅周辺に点在する高等学校です。

高田、高田北城、上越総合技術、上越、高田農業の5校が周囲にあり、

多くの学生がこの駅を使用します

(高田、高田農業高校の生徒は南高田で降りることもあるようです)。

 

えちごトキめき鉄道も朝は増結、夕方は増発で混雑を捌きますが、

朝は6両でも立ち席が出るほどであり、

夕方は2両のためもはや無人駅での乗車方法を諦めることもあります

(ET127系の運転台にスイッチがついており、普段は「自車」に入っているのですが、

「強制全車」でワンマン運転の無人駅でも強制的に全ドアを開けることができます)。

夕方は部活などがあって利用が分散する分、2両で積み残しが出ることは稀ですが…

一度2両に朝レベルの学生を詰め込まれたときは死が見えた

 

高田駅に西口を設置する構想があると聞いたことがありますが、

これは駅西側に上越高校が存在するからです。

それほどまでに高校の存在は大きいです。

 

また、高校ではないですが、上越教育大学附属中学校もあり、

この中学校も高校と同様遠方から生徒が通学してきます。

 

 

 

 

 

というわけで高田駅の紹介でした。

次回は南高田駅です。次いつになるのかなぁ…